桜井勝延南相馬市長共同取材(於福島県南相馬市) 2011.4.19

記事公開日:2011.4.19取材地: 動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJ 原佑介/ 映像作家 古田晃司)

※動画のご視聴は会員限定となります。

 2011年4月19日(火)、現地記者 小林富久壽氏らと福島県南相馬市にて、桜井勝延(さくらい かつのぶ)氏南相馬市長共同取材が行なわれた。

  • 日時 2011年4月19日(火)
  • 場所 福島県南相馬市

地震、津波、原発、放射能汚染、様々な要素が南相馬市民を襲っている。

家が流された、まだ家族が見つかっていない、家や職を捨て、家畜を置いて避難。

ただし、そういった状況下にあるのは、市役所職員も例外じゃない。

家が20キロ圏内にあり、帰宅が出来ずにいる職員。

家族を他所に移し、一人残り仕事をする職員。

暮らしてきた環境は、被災地住民と一緒。職員も、被災者だ。

義援金にも種類があり、県から出るもの、日赤のもの、東電による仮払金と、様々に分かれている。

それを配分をするにあたり、20、30キロ圏内外の問題でも分かれる。義援金の事務処理一つにしても、実に複雑だ。

さらに、南相馬市は、より原発に近い双葉町などから9000人近くの避難者も受け入れた。

徐々に避難範囲を広げていったことで、避難者たりうる地域が、避難者を受け入れることとなったのだ。

各地の避難所で対応に当たる職員も、市役所から100人超配置している。

桜井市長の秘書、星さんはこう語る。

「今も市民の半分は避難している。避難せず、残っている人だって怯えて暮らしている。

先の見えない状況が一ヶ月以上続き、東電や国にぶつけられない苛立に関しては、市に電話でぶつけてくる。

『誰も守ってくれない』、『これから、どうすれば』。

事故の当事者ではないが、(市民の)安心、安全のため、やっていこうとしている。

市民は、より情報がなく、より不安。(問い合わせ等を)一つ一つ受け取らなければ、さらに不安になる。

しっかりとした対応を取らなければ、彼らを救うことは出来ない。

311以来、ほとんど休みもなく、実状、職員も肉体的、精神的に疲れている。

しかし、桜井市長が自ら陣頭指揮をとっている以上、我々も付いて行く」

「追い込まれれば自分のことしか考えられなくなるのだろう。しかし、今は力を合わせる時」と、桜井さんは語ったが、

この言葉は、南相馬市役所職員に確かに伝わっていて、職員を支えていた。

こういった窮状を改善するための選択肢は、少なくないはずだ。

チェルノブイリ救援中部の方々は、

「同心円で避難地区を決めることはない。きめ細やかなモニタリングを行うことで、30キロ圏内にも仮設住宅を造ることは可能だ」

としている。地元から離れずにいれることで、被災者の悲しみや不安も、幾分紛れるかもしれない。

放射能によって汚染された土壌も、表面を削って盛り土をすることで対応出来るものもある。

また、マンパワーの足りなさも深刻だ。三陸にはボランティアスタッフは多いが、

放射能の危険性がいわれている南相馬市は、慢性的な人不足に悩まされている。頼るべきコミュニティが、崩壊している。

残っている住民の多くは、避難所暮らしに耐えられない高齢者が多い。物資の流入等も上手く行かない。

現場に残るべきメディアも見捨てた土地、南相馬市。

ここには、場所によって東京と線量も変わらない地区だってある。

漠然とした不感を持ち、過剰に怖れる人。

少しも怖れることなく、安心だと過信している人。

この二つのどちらでもなく、求められるのは、「ただしく怖れること」。

システムの再建のためには、マンパワーの集結は必須。

「ただしく怖れること」とは、地元住民だけでなく、放射能と付き合って生きていかなければならなくなった国民全体にいえることだ。

そして、多少の不公平も厭わない迅速な補償と、正確な避難指示、放射汚染対策指示が、国、東電、然るべき行政機関に求められる。

(…会員ページにつづく)

アーカイブの全編は、下記会員ページまたは単品購入より御覧になれます。

一般・サポート 新規会員登録単品購入 330円 (会員以外)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です