「今の自民党は大政翼賛会的。強兵政策に戻ってはダメだ」 〜元自民党副総裁の山崎拓氏が批判「ヒラメ化(上しか見ない)した議員ばかり」 2015.8.8

記事公開日:2015.8.17取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根)

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 「2014年7月1日、安倍内閣は集団的自衛権の行使を閣議決定したが、歴代政権では、集団的自衛権行使はやらないとしてきた。一番タカ派の中曽根総理ですら認めていなかった。『それを俺はやった』と言いたい安倍首相の、個人的宿願があったのではないか」――。自由民主党の副総裁や幹事長など、要職を歴任した山崎拓氏は、このように口調を強めた。

 2015年8月8日、東京・千代田区にある弁護士会館にて、日本弁護士連合会の主催による、「今を戦前にしないために~戦後70年記念シンポジウム~」が開かれた。東京大学文学部教授の加藤陽子氏の「今だからこそ問う~日本はなぜ戦争を止めることができなかったのか」と題した講演と、加藤氏、元自由民主党副総裁の山崎拓氏、九州大学法学部教授の南野森(しげる)氏による座談会が行われ、関西学院大学教授でニュースキャスターの村尾信尚氏が司会を務めた。

 講演の中で、加藤氏は、経済的側面や政府および軍関係者の言葉、史実をピックアップしながら、戦前と戦後の類似点を挙げ、「経済の危機や新しい自由貿易制度、今ならばTPPやFTAと、憲法、安全保障を結びつける考え方は、すでに戦前にもあった」と紹介した。

 そして、1919年のパリ講和会議で批判されて以降、日本はプライドが傷つけられてトラウマになり、それが、いまだに尾を引いていると指摘。「尖閣問題では、日本は日米安保条約第5条適用を、アメリカに言わせようと苦心した。これは、中国に舐められることを恐れ、日本はアメリカと同等だと見せつけるためだ。こういう構造は、戦前も戦後も変わっていない」とした。

 後半の座談会では、山崎氏が、「今の自民党は、大政翼賛会的になっている」と発言。「富国はいいが、強兵政策に戻ってはダメだ。私は防衛庁長官もやったが、今、憲法9条を国是とした日本を貫くべきだと、しみじみ思う」と言葉を重ねた。

 南野氏は、安倍首相はアメリカに対して、思いやり予算や基地提供以外に、血を流さないと守ってくれないのではないか、という疑念があるのではないかと指摘し、北朝鮮や中国の脅威も、果たして事実なのかと疑問を投げかけた。そして、「むしろ、日本をアメリカにもっと追従させる情報操作ではないのか。もし、そういう(本当に脅威となる)事実があるなら、政府・与党は具体的に説明するべきだ」と主張した。

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■ハイライト

■全編動画

  • 講演 加藤陽子氏(東京大学教授、日本史学)「今だからこそ問う〜日本はなぜ戦争を止めることができなかったのか」
  • 座談会
    コーディネーター 村尾信尚氏(関西学院大学教授、ニュースキャスター)
    パネリスト 山崎拓氏(元自由民主党副総裁)/加藤陽子氏/南野森氏(九州大学教授、憲法学)

歴史学は権力批判の糸口である

 冒頭、日本弁護士連合会会長の村越進氏は、「戦後70年、日本は戦争をしない平和国家として着実に歩んできた。本来なら、平和国家70年を祝うはずが、『今を戦前にしないために』と題した本会の開催が残念でならない。軍事力の強化による抑止と平和、という議論がまかり通っている。戦争は、立憲主義の最大の敵である。二度と過ちを繰り返さないために、真剣に考えなければならない」と語った。

 続いて加藤陽子氏の講演となった。加藤氏は、「戦前と現在の憲法、国民の価値観、環境など、すべて変わった中で、戦前の歴史と今を比べることへの異議はあるが」としながらも、「歴史学は批判である」と述べて、まず、昭和15年3月、歴史学者の故羽仁五郎氏が大学生に述べた、以下の言葉を紹介した。

 「友人たちが戦場で戦っている中、特権を受けた大学生たちがなぜ、勉強しなければならないのか。政治権力や宗教的権威は縛り付けるその時代の力だ。それに対し、いかに自由の翼を拡げて批判をするか。その糸口を歴史学は提供してきた。自分たちの住む社会を客観的に批判し、批判しなければ生存が脅かされることがある。そのためにある」

1929年世界恐慌、2008年リーマンショック。その後の歴史の共通項

 そして、加藤氏は、専門外だがと断った上で、次のように戦前、戦後の共通点の検証を試みた。

 ともに発端は経済問題で、第二次世界大戦は、開戦10数年前の1929年、アメリカの市場大暴落がきっかけだ。片や、2008年、アメリカの住宅バブルが引き金になった、リーマンショックからの流れがある。加藤氏は、2015年7月9日、南米を訪問したフランシスコ・ローマ教皇が、ボリビアのサンタクルスで、「新しい植民地主義が生み出されつつある」と述べ、自由競争の名のもとに急拡大した経済格差に懸念を表したことに触れた。

 また、人口学者エマニュエル・トッド氏の、「1929年の大恐慌でアメリカはニューディール政策をやり、ドイツではヒットラー政権が誕生した。戦後は、冷戦終結と欧州統合でドイツという塊を生み出し、EUとユーロ通貨が、ドイツのひとり勝ち状態を作ってしまった」という批判的な論説を対比した。

 そして、日本については、「1929年以降、強烈な政党政治批判が起きる。近衛新体制下、1940年10月、大政翼賛会ができて、一斉に政党は解党する。新国家資本主義のためには、既成政党ではデモクラシーに対応できないとした意見が、一気に知識人や憲法学者、政府の間に敷衍したためだ」と語った。

 伊藤博文などが取り入れた、19世紀の西洋の政治制度は古くさいデモクラシーだとされ、世界恐慌の影響を受けなかったのは、ソビエトなどの国家資本主義の国なので、統制経済の挙国的な大政翼賛会が是となったという。

 加藤氏は、「このように、経済の危機や新しい自由貿易制度、今ならTPPやFTAと、憲法、安全保障を結びつける考え方は、すでに戦前にもあった。ゆえに、この危機への対応は、経済における自由競争の難点をきちんと語ること。それが安全保障や外交のためにもなる」と主張した。

幣原喜重郎「戦争を繰り返さないためにも敗戦の実体を明らかにすべき」

 続いて加藤氏は、戦前と戦後の歴史を比べることは無意味だとの批判に、1945年10月、戦前の総括をするため、幣原喜重郎内閣の下で発足した大東亜戦争調査会(9ヵ月で散会)と、水津利輔氏が、満州傀儡国家で鉄鋼増産を強要した自責の念で残した、3500点におよぶ満州での鉄鋼生産の資料『日本・旧満州鉄鋼業資料解題目録』(一橋大学・スタンフォード大学蔵)を挙げて反論していった。

 「戦争調査会を設置した幣原は、『大東亜戦争の敗戦の実相を明らかにすることは、この災禍を繰り返さないためにも必要だ』とした。1946年3月27日、第1回総会の速記録によれば、『今日、戦争放棄を宣言、国際社会に単独で進み出るが、世界は、いずれ私たちについてくる時代になるだろう』『将来、戦争の災禍を忘れてしまうかもしれない。その時に、戦争は割に合わないという記録を残すのが調査会だ』などと述べて、強い決意を示している。また、水津氏は、『敗戦の記録は世界への贈り物だ』と言っている」

 ちなみに、日本国憲法草案の政府発表は、1946年3月7日。憲法9条など、戦争放棄案を知らされたのは2月末だという。加藤氏は、「アメリカが案を作った平和憲法かも知れないが、幣原を始め、すでに戦後のスタート時点で、戦前と戦後を見比べている事実を確認してほしい」と力説した。

軍部とマスメディアに騙された国民の意識は戦争へ向かう

 では、なぜ戦争を回避できなかったのか――。こう疑問を投げかけて、加藤氏の講演は次のテーマに進んだ。

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 「1941年、日米の決裂の原因となったのが、満州国と防共駐兵権だ。日本はアメリカの仲介で、中国と戦争をやめる妥結をすることを試みる。すると、アメリカは2年後の完全撤兵を条件に、日米交渉に蒋介石を同席させると提案するが、日本は交渉を蹴った。そのために更迭された松岡洋右外相は、『東アジア政策を堅持してほしいと願う。なぜなら、24万の戦死兵士と巨大な国費でその基礎を築いたからだ』と発言している」

 そう述べると加藤氏は、いかに当時の日本国民が、政府軍部とマスメディアに騙されていたかを、当時の言葉から解き明かしていった。

 「評論家の尾崎秀実は、『日米交渉を妥結させたい海軍上層部、外務省、宮中に対して、民衆は、弱い中国のためにロシアから満州を取り戻してやったというストーリーを信じ込み、妥結した際は、陸軍といっしょにクーデターでも起こし兼ねない勢いだ』と書き残している。

 昭和天皇は、1941年9月、開戦詔書の準備に入るが、その際、木戸幸一内大臣に、『1933年の詔書では世界平和を述べたが、国民は、これをなおざりにしているようだ。1940年9月、日独伊三国同盟の詔書では、『平和のため』が忘れられ、いかにも英米に対抗するがごとく、国民が考えているのは、誠に面白くない』と述べている」

戦前のトラウマ――中国に舐められること

 加藤氏は、「今、日本政府が政策的スタンスを語る時、ホルムズ海峡が封鎖『される』など、常に受け身で表現する」と指摘する。「日清戦争開戦直前、睦奥宗光外相は、『最初に、清国に主導させること』と書いた。太平洋戦争1年前の海軍の会議でも、米英が開戦を仕掛けた形になるようにとしており、「内部の議論と、国民に伝えることが違うことは、わかっていてほしい」と述べて、このように続けた。

 「関東軍作戦参謀だった石原莞爾は、満州事変の3年ほど前から軍事的な計画を立てていた。しかし、農民には『満蒙開拓で儲かる』、知識層には『中国は条約を守らない』と訴え、メディアを使って煽動した」

 また、加藤氏は、ウッドロウ・ウィルソン米大統領が戦勝国の日本を強く非難したパリ講和会議、ワシントン会議での日英同盟破棄、9ヵ国条約締結、排日移民法などで、日本人のプライドが傷つけられ、トラウマになったと語る。「それが、いまだに尾を引くように、尖閣問題では、日本は日米安保条約第5条適用を、アメリカに言わせようと苦心した。これは、中国に舐められることを恐れ、日本はアメリカと同等だと見せつけるためだ。こういう構造は、戦前も戦後も変わっていない」と述べて、講演を終了した。

「今の自民党は大政翼賛会的だ」

 休憩後、山崎拓氏、加藤氏、南野森氏による座談会を、村尾信尚氏の司会で行なった。村尾氏は、自衛権の形がどんどん侵略に変わっていくのではないかと切り出し、「吉田茂元首相は国会で、戦争は自衛権から起こると言った。また、どこをスタートにするかで、自衛か侵略なのか、意見は変わってくる」と述べ、まず、加藤氏の講演内容についての感想を尋ねた。

 山崎氏は開口一番、「今の自民党は、大政翼賛会的になっている」と発し、「本来、自民党は、保守もリベラルもいて、お互い活発な議論があった」と続けた。南野氏は、「戦前と今とが、思ったより似ていて怖くなった。しかし、一方では安倍首相のおかげで、立憲主義や憲法の認識が広まり、国民の意識のレベルが上がり、安堵もしている」と話した。

 安倍総理は、「国際情勢が変わったため」と安保法制の必要性を説くが、この点について山崎氏は、中国の軍事力の膨張、テロの跋扈、サイバー攻撃などの懸念を認めた上で、「しかし、そのために集団的自衛権の行使が必要だろうか。国会では憲法議論ばかりで、国際軍事情勢の議論がない。南沙諸島へ自衛隊が行くことにも疑問がある」と語った。

「国際情勢の悪化」ではなく「外交努力の欠如」

 村尾氏は、「中国への対応など、アメリカなしの国防論は成り立つのか。また、国連憲章で集団的自衛権は認められているが、その行使を認めずに、日本はどう対応したらいいのか」と質問した。

 山崎氏は、「領海、領域は専守防衛計画でできる。アメリカの核抑止力に頼ることは国連も認知している。また、もし、中国が攻めて来るなら、最初に破壊しなければならないのは、日本の米軍基地だろう」と応じた。

 加藤氏は、「中国は国内の安定と軍事政策のズレが、現在の海洋進出などに現れている。そのズレは外交交渉で対応できる。国際情勢の悪化ではなく、外交努力の欠如が、そう見せているのだ。国際連合憲章のレジームの古臭さもある」とした。

 南野氏は、まず、山崎氏の意見に同意し、「安倍首相は、アメリカがちゃんと守ってくれるのか、という信用の有無を問うている。思いやり予算や基地提供以外に、血を流さないとアメリカは守ってくれないのではないか、との疑念があるからではないか」と述べた。

 また、北朝鮮や中国の脅威は果たして事実だろうかと疑問視し、「むしろ、日本をアメリカにもっと追従させる情報操作ではないのか。もし、そういう(本当に脅威となる)事実があるなら、政府・与党は具体的に説明するべきだ」と話した。

ヒラメ化(上しか見ない)した新人議員ばかりの自民党

 安全保障関連法案ついて、山崎氏は、「法案は複雑な体系だが、今回は10本の改正案とPKO法1本の恒久法がひとくくりだ。それぞれが一回の国会を要する重要な法案だ」と話すと、加藤氏が、「なぜ、大政翼賛会的になってしまっているのか」と尋ねた。

 山崎氏は、「2014年7月1日、安倍内閣は集団的自衛権の行使を閣議決定したが、17代にわたる歴代政権では、集団的自衛権行使はやらないとしてきた。一番タカ派の中曽根総理ですら認めていなかった。『それを俺はやった』と言いたい安倍首相の、個人的宿願があったのではないだろうか」とし、次のように断じた。

 「言い換えると、安倍政権が非常に強い政治権力を握ったということ。小選挙区制で、外交や防衛は票にならない。(その分野に疎くなった)与野党の政治家は、外務・防衛官僚の暴走を抑えることが難しくなる。今は、ヒラメ化(上しか見ない)した新人議員ばかりになってしまった」

集団的自衛権の歯止めは安倍首相の頭の中、という恐ろしさ

 南野氏は、集団的自衛権に関する歴代の政府見解について、「すでに違憲論は、1950年代後半の外務省局長の答弁で残っている。さらに、1960年の安保国会で、岸信介首相と林修三内閣法制局長官が、繰り返し、集団的自衛権行使は違憲と断定している。これを今、一内閣が変えることになると、憲法の拘束力は消滅する」と危惧する。

 「閣議決定は、幅を持たせた文言と理解したが、法案になっても曖昧模糊としており、歯止めは安倍首相の頭の中にしかない。『私が行かないと言うから、行かない』などのレベルで、文言に明記していないことは恐ろしい」

 村尾氏が、「憲法を守って国が滅んでもいいのか、という意見もあるが、どう答えるか」と尋ねると、南野氏は、「緊急事態があったとしても、それに備えるための時間的余裕も、リスクの蓋然性の説明もなく決めるのだとしたら、歯止めはない。法の崩壊につながる」と返した。

「戦後70年・安倍談話」を出す必要があるのか

 ここで、村尾氏はテーマを変え、戦後70年の安倍談話の注目点についてコメントを求めた。

 加藤氏は、8月6日の有識者会議の報告書について、「戦前の総括、戦後の歩み、米英豪の関係修復に各6ページずつ割き、残りがアジア周辺諸国の関係で、分量的なバランスはいい。内容はクールでスマートだが、宗教や価値観の部分に触れていないところが、相手の感情に訴えることができるのか、やや気になった」と答えた。

 山崎氏は、「談話を出す必要性があるのか疑問だ。なぜなら、政治的意味合いが強く、出す以上は国益に資するためでないとならない。これまでの首相談話への(安倍首相の)対抗心ではないか。安保法案は外交でもあり、そこに外交的な談話をぶつけることで、さらに国策を誤ることになりかねない」と強く疑問を呈した。

 南野氏は、「安保法制懇メンバーの北岡伸一氏だが、歴史認識は悪くないが、日韓関係の部分には、やや違和感がある。『侵略』という言葉を外す、という報道もある。閣議決定する以上は、外交問題でもあり、日本政府としては厳しい立場にあると予想する。安倍首相のこだわりが強いと、国益を損なう」と述べた。

湾岸戦争、アメリカの軍事費は日本の支援金を使ってゼロに

 さらに村尾氏は、戦後70年に思うこと、今を戦前にしないために何をするべきか、3人に尋ねた。

 南野氏は、戦後70年、自衛隊は憲法9条との整合性の点で批判を受けながらも、自衛隊員の戦死者も、他国民の殺害への関与も1件もないとし、「そのすべてが根本的に変わる重要な法案を、11本を1本にして審議して、衆院での強行採決。さらに、60日ルールをちらつかせる。明らかに憲法違反の法案で、安易に、また詭弁を繰り返す状態は許せない。表現の自由を唯一最大の武器として闘うしかない」と強く訴えた。

 加藤氏は、「外務官僚、防衛官僚の暴走はトラウマが原因だ。それを明らかにするのが歴史家の仕事だ」とし、以下のように続けた。

 「湾岸戦争でのアメリカの軍事費はゼロ。日本の支援金90億ドル(1兆1700億円)のうち、アメリカが1兆500億円を使ったからだ。クウェートが使った分は6億円のみ。だから、クウェートからの謝意には日本の名が載らなかった(2014年4月27日・日経新聞)。イラク戦争でも、日本は貢献国から外されたが、これも米軍の内部事情によることがわかっている。ゆえに、日本の国際貢献のトラウマは作られたものなのだ」

 山崎氏は、加藤氏の湾岸戦争の話を受けて、「当時、私は海部俊樹内閣で安全保障調査会長だった。海部首相にアドバイスを何度も求められ、『有志連合に参加はできない、資金援助なら』ということで、臨時石油課税などで資金を調達できたことは今でも驚く」と振り返った。そして、「現在、それをトラウマとして、自衛隊の海外派兵をする理由は、(調達できる)資金がないことと、『国際貢献』と称する自衛隊の後方支援、海外派兵を外交ツールにすり替えているからだ」と指摘した。

 さらに、「戦前回帰はないが、解釈改憲で、国のかたちを変えることはあり得る。富国はいいが、強兵政策に戻ってはダメだ。私は防衛庁長官もやったが、今、憲法9条を国是とした日本を貫くべきだとしみじみ思う」と断言した。

言論、報道、思想、信仰の自由は「戦争の敵」

 村尾氏は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3本柱で憲法は成り立ち、戦争の芽を摘むために、国民主権と基本的人権の尊重はとても有効であり、投票は大事な個人のツールだと述べた。その上で、「言論、報道、思想、信仰の自由は、戦争の敵だ。自分自身も携わるメディアの仕事でも、自粛なく事実を伝えることに努めたい」と対談を締めくくった。

 その後、会場から寄せられた2つの質問に山崎氏が答えた。「近隣諸国にとって、日本の軍事力が脅威になっていないか」という問いには、「日本が専守防衛政策をとっている以上、近隣への脅威にはなっていない。中国とは日中平和条約があり、安倍首相は、安倍談話を出すのではなく、習近平国家主席と平和5原則の再確認をするべきだ」とした。

 また、「自民党は、改憲と国防軍の創設が宿願ではないのか」という質問には、山崎氏は、「自衛権は当然、認められるべき。憲法9条1項は変えず、第2項で自衛権を認め、国際紛争の解決手段に武力行使は使わないと追加する、というのが私の意見だ」と回答した。

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