「維新の党」の分裂劇が泥沼化しています。
総務省は2015年10月20日、申請がなかった共産党を除く8党に2015年分の政党交付金を支給しました。政党交付金は4月、7月、10月、12月の年4回に分割して交付されるので、今回は第3回交付分になります。
今回の支給で維新の党は6億6600万円を受け取ったのですが、維新の党はこれを引き出せずにいます。というのも、現在、党内抗争に敗れ、維新の党を除籍された「大阪維新の会」系の皆さんが大阪にある維新の党本部に「籠城」。維新の党執行部に交付金を渡すまいとして、交代で本部に張りつき、交付金の引き出しに必要な通帳と印鑑を死守しているからです。
「大阪維新の会」系の議員は、通帳の返却を求める維新の党執行部側の訴えにも応じず、明日24日には、大阪で維新の党の「臨時党大会」を開催し、維新の党を「解党」すると公言しています。しかし、除籍された議員らに党大会を開く資格はあるのでしょうか。
除籍された大阪維新の会系の議員らは、維新の党・松野頼久代表と執行部の任期が「9月末」時点で切れており、したがって、除籍の通知も「無効」であるといった主張です。今も維新の党所属の議員である以上、「臨時党大会を開催する資格がある」ということですね。
他方、執行部側は、正式な手続きを踏んだうえで任期を延長しており、除籍の通知は「有効」であるという立場です。よって、除籍された議員らが開く臨時党大会は「無効」であり、もし、無効の臨時党大会で「維新の党を解党する」と決定し、総務省に「解党届け」を提出した場合、「偽計業務妨害罪」が成立するなどと主張しています。
大阪維新の会の幹事長・松井一郎大阪府知事は「訴えたらええやん」と強気。法廷闘争も辞さない構えです。しかし、一体、何がどうこじれてこうなったのでしょうか。振り返ってみたいと思います。
もともと国政化を狙っていた橋下氏、結党1年と持たなかった「維新の党」
もともと維新の党は、2014年9月に「結いの党」と「日本維新の会」が合流してできた政党です。
結いの党は、「みんなの党」の渡辺喜美さんと袂を分かった江田憲司さん派の皆さんを中心に構成されていました。日本維新の会は、石原慎太郎さんが率いる太陽の党と合流したものの、分裂。石原さん派は国政政党のなかでも最極右の「次世代の党」を旗揚げし、もう一方の橋下徹さん派が結いの党と合体して「維新の党」となった…という歴史があります。
政策に関しては党内でもいろいろと合わないことがあったようで、今年の通常国会でも、安保関連法案や派遣法改正案をめぐって足並み乱れる場面が目立ちましたよね。
思えば、維新の党内の不協和音は早いうちから表面化していました。
最高顧問(当時)の橋下大阪市長は7月4日、代表を務める大阪維新の会合で「いつでも自立できる準備をしておくように」と国政政党化への準備を指示。顧問(当時)で大阪維新の会の幹事長・松井一郎大阪府知事も翌5日、大阪維新の会が維新の党を離脱し、国政政党とする準備を検討していることを明言。柿沢未途幹事長(当時)はさらに翌6日の会見で、「大阪維新の会」の国政政党化構想について「聞き流すわけにはいかない」と遺憾の意を示しました。
橋下氏は当時、「今すぐどうこうするというものではない」と釈明していましたが、最近の維新の党の分裂の構図も、大阪維新の会としては早い段階から描いていた絵にすぎないのかもしれません。
橋下最高顧問、松井顧問が離党…「大阪維新の会」の国政政党化を宣言
山形市長選(9月13日投開票)での対立は決定的でした。柿沢未途幹事長(当時)が、地元の意向に反して梅津庸成候補(民主・共産・生活・社民推薦)を応援したとして、大阪系は強く反発し、柿沢氏に幹事長の座を降りるよう要求しました。
柿沢氏は「幹事長の立場で軽率な動きをした」と陳謝しつつも幹事長は続投する意向を示し、これに怒った松井一郎顧問(当時)は記者団に対し、「(柿沢氏が)自分は間違っていないと言うならば、病院に行った方がいい」と言い放ちました。
結局、山形市長選でこじれたことも手伝ったのか、8月27日、橋下最高顧問と松井顧問は維新の党から離党すると表明します。離党の表向きの理由は、11月の大阪府知事、大阪市長のダブル選挙に向けて、「国政と距離を置き、大阪の地方政治にしっかりと取り組む」というものでした。
このとき橋下氏は、「引きずって党を割る話ではない」と明言し、維新の党を分裂しないとの認識を示しましたが、翌28日には大阪維新の会の国政政党化をブチ上げ、事実上、わずか1日で「党を割らない」宣言を撤回。「大阪維新の会で国政政党をやる。東京、大阪を本気で2極にするには政治力を持たなくてはいけない!」と訴えました。
つい1ヶ月前にも、大阪維新の会の国政政党化について「今すぐにではない」と言っていたのですが、割と「今すぐ」だったと言えそうです。
10月1日には国政新党「おおさか維新の会」の結成記者会見を開き、橋下氏は「(維新の党は)偽者の維新になってしまいましたから、本物の維新を作る必要があります」と宣言しました。
維新の党分裂の裏側には執行部に遅れをとった「大阪維新」側の焦りも?
しかし、「本物の維新を作る」というのであれば、わざわざ離党なんてしないでも、目前に迫った維新の党の代表選挙で白黒をつければよかったのではないでしょうか。
これについてジャーナリストの横田一さんは、IWJへの寄稿のなかでこんな裏話を披露しています。
「山形市長選を取材していた9月上旬、私は永田町ウォッチャーからこんな情報を耳にしていた。『代表選は当初、地方議員や党員が関西地区に多いため、「大阪系が候補者を擁立すれば、大阪系の勝利は確実」と見られていたが、非大阪系が党員集めを精力的に行った結果、形勢が逆転した。それで、松井一郎府知事(維新顧問)と橋下市長(維新最高顧問)が離党を決断したと見られている』。
自分たちが有利なはずだから党内で代表選挙を行おうともくろみ、実際には関西が不利になり、前述のように一票の価値をあれこれ変更するように強引に要求を通し、それでもなお、自分たちの形勢不利が変わらないとわかったため、離党することを決断したわけである」
これが事実であれば、橋下氏は、口では「本物の維新を作る!」と勇みつつも、実際のところは「敵前逃亡」だったという話になります。
分党? 分派? 維新の党「残留組」と「おおさか合流組」が協議
橋下氏らの離党を機に、路線対立から分裂が確実となった維新の党。
党内は維新の党に残る「残留組(執行部系)」と、おおさか維新の会に合流する「おおさか合流組(大阪維新系)」のふたつに分かれ、9月29日からは、「では、どう分裂しましょうか?」といった協議が始まりました。
焦点は「維新の看板」と「政党交付金の行方」です。
まず、「看板」の問題ですが、「おおさか合流組」の片山虎之助総務会長(当時)と馬場伸幸国対委員長(当時)は、「橋下徹あってこその維新だ!」と強調し、分裂後は維新の党の党名を変更するよう求めました。
しかし、先に離党したのは橋下徹氏や松井一郎氏であり、「残留組」の松野代表らからすれば、「そっちが勝手に出て行くと言い出したのに、なぜ我々が党名を変えないといけないのか」となるわけで、当然、「おおさか合流組」の要求は飲めるものではありません。
もう一方の「政党交付金」の問題ですが、政党助成法上、政党が分党する方法には「分割」と「分派」の2種類があります。党を分ける「分党」であれば、政党交付金を議席数などに応じて配分できますが、議員が一方的に集団離党し、新党に合流するような「分派」の場合は、新党組(この場合「おおさか合流組」)には交付金が配分されません。
「おおさか合流組」が20人程度で「分党」するのであれば、5億円超の政党交付金が配分される計算になりますので、馬場氏などは当然、「分派」ではなく、「分党」を求めていたようです。
維新の党の柿沢前幹事長は10月13日夜、BS11の「報道ライブ21 InsideOUT」で、「離党する人たちが自分たちで行動を起こしながら党名を返せ、カネを渡せとかはあり得ない。われわれの側に何かお譲りする大義は見当たらない」と述べ、「おおさか合流組」の要求を拒否する姿勢を示しました。
維新の党の協議は難航します。
「毎月300万円党の金でドンチャン騒ぎ」と報じられていた維新・馬場氏
ところで、少し話は逸れますが、日刊ゲンダイが10月3日付で「分裂『維新』大阪組の異常なカネ遣い」との見出しで、「馬場伸幸衆院議員の金遣いの荒さが大問題になっているのだ。なんと毎月300万円もの党のカネを使って、連日連夜、飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた」と報じていましたね。
柿沢前幹事長が同日、これについてツイッターで「偽装野党のリーダー格の国会議員の、これが行ないです。私自身、苦々しく思っていました。是正に乗り出そうと思った矢先に、私への激しい攻撃が始まりました」と告発。実質、報道を認めました。
馬場氏らは、