安倍総理のスピーチは「コピペ」だった
「集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です」――。
8月9日、69回目の原爆の日に長崎で行われた平和記念式典で登壇し、スピーチした被爆者代表の城臺美弥子(じょうだい・みやこ)さんは、事前に用意した原稿にはない言葉を使い、アドリブで解釈改憲を批判。
参列した安倍総理らを前に、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」などと呼びかけ、自身の「地」の言葉で語りかけた。
他方、城臺さんが「アドリブ」で思いを表現したのとは対照的に、安倍総理のスピーチが昨年の「コピペ」だったことが発覚し、多くの批判が相次いだ。
2013年、2014年のスピーチを検証する
左が2014年の、右が2013年のスピーチ冒頭部である。
「68年前」が「69年前」に変更されたのと、今年は雨だったために「蝉しぐれが今もしじまを破る」という文言が除外されただけで、上の3段落は一字一句、まったく同じである。
その後の、「日本人は唯一の被爆国として核兵器の非道を世界に伝えるなければならない」と訴えている部分も、「日本人は唯一の」を「人類史上唯一」に言い換え、「核兵器の惨禍を体験した」という文言を追加している程度で、ベースは一緒である。
さらにこちらが、スピーチの終結部。左が今年の、右が昨年のものである。こちらも完全に「コピペ」で、「旧倍」が「倍旧」に変わり、「恒久平和」が「世界恒久平和」と言い換えられただけである。
批判続出にもかかわらず3日後に再び「コピペ」
これにとどまらず、安倍総理は、長崎でも同様の「コピペ」を繰り返した。
こちらも左が2014年、右が2013年8月9日の長崎平和式典におけるスピーチである。スピーチ冒頭部分はやはり、戦後「68年」が「69年」に変わっているだけで、一字一句、同じだ。
そして、スピーチを締めくくる部分も、「お誓いします」が「お誓い申し上げます」になっただけで、まったくの「コピペ」である。
さらに長崎における安倍総理のスピーチは、日本政府の核軍縮に関する取り組みをアピールしたスピーチ中盤部分を、3日前の広島におけるスピーチの「コピペ」で済ませていた。
「進めてまいります」を「進めていきます」に、「ここ広島」を「広島」にするなど、微妙に言い回し変えているだけである。冒頭部、終結部は昨年のコピペで、中盤部は広島のコピペ。長崎のスピーチには、オリジナルの部分が一段落も存在しないといえる。
「コピペ」にはどのような意図があったのか
安倍総理の「コピペ」スピーチは、原稿を書いた総理側近による手抜きなのか、それとも安倍総理の意思が反映されたものなのか。IWJ代表の岩上安身はtwitterで、「コピペ棒読みで、平和への誓いそのものを形骸化、空洞化させようとの目論見」だとの見解を示した。
広島での「コピペ」問題はメディアでもいっせいに取り上げられ、批判されたが、そうした批判を踏まえた上で、安倍総理は、再び長崎で「コピペ」を繰り返した。であれば、確信犯として、意図的にコピペを繰り返した、と考えるのが自然である。
「コピペ」にはどのような意図があったのだろうか。
自民党政権だろうと、保守政治家だろうと、かつて被爆者はある種の「聖域」として、尊重し、侵すべからず、という空気があった。大日本帝国が犯した侵略戦争の負の象徴として、そして原爆の被害に遭った、人類で唯一の被害者だからである。
国民という言葉から『民』を取り払い我が国という国家を中心にした言葉に置き換えた事の方が問題だと思う。彼らはこの事を隠す為に態と去年の流用をしたのかも知れない。そのくらい疑って掛かるべきなのが、今の政治体制なのではないか。
産経新聞がこのコピペ問題を使って朝日新聞・東京新聞・共同通信を批判していた。しかしその新聞社は彼の新聞社が韓国で支局長が起こした問題を擁護し、報道の自由を問題視していた。
この大人の対応を見ているとどれだけ保守というものが子供じみた対応をするのかが分かる、というものだ。