「出馬」記者会見場として用意されていた場所は、なんと厩舎の通路だった。
任期満了にともない、2018年7月1日告示、8日投開票を迎える埼玉県東松山市長選。IWJのコンテンツでも常に人気上位にある、東京大学東洋文化研究所の安冨歩(やすとみあゆみ)教授が、6月21日、埼玉県比企郡滑川町にある牧場「比企の丘キッズガルテン」で出馬会見をおこなった。
安冨教授は大阪市の出身だが、現在は東松山市に在住。
▲東松山市長選に出馬を表明した安冨歩・東京大学東洋文化研究所教授
安冨教授は2012年以降、『原発危機と「東大話法」』(明石書店)をはじめとする数々の著書で「東大話法」、「立場主義」などの言葉を生み出し、欺瞞的な言葉で日本人の精神世界に巣食う立場至上主義を批判してきた。
また、2013年以降は「女性装の東大教授」としても知られている。
東松山市の中心街から車で20分ほどの郊外にある「比企の丘キッズガルテン」には、埼玉県の記者クラブメデイアやフリーランスの記者ら20人ほどが集まった。
- 日時 2018年6月21日(木) 15:00~
- 場所 比企の丘キッズガルテン(埼玉県滑川町)
- 詳細 東松山あゆみの会
社会の細分化が思想や思考の貧困を生み出している!? 現代社会に必要なのは前近代的な統合された知識人だ!
「現代社会の最も大きな問題は、職業など様々なものが分断されていることにあると私は考えています。特に学問の世界における専門の細分化というのは非常に深刻で、ちょっと分野が違ったらもう話も通じないというような状態なんですね。そのことが生み出している弊害というのは非常に大きいと考えています。
というのは、世界は一つしかないんですね。全てのことはお互いにつながりあっています。だから、何かの物事を考えるときに、それを経済、社会、政治というふうに区切ってしまうこと自体が、私たちの思想や思考の貧困を生んでいる、というのが、私の研究上の考えです。
今、私は絵を描いたり音楽での活動もしていますが、私自身、様々な研究分野以外に芸術とか、そういうものを統合しないといけないと考えています。
王陽明(注)のように、統合的な知識人、前近代的な知識人が現代社会には必要だと考え、数年前からそういう研究にシフトしました。
ただ、自分自身が政治までやるとは思ってもいませんでした。
東松山には森田光一さんという非常に強力な現職市長さんがおられます。対立候補となるべき人がいないということから、無投票になるのは避けたいというお考えの市民の皆さんから、出てくれないかと言われました。その時に、これは政治をも含めた学問的知識人であるということを実現するための、得難い機会だと思ったので、立候補しようと考えました。
ですから、学問の世界を離れて政治の世界に入ろうとは全く思っていません。私の研究の一部として、政治も含めていきたいというふうに考えています」
注:王陽明
中国の明代の儒学者、思想家であり官僚で武将。仕事や日常生活の中での実践を通して心に理をもとめる実践儒学「陽明学」を起こし、知と行を切り離して考えるべきでないという「知行合一」を主張した。(ウィキペディアより)
選挙を通じて多くの人に「こどもを守るということは私たちの社会の未来を開くために最も重要なテーマだ」と伝えたい!
安冨教授は、東松山市長選に立候補した理由をこのように語った。その上で、「こどもの身体、命と魂を守る」ということを立候補に際しての政治的メッセージとして提示した。
全編、とても興味深く聴いた。お考えをはじめて聴いたのでそう感じたかも知れませんが。
どうも、そうではなない。
一つ一つが、刺激的で、
小生は、
そうだよな、
アベ独りに振り回されてコイツを倒したいといろいろ考え動き、
その営為が、言葉を尽しても解る相手ではそもそも無かったので、話にならない、
ものすごくつまらない、こんなヤツにはモッタイナイことをしていると感じることが多く腹が立つ、
ナゼならアベ個人にもトリマキ全てにも、為したことと言えば「破壊」と「単一」しか無く、
コイツらに向けて日本語を放っても、
そもそも「破壊」の中に入れられた幾つもの「言葉・日本語」の数は少なくなく
「汚い垢にまみれ臭く」、以前のような使用はモウしたくはない、
それらの汚濁・臭気が、時間を掛けて『自然界の治癒力』で抜け落ち切るまで、
出来得る限り使わないで居よう、
それは「言葉」だけに留まらない、
アベら以外の誰にも同じく重要な、ものごと、
『政治』を視る、考える、その『視点・角度』にも、
歪められて流布したもの及び「単一・モノトーン」で染まった「硬直」を視る…
(そういうことを上記で「つまらない」と申したつもりです)
その時に・今この方が話されることは、
『発想』自体が『自由で柔軟』だから『ものごとをとらえる角度』もそれぞれ多様であることに感心し、
『ヘェ~、脳味噌に刺激がトントン』『とっても面白いやん』…と、
(『えっ、もう一時間過ぎたの~』)
それだけでは、『政治』&『立候補した意味』他に結び付かない、
話は続けられ、きっちり結び付いて、説得力にも富む。(その辺は、この動画を皆さんもどうぞ!)
『子どもたちの生命ほか大事』を守る。
『政治』をその点から『発想』し、
そのためなら私は『先頭にたって』『たたかう』。
そこからずっと先へ視線をやると…
『懐かしい』と『未来』とを結び付け、『懐かしい未来』とおっしゃる。
この『懐かしい』には、『日本の伝統的な文化』が広く土台として位置しており、
しかもそれは単なる『懐古趣味』や『狭隘な日本自慢』でもないと、小生は受け止めた。
…だから、これと『未来』とを結び付けても何の違和感も覚えない。
とても魅力ある言葉だなぁ~、『懐かしい未来』…
経験していない『未来』がナゼ『懐かしい』となる? いやいや、そこが良いのです。 美味しいのです。
お話に『統一性』と『一貫性』を感じるのは、この『懐かしい未来』の言葉一つでも、他でも同様。
なので…この辺と、
現市長・市政「打倒」で『立候補』されたのではないこととは
『道理』を以て『結び付く』のでしょう。
小生にとっては、近所の八百屋さんのおっちゃん、姉ちゃんに声をかけて入ると、
「へっ!いらっしゃい!」と返って来る、
元気の良い『小営業』が街に幾つも『住民』目線で生きて在った『生活空間』を思い浮かべる。
父ちゃんに叱られプイッと外に出て遊び相手を見つけ…コソッとイタズラもたまにはしたり…
あとで振り返ると、そういう子どもたちの様子を、
仕事をしながらどこかで温かく見ている大人たちがいたと思う。
目には見えない安心感があったのは、そういうことか。
(〆)