今日、モニバで自転車の事故が増えている、というテーマが取り上げられた。この問題は個々人の注意が必要であると同時に大きな交通政策の問題でもある。ドイツで痛感したのは、欧州では自転車の社会的位置づけが高いという事実。この話、打ち合わせではしたのに本番ではできなかった。
公共空間を、歩行者と車の二者で分け合ってきたのがこれまでの公共交通政策だったが、欧州各国は歩行者と車と自転車の三者で分け合う公共空間の再配分政策が戦略的に行われている。自転車を計算に入れない交通政策、都市政策、国土計画は、時代遅れ、発展途上国の政策。日本は完全に遅れている。
交通政策を取材するためにドイツに行ったわけではないので、今回は積極的に取材したわけではないのでけれど、嫌でも目についた。これは空間の再配分という巨大テーマであると同時に、環境とエネルギーの政策でもあり、国民の健康に関わる保健政策でもあり、移動と交通の自由の実現でもある。
国家百年の計のためにも、日本は自転車との共生社会を築くビジョンを描くべきだ。東京一極集中の果てに、地方ではあらゆる施設やインフラが老朽化し、朽ち果てていく。その撤去が急務、というが、その後のビジョンがなさすぎる。
道路は、後世に残る重要なインフラである。一時期、道路建設は「無駄な公共事業の象徴」のように言われたが、ハコモノと道路は違う。道路を通し、拡げることは、空間を創り出す創造的な事業である。問題はそれが今まで自動車道に偏り過ぎていたことだ。
日本とドイツの国土の総面積はほとんど同じ。しかし、違うのは平野率。日本は3割程度。ドイツでは逆に7割が平野。ドイツでは自転車専用道は、日本の何十倍も整備されているが、高い平野率あってのことと、反論されそうだ。起伏が激しければ、自転車を漕いでのぼるのはきつい、普及に限界があると。
たしかにそうだが、自転車と言った時、完全に人力だけの自転車に限定せず、電動アシスト自転車をもっと積極的に評価したらどうだろうか。中年以降、シニア世代も、自転車に乗りたい。むしろそういう世代こそ、老化防止のためにも、自転車を漕ぐような運動が必要である。
もちろん、山路で、電動アシスト自転車の充電が切れたら大変なので、無人充電器を各地に配備する。電柱のないところは日本中ほとんどないので、これはそんなに難しくないのではないか。電動自動車の普及に伴う電気ステーションもこれから普及して行くだろう。
その時にPCやスマホの充電とともに、電動アシスト自転車の充電も可能なように整備してもらいたい。そうなれば山越えも怖くはない。長距離走も可能になる。シニアでも、アシストはしてもらうにせよ、自走でヒルクライムが可能になったら、どんなに楽しく、励みになることだろう。利便性も高まる。
もうひとつ、公共交通機関と自転車の乗り入れが、日本は悪すぎる。念頭に置いていない、と言ってもいい。ドイツでは、鉄道でも、バスでも、自転車で乗り入れが可能で、降りて自走し、また乗り込む、ということができる。駅も、車体も、そうデザインされている。バリアフリーなのだ。
自転車に乗って旅をして、そのまま泊まれる宿泊施設も普及している。ベッド&ライドである。人の活動範囲、行動範囲を拡げることが、交通政策の基本原則になっているのだ。日本でできないことだろうか? そうは思わない。やればできるはずだ。
【岩上安身のツイ録】欧州にならい、日本でも自転車との共生社会の実現を~真に”公共的”な公共事業とは何か http://iwj.co.jp/wj/open/archives/170448 … @iwakamiyasumi 道路から社会の成熟度が見えてくる。
https://twitter.com/55kurosuke/status/514316339154923520
凄くいい。日本にも取り入れてほしい➔歩行者と車と自転車の三者で分け合う公共空間の再配分政策【岩上安身のツイ録】欧州にならい、日本でも自転車との共生社会の実現を~真に”公共的”な公共事業とは何か http://iwj.co.jp/wj/open/archives/170448 … @iwakamiyasumiさんから
https://twitter.com/megumegu1085/status/514744766211186688