「めぐみさん 青い海を翔んで日本へ」横田滋・早紀江夫妻講演会 2012.10.20

記事公開日:2012.10.20取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 2012年10月20日(土)15時30分から、長野県上田市の『ささや』において、北朝鮮拉致被害者の横田めぐみさんの両親、横田滋・早紀江夫妻を招いた講演会「めぐみさん 青い海を翔んで日本へ」が行われた。上田市の元小学校長、久保田賢一氏の教育ネット久保田クラブが主催した。

■全編動画
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  • 日時 2012年10月20日(土)15時30分
  • 場所 『ささや』(長野県上田市)

 冒頭、主催者の久保田氏から、拉致担当大臣の交代劇について感想を求められた横田滋氏は、「それまでの松原担当大臣が、二元外交だと言われて、法務大臣兼務の田中慶秋議員に変わってしまった。松原氏は、超党派で拉致議連を作ったり、事務局長代理を務めたり、野党時代から拉致問題によく取り組んでくれた」と語った。そして、「田中大臣は就任早々、外国人献金授受や暴力団との関係を糾弾されて辞任に至り、とても残念だ」と述べた。

 次に、横田早紀江氏がマイクを受け、「政府も大臣も総理も、しょっちゅう変わり、そのたびに永田町に嘆願に通っている。今回も、拉致被害者は誰も知らなかった田中議員に変わってしまった。今までの松原議員は、一生懸命にやってくれていた。それなのに急に変わってしまい、裏になにか別の大きな力が働いているとしか思えない。そんなことが繰り返されている」と憤った。

 久保田氏から「今年8月から9月、東京と大阪で『横田めぐみさん写真展』が開催された。その会場に、自民党の安倍晋三議員が来場したが、どのような話をしたか? また、拉致問題に限っては、安倍自民党総裁のほうがよかったと思うが、その点についてはどうか」と問われると、滋氏は「安倍議員は写真展をゆっくり鑑賞していた。私どもに、ねぎらいの言葉をかけてくれた」と答えた。早紀江氏は「安倍議員は拉致問題に理解があり、これまでも尽力してくれている。ただ、身体には気をつけてほしい」と話した。

 9月に、東京の日比谷公会堂で『すべての拉致被害者を救出するぞ!国民大集会』が行われたことについて、滋氏は「国民大集会は、平成9年から始めたが、だんだん大きな運動になっていった。超党派の拉致議連、救う会、家族会が主催し、国会議員、知事、県議会の拉致議連など、多くの人が参加した」と語った。また、政府が認定した拉致被害者17人のうち、13人が1977年と1978年の2年間に拉致されていることにふれ、「1976年に、金正日から外国の子どもの拉致指令も出ている。めぐみは1977年に13歳で拉致された。蓮池薫さんは1978年、浜辺でタバコの火を貸してくれと言われた途端に殴られ、麻袋をかぶされ拉致されている」と振り返った。

 10年前、外務省飯倉公館での記者会見で「めぐみは生きています」と言った気持ちや、今でも全国行脚をしている心境について、早紀江氏は「2002年、1時間以上待たされ、福田官房長官と植竹外務副大臣から娘の死亡を伝えられた。しかし、証拠も何もないのに、娘が死んでいる、とはまったく信じることはできなかった。曽我ひとみさんが、ある集会で『絶対、誰かが助けに来てくれると信じていた』と語っているのを聞いて、とても励みになった」と語った。

 横田めぐみさんは10月5日生まれ、横田滋氏が11月生まれということで、途中で誕生日のセレモニーが執りおこなわれた。

 最後に、横田夫妻が「戦争中に、今の北朝鮮で亡くなった日本人のお墓や遺骨の問題で、全国清津会というところが、外務省に遺骨収集を申し入れて認められ、8月に平壌に行き、政府関与のもと遺骨調査を行った」と報告した。早紀江氏は「拉致問題ではないが、遺骨収集のラインで日朝協議が始まった。いま、一番大事なところに来ていると思う。拉致担当大臣も、日朝問題に精通した政治家にやってもらいたい」と訴えた。その後、参加者一同で『ふるさと』を斉唱し、講演会を終えた。

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