【IWJブログ・特別寄稿】「明日戦争がはじまる」の作者です。こんにちは。(第1回) 詩人・宮尾節子 2015.5.5

記事公開日:2015.5.5 テキスト
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 「鳥肌が立った。」「凄すぎる!」「この詩はすごい。この数十行の中に、今の空気が濃縮されている!」「詩って、こんなに凄い力があったのか!」「胸にブッチと、矢が刺さった感じがした。」「すごくリアルに見えてしまうこの時代がこわい。」「通勤電車で、涙が出そうになる。」「秀逸です。」「すばらしい。詩とは本来、このぐらいのパワーを持ったもの。小学校の教科書に載っている詩と称されるもの、あれはいったい何だ」「考える事、想像することを放棄してしまいそうないま。人間が人間として在るための。心が心として在るための。最後の砦のような詩だと思いました。ありがとうございました。」「背筋に冷たい水を浴びさせられたような気持ちになった。」

「この詩をじっくり読み、現実を見よ。」「身震いがした」「言葉の力は、そこに魂が込められた時、もの凄いものになります。この詩は、そういうものです。」「思わず前屈みになって2回読みました。詩がこれほど力を持つとは新鮮な驚きです。」「なんか怖いな、って空気をうまく言ってもらった感じだ」「ハッとするよ。リアルに。」「感傷を削ぎ落した言葉から、今の時代の不穏な空気が、ひしひしと、伝わってくる」「これを読んでなにも感じないのだろうか」「言葉は一見衝撃的に見えるけど、何を伝えたいかはよくわかるね。」「恐ろしい、ゾッとする。」「なんか凄く今の時代の状態が映し出されている感じがする…そう思うと怖い」

詩人たちにとって、ネットの出現は「福音」だった

 2014年の1月22日に、わたしはツイッターにひとつの小さな詩をアップしました。それは、何年も前からやっているいつもの作業でした。ツイッターは文字数が限られているので、その枠には入らない詩や、縦書きにしたいなと思うものを画像処理して、ツイッターやフェイスブックそしてブログにあげていました。この詩も、その一つです。

 なぜ、ウェブにかというと、答えは簡単で詩を掲載する場所が、他になかったからです。日本には2,3の詩の専門誌を除くと、詩を掲載する雑誌など紙媒体は皆無といっていいのが現状です。そして、数少ない専門誌の誌面は、詩誌の傾向に即した少数の常連詩人および定期購読会員がだいたい占有しています。

 それに対して、日本全国に詩人たち(詩を書く者たち)は、「およそ、一万人はいるね」というのが、ちょっと昔、それもインターネットが詩の発表場所として普及していない頃、わたしが耳に入れた詩人人口です。詩人たちにとって、ネットの出現は福音でした。現在はもっと増えていることでしょう。多くの人の目に触れる場所に恵まれないなかで、それでもたくさんの詩人たちが居て、たくさんの詩が(少人数の同人誌や各自のホームページやウェブサイトの投稿欄などで)現在も書かれ続けています。

ある日、奇跡がおこった ~スマホから鳴り止まなくなった通知音

 書いたからにはなるべく多くの人に届くようにと願うのは、書き手の人情です。しかしながら、ではインターネットによって読者が増えたのかというと、ことはそう簡単には運びません。現実的にはやはり類は類をで、残念ながら結局ここでも、「詩を読む者は、詩を書く者たち」であり、狭い同類の集まりの場、井の中を越えるものではありません。ですから、詩を掲載してもせいぜい数人の、あるいは数十人の仲間から「見たよ」というサインが届くのが通常の反応でした。ところが──ある日、奇跡が起こった。

 この詩をウェブにあげて、しばらしくしてから、スマホから通知音が鳴り始めました。そして日を追うごとに頻繁に鳴り続け、ついには鳴りやまなくなったのです。それは、次つぎとリツイートやシェア(詩の引用や転用)がされたという知らせでした。その数は数十から数百、数千と拡がり続けました。

 しばらくは、いったい何が起きたのかよくわかりませんでした。冒頭にあげたものは、その時の引用に添えられていたいろんな方がたの詩の感想の一部です。大変驚きましたが、大変嬉しかったです(ありがとうございます!)。普段の地味な作業のひとつに、まさかこんなに凄い反応が起きるとは夢にも思っていませんでしたから……。

「反戦詩」と呼ばれることへの、驚きと違和感

 詩を書く以上、読んで貰えるのは、そして反応や感想を頂くのは何よりの喜びです。最初は、『ありがたいなあ』と感謝の気持ちで、ただただ喜んでいたのですが、どんどん数字がはねあがり、千から万へと変わる頃には、自分の許容範囲を超えた数字の暴走に、何だか不安で落ち着かなくなってきました。

 やがて、この詩が「反戦詩」と呼ばれ始めたことにも、正直、違和感を覚えました。わたしは、戦争という言葉をつかって「詩」を書きましたが、それは詩の得意とするあくまで比喩であり、自分が「反戦詩」を書いた自覚はなかったからです。

 この詩を発表した、前年の12月に国会では秘密保護法が成立。報道関係者や表現者に不穏な影を落とした頃でした。多くの人の目にとまったのは、その時期に掲載したこともあります。その後、少し拡散の波はおさまったのですが、続いて集団的自衛権の閣議決定と、それに抗議した方の焼身自殺未遂の事件があり、再び政治の動きに合わせるように、わたしの詩の拡散もますます勢いを増していきました。

 政治の動向に危機的状況を感じ取って声あげする人々、常日頃より地道に反戦運動を続けておられる方々に、多く支持して頂いて、この詩はたくさんの方々に読まれ、次々と拡散されていきました。とてもありがたく思いながらも、どうしても胸の曇る思いが拭えませんでした──。

 「まさに、今の時代を表している」と言って貰えることには「わが意を得たり」の思いでしたが。「まさに、今の政治を表している」と言われることには、何か思いがけない飛躍がありました。

 わたしはちっぽけな人間です。わたしは人を見て、人の暮らしを眺めて、ちいさな詩を書いています。政治より、身のまわりの人の動きが先です。この詩でも先に、人がこわいなと思いました。まず人ありきなのです。そこがまず政治ありきの運動家の方と決定的に違います。あっちがこわいより先に、こっちもこわいぞと──。

 わたしはいつの間にか変質していく「こころの怖さ」を書いたつもりです。それは、われわれの「共有するこころ」のことです。わたしだけのこころではなく、あのひとだけのこころでもない、お互いのあわせ持つ「人間のこころの怖さ」です。人の存在や命が軽んじられていく、怖い政治になる前に、怖い我われという兆候はなかったか──詩が向くのはそこです。少なくともわたしの詩は──。

 多くの方々に支持されたものが、ひとつのフィクションとして、想像で書き出した「作り話」であることにも、複雑な(申し訳ない)思いがありました。しかしながら、「詩はこころの声」だと思っています。人と命がなければ生まれないこころの声が、平和を願うのはあたり前のことです。自由に詩を書くためにも、平和は基本なのです。それでも「反戦詩を書いたのではない。わたしは詩を書いたのです」と告げたい思いが、わだかまりとなって常に、胸にありました。

 この詩は、詩集用にまとめをしている時に見つけたもので、パソコンの履歴を見ると制作日は2007.07.10となっています。実は七年前に作ったものでした──。

「思うところ」に「私たちがいる」

 わたしの郷里は、高知市から西へ約一時間、四国山脈の幾重にも重なる山々に囲まれた、自然豊かな山里の、上空から眺めると緑の合間にポツポツと民家が点在するような小さな村です。そこでわたしは生まれました。

 住んでいる人はみな顔見知りばかりという環境で育ちました。水がどこまで行っても源流のほとばしりからの、続きであることをやめないように。故郷を離れて半世紀をとうに過ぎていますが、わたしのこころもわたしのことばも同じく、いつまでも生まれた場所からの、こころとことばの旅の続きだと感じています。

 この詩は、そんな田舎者のわたしが感じる東京という都会の印象であり、現代という時代の印象である──そういう読み方をしていただくと、詩の景色もまた少々変わるものだと思います。少なくとも前半は、そのような目線で書いてあります。都会に馴染み時代に追いつきして生きるためには、このような麻痺を人は処世術とするのだなあ、という同情の気持ちも大いに湧いてくるのでした……。

 ただ。「ひとをひとと思わない、こころをこころと思わない、命を命と思わない」その先に何があるだろうと思ったときに突如「戦争」という「景色」が胸に浮かんだのでした。「ひと・こころ・いのち」それらを蔑ろにする親玉こそが戦争の姿だと思えました。

 そして、何よりもその時ひとが落ち入るのは「思わない」その「思考停止」の恐怖ではないかと──。「我思う、ゆえに我あり」とデカルトは言いました。思うところに私たちがいるのです。思わないとはどういうことだろう。「思わない」とは我々が、つまり「私たちが私たちでなくなること」だと──。

鳴るわたし、書くわたし

 書いたあと、7年も抽き出しに仕舞っていた理由は「明日戦争がはじまる」という脅し文句で詩が終わることが、自分の詩法として気に入らなかったからだと思います。詩作という作業は、トンネル工事に似ています。闇に向かって掘って行くけれど、たどり着くところは光が見えるところでありたい。狭い行き場のない現状から、向こうの拓けたところへ抜け出たい。他の方はわかりませんが、そんな「光を模索する」思いでわたしは、詩を書いています。

 言葉を彫ることが新たな切り口や出口の発見につながらなければ、わたしには書く意味が無い。なので、こういう毒を吐くような、短絡的な暗い終わり方が何か嫌だった。それなのに、今ごろ掲載したというのは、魔が差したというより、いっしゅん光が差した気がしたからだと思います。思いますというのも変ですが、今日はこれかなぐらいの感じのいつもの作業でした。それでも、今なら毒が薬に変わるような、詩の予感がしたからだと自分を信じてやりたいです──。

 楽器は、誰が持っても一応音は出るものです。吟遊詩人というと楽器を持って歌い歩く姿を想像しますが。わたしは詩人というのは楽器を伴奏にして歌う者というより「楽器そのもの」ではないかと、つねづね思っています。それは鳴らそうとしなくても、感情で「鳴ってしまう」という「理不尽な身体」を生まれ持っているように感じるからです。

 感情に何かがコツンと触れたとき、するすると詩が出てきてしまったり、よくします。それが、時どきコワイ。だから、感情(あるいは官能に)に操られる者が、政治に触れていけないとの懸念があります。楽器の醸し出す音楽に快不快の「肉体の快楽」はあっても、そこに善悪など「精神の正義」は見出せないからです。だから、詩が政治的なことに触れるときは、とても警戒します。それでも、その「快不快」のレベルでも触れられてしまうほど、現在の政治情勢は逼迫している、あるいは堕落している現状があるのではないでしょうか──。

 わたしの詩の守備範囲は基本的には「ひと・こころ・いのち」です。もう少し広げてもせいぜい「自然と生き物」でしょうか。しかしながら、どのような政治的・経済的事情においてであれ、その源には、やはり人がいます。いなくては、なりません。その、人には命があります。そして、今起こっていることやこれから起こりそうなことを、おかしいと思ったり、待ったをかけたりできるのは、人の自然な心であり、生き物の自然な声だと思うのです。

 そこで始めて、鳴るわたしが、書くわたしが、登場します。まずそういう、わたしの詩的背景があることをご理解頂けると幸いです。ひとの心の麻痺や鈍さから、想像力が飛躍していった先が、ひとの起こす戦争シーンだった。そのようにして生まれた一つの詩が「明日戦争がはじまる」でした。

 なぜこのようにくどくどと言い訳をするかと言うと、長い年月、地道に運動を続け、夏の暑い日中も、冬の寒い早朝も、街頭で声をあげ、ビラを配り、会合を持ち、デモに足繁く通い、反対運動、反戦活動をずっと続けておられる方々がいます。わたしは、その横を通り過ぎる者でした。デモの参加も数えるぐらいしかありません。

 そんなわたしが、たまたま書いた(書けた!)短い詩一つを掲げて、反戦家面して物申し、にわか反戦詩人になるわけには参りません。活動を真摯に続けてきた彼らに、大変申し訳ないし恥ずかしいです。それでも、こんな者が書いたこんな詩が、もし彼らの運動のお役に立つならば、どうぞご自由に使ってください──との思いで著作権も放棄しました。その「ご自由に」というのが「拡散希望」とされてしまったのには、正直困ってしまいました。それでは、主客の関係が逆転してしまいます──。

──そんなこんなの、この詩の事情や経緯がありました。

 そして。冒頭に置かせてもらった、みなさんから頂いた感想のなかで、いっとう最初にあげた「鳥肌が立った。」の感想をつけてわたしの詩をリツイート(引用)してくださったのが、岩上安身さんでした。

 「あの岩上さんが」ということで(友人何人もから連絡がありました!)、岩上さんのおかげで読者数が一気に飛躍したのは、言うまでもありません。ありがとうございました!

 岩上さんは以前テレビの朝の番組でコメンテーターとして出演されているところを、時々拝見していました。簡潔でシャープなコメントでピシッと斬り込む胸のすく場面と、何とも人懐こく温かみを感じてしまう両面を、併せ持たれていて、好印象の方でした。だから、詩に反応して貰えてとっても嬉しかったです。それが、ご縁でこうしてここで書かせて頂くことになりました。

 ただ現実の現場勝負の真面目なジャーナリズムの場所に、非現実で想像力勝負の不真面目な詩書きが登場してもいいものでしょうか……と不安になってお伺いしたら「風通しがよくなっていいです」と温かいお言葉をいただきました。うれしくなって調子に乗って、書かせてもらいました。この詩を書くきっかけを──ということでしたが、ご期待に添えなかったかもしれませんが、まずは以上のような事情があります。

 「反戦詩」と呼ばれてしまうことへの戸惑いや抵抗を、長々と書いて参りましたが、以上のような訳で「政治的な動向が詩のきっかけではない」普通の暮らしのなかで感じた普通の者の思いです、ということがご理解頂けたならうれしいです。ただ、これを書こうとしている時に、大変共感できる「二人の政治的(あるいは思想的)人物」との大きな出会いがありました。最後に(と言いながら、これからが長くなってしまいそうですが)、その二人のことに触れたいと思います。

(写真:長谷川游)

☆ただ今、『宮尾節子アンソロジー 明日戦争がはじまる』(集英社インターナショナル)が発売中です。また、Amazonのみで新詩集『明日戦争がはじまる』(思潮社オンデマンド)が発売中です。拙い文章よりは詩のほうが水を得た魚になれます。読んで頂ければ魚が跳ねて喜びます。詩を読んで頂くことで、また水を得ることができます。どうぞ、よろしくお願い致します。

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「【IWJブログ・特別寄稿】「明日戦争がはじまる」の作者です。こんにちは。(第1回) 詩人・宮尾節子」への2件のフィードバック

  1. 埼玉住人 より:

    2回以降を楽しみにしています。

  2. @kazenosaburou より:

    宮尾節子さんの『明日戦争がはじまる』がものすごい勢いでネットで拡散しました。
    おりしも秘密保護法が成立したり、政府が集団的自衛権を閣議決定したり、安倍政権下でのとてもきな臭い雰囲気が蔓延しつつある中でした。
    しかし、この詩は7年も前に作られたもの。安倍政権にぶつけたものでもなく、反戦詩のつもりで書いたわけでもない。
    人の心のいつの間のか変質してしまう怖さを書かれたという。人間の心の怖さ。
    宮尾さんの心を詠む詩が、岩上さんのリツイートで、共感を覚えた人々に一気に広まりました。
    詩は詠んだ人の思いを越えて、読む人の胸の中で熟成されて、さらに拡がり、作者の世界を越えていくものなのだと思いました。
    宮尾さん素敵な詩をありがとうございます。
    岩上さん、素晴らしい詩をこの時代に広めてくれてありがとうございます。

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