2011年10月15日(土)9時30分、東京都新宿区の日本出版クラブにおいて、ベラルーシから来日したベルラド放射能安全研究所副所長のウラジーミル・バベンコ氏による、自著「自分と子どもを放射能から守るには」の出版記念講演会が開かれた。
バベンコ氏は、ベラルーシ国内における放射能測定の経験をもとに、汚染地域に住む95%の子どもに体重1kgあたり20Bq(ベクレル)以上のセシウムの体内蓄積が見られることを挙げ、体内から放射性物質を排出することや、内部被曝を防ぐための教育体制構築の重要性を説いた。また、「落胆しないこと。極端から極端へ、自分の考えを走らせないこと。パニックを起こさないこと」とも述べた。
- 登壇者 ウラジーミル・バベンコ氏(ベルラド放射能安全研究所 副所長)
- 日時 2011年10月15日(土)9:30~11:30
- 場所 日本出版クラブ(東京都新宿区)
- 告知 世界文化社
- 主催 株式会社世界文化社
- 協力 子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク
冒頭、バベンコ氏は「ベラルーシ人は、まだチェルノブイリ原発事故の問題をすべて解決したわけではない。まだその問題の中で暮らしている。にもかかわらず、日本で同じような事故が起こってしまったことについて、日本人に同情の念を持っている」と挨拶した。
続いて、バベンコ氏は、ベルラド放射能安全研究所の発足の経緯を語った。1986年にチェルノブイリ原発が発生して以降、ベラルーシ国内においても食物や人体への正確な放射線量の測定が重要となったにもかかわらず、線量計の不足に加え、政府が発表する放射線量数値への不信が渦巻いていた。これらの問題を解消するため、首都ミンスク郊外にある原子力エネルギー研究所の所長を務めていたヴァッシーリ・ネステレンコ教授らが、1990年に民間の研究所を設立した。
研究所の設立後は、線量計の開発や、測定担当者の育成、測定所(放射能地域センター)の開設を急ピッチで進めた。特に、測定所については、住民が持ち込んだ食材の汚染度を測定し、その測定結果を住民に開示した上でアドバイスを講じるシステムを採り、1993年にはベラルーシ国内の370ヵ所に測定所が設置されていた。しかし、1996年には15ヶ所にまで急減し、現在はほとんど残っていないという。
その理由について、バベンコ氏は、「測定結果が集まれば集まるほど、食品が非常に汚染されているということが明らかになっていったからだ。ベラルーシ政府は『情報がなければ問題もない。だから人々が知ることのないように、そういったセンターは閉鎖しよう』と考えたのだ」と明かした。
しかし、センターは閉鎖されていったものの、食品測定のデータは1996年の時点で25万件も集まっており、「食品が放射能に汚染されているということがわかった以上、人体の中にも蓄積されているということは明白だ」との考えに基づき、食材の測定に続いて、人体への放射性物質の蓄積についても本格的な測定を開始し、直近で40万人分の測定データが集まっていると語った。
その上で、バベンコ氏は、「福島にも、人体の放射線量を測定できる場所がもっと必要だ」と述べた。その理由として、ベラルーシでは汚染地域に住んでいる子どもの95%に、体重1kgあたり20Bq(ベクレル)以上のセシウムの体内蓄積が見られたことを挙げた。
また、「体重1kgあたり400Bqまで安全」との見解を示したベラルーシ保健省を「ベルラド研究所の敵であり、ベラルーシ国民の敵である」と批判し、「理解できない」と述べた。そして、体内に摂り込んでしまった放射性物質を体外に排出することが重要であるとし、研究所が開発したアップルペクチン(りんご由来のサプリメント)が、放射性物質の体外排出に優れた実績を上げていることを紹介した。
さらに、「放射能から子どもたちを守るには、教育体制の構築が非常に重要である」とし、食材から放射性物質を取り除くための下ごしらえの方法や調理法、地域住民同士の課題共有などについて見解を語った。
質疑応答では、わが子の健康を願う母親から、放射性物質による内部被曝を不安視する質問が相次ぎ、感極まって泣きながら質問する人もいた。バベンコ氏は、ストロンチウムについて、「いったん摂り込んでしまったものを体外に排出するのは困難である」としながらも、骨への蓄積を未然に防ぐ手立てとして、卵の殻をすりつぶして飲み、骨の隙間をカルシウムで埋めておく方法などを提案した。
講演の最後、バベンコ氏は、「確かに放射能による問題はあるが、落胆しないこと。極端から極端へ、自分の考えを走らせないこと。パニックを起こさないこと。問題について過小評価することは禁物だが、解決方法はある」とのメッセージで講演会を締めくくった。
<書き起こし>
バベンコ氏) 会場にお集まりいただきました皆さん、こんにちは。日本の友人の皆さん、こんにちは。私はベラルーシ共和国のミンスクにあるベルラド研究所で働いております。このような大きなホールに大勢の方々がお集まりいただきまして、ちょっと緊張しておりますけども、お許しください。私、今回、日本に来るのは初めてであります。