人類史上、イエス・キリストほど、数多くの人に知られ、影響を与えた人物はいない。キリスト教徒でなくてもイエスの名を知っているし、敬意を払うべき人物と思っている。
同時に、イエスを教え広め伝えるキリスト教についても、私たちは多くのことを知っていると思っている。異教徒の日本人もクリスマスを祝うし、西暦を用い、ローマ法王や教会やイスラエルや聖書などについて、断片的な知識やイメージを思い浮かべることができる。
だが、本当に我々はイエスとは何者で、キリスト教とはどんな宗教か知っているのだろうか?
キリスト教はユダヤ教から派生し、世界宗教に成長したが、自らのルーツであるユダヤ教に対して、今日的な表現で言えば「ネガティブ・キャンペーン」を繰り返し、反ユダヤ主義に「燃料」を注ぎ込んできた。それはなぜなのか?
また、日本人の多くはユダヤ教についてほとんど知らないにもかかわらず「ユダヤ人」については、キリスト教の欧米社会の歪んだプリズムを通じたステロタイプなイメージを即座に思い浮かべることができる。実物のユダヤ人に会ったことすらないのに、「シオン賢者の議定書」という偽書の内容をうのみにして、「ユダヤが支配する世界の裏の真実」とやらを得意気に語ってみせる人は決して少なくない。
基本的な事実を確認しておこう。
イエスはユダヤ人だった。彼はユダヤ教の伝統にのっとった上で、自身の教えを人々にさとした。彼自身は「キリスト教」という新宗教を創始するつもりはなかったし、実際、立教や改宗の宣言もしていない。
では、イエス・キリストの行動や、彼を育くんだユダヤ教の教えから、私たちが今日何を学ぶことができるのだろうか。
イエス・キリスト自身は何を説いて、その後のキリスト教はどのように確立していったのだろうか、そしてキリスト教を生み出したユダヤ教とはどのような教えなのだろうか。
ユダヤ学・聖書学が専門で、『宗教の倒錯』(岩波書店、2008.09)、『キリスト教の自己批判~明日の福音のために』(新教出版社、2013.10)などの著書がある上村静氏に、2013年12月25日、クリスマスの日に話をうかがった。
イエスも、ユダヤ教も、キリスト教も、過剰に装飾されたり歪められたりしている。上村氏はその覆いをはぎとり、実際存在した一人の人間イエス、「史的イエス」の実像に焦点をあて、その姿を浮かびあがらせながら、ユダヤ教とキリスト教の実態にも迫った。
上村氏は、キリスト教・ユダヤ教がどのようなものであるかを説明するだけではなく、「勝ち組・負け組」イデオロギーで全てが語られつつある現代を生きる私たちが、それらから学ぶべき点があることを指摘する。
そのひとつが、紀元前三世紀頃に著されたユダヤ教の思想書「コヘレトの書」だ。そこでは、生きていることそれ自体が「贈り物」だという思想が語られている。生きていることが「贈り物」だというのは、生きていること自体に価値があり、肯定すべきものであるということだ。私たちは、人生に過剰なまでに意味や目的、そしてお金や権力を求めがちだが、コヘレトに言わせればそれは「余剰」でしかない。
また、「神によって生かされている」という考えは、「私たちは関係性の中で生きている」と言い換えることができると上村氏は語る。
人は、自らの意志によって生まれるのではなく、受動的に生まれる。このことは、「生まれる」が受動態の言葉であることにもよく表れている。私たちは自ら「生きる」のではなく、「生かされている」。つまり、人は、自然の中で生かされているし、まわりの人たちの存在によって生かされている。こうしたことに気がつくことが大事だと上村氏は指摘する。
イエス・キリストの実像やキリスト教・ユダヤ教の教えの中に、現代の私たちが生きる上でヒントとなりうるものが含まれていることを教えるインタビューである。
【インタビューのポイント】
・イエスはどのように生まれ、どのように生きたのか――発見された古文書、ユダヤ人のとらえ方、キリスト教教会の教えなどから「史的イエス」がどのような人物であり、「信仰のイエス」がどのように作り上げられていったのかを検証する
・キリスト教とユダヤ教――キリスト教の根底には世界中の人がキリスト教徒になったときに世界平和が訪れるという思想があり、積極的に布教するのに対して、ユダヤ教はユダヤ教徒が律法を守っていればいつか世界が救済されるという、自ら積極的には布教しない宗教である
・コヘレトの思想――人は誰でもいつか死んでしまうから虚しい。だが、生きていることそのものが「贈り物」であり、「飲んで食べて、妻と人生を見つめること」は幸いであるとコヘレトの思想は教える
・ユダヤ人は国を持たずに2500年残ってきた――ユダヤ人は国家を持つことを放棄してきからこそ、長い間生き残ることができた。「マッチョな国家」を持たないところに、現代の日本が学ぶべき点があるのではないか
イエス・キリストとは何者か
▲上村静氏
岩上安身(以下、岩上)「皆さん、メリークリスマス。クリスマス特別企画として、本日は、いつもとちょっと趣の違った番組をお届けしたいと思います。
本日のお客様には、肩書がありません。職業は『上村静』。上村静さんにお越しいただきました。
ご著書を先に紹介します。『旧約聖書と新約聖書』(※1)、『キリスト教の自己批判 明日の福音のために』(※2)、『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』(※3)、そして、これは翻訳ですけれども、ペーター・シェーファーさんという人が書いた『タルムードの中のイエス』(※4)という本があります。『タルムード』とは、ユダヤ教の聖典ですね。これは、その中に描かれている、ユダヤ教側から見たイエスについての本ですけれども、すごく刺激的で面白い本です。
上村さん、本日はよろしくお願いいたします」
上村「よろしくお願いします」
岩上「上村さんとは、初めてお会いします。このインタビューを始める前に、打ち合わせで、『肩書をどうするか』という話をしました。一応、ここにある本の中では、ユダヤ学、聖書学専攻となっています。しかし一般の人には、ユダヤ学、聖書学という学問があるということ自体、馴染みがないと思います。学歴を申し上げますと、東京大学大学院人文社会系研究科宗教学宗教史学専攻満期退学、ということです。
それから、ヘブライ大学で博士号を取られています。イスラエルのヘブライ大学へ留学していたんですね。
キリスト教を研究しているというよりは、ユダヤ教を研究しているということですか。どちらも、ということですか」
上村「元々は、キリスト教の研究をしていたのですけれども、キリスト教を知るためには、ユダヤ教を知らないといけないので、ユダヤ教を研究していきました。その結果、キリスト教は、ユダヤ教およびユダヤ史の一部であるということが分かりました。だから、結局、両方研究することになりました」
岩上「ここに、『ふしぎなキリスト教』(※5)という本があります。橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談本で、2012年の新書大賞第一位を取った本です。私もたくさん付箋を並べて、精読しました。大澤さんが質問して、キリスト教、ユダヤ教のことに大変お詳しい、橋爪さんが主に答える形になっていますが、ユダヤ教とキリスト教とは何かということについて書かれています。その違いは何かというと、冒頭でいきなり、『ほとんど変わりません』と言われているんですね。
一般に、ユダヤ教とキリスト教はものすごく対立している、キリスト教世界で、ユダヤ教徒はずっといじめられてきた、反ユダヤ主義はキリスト教の中に根がある、などといわれてきましたが、実はキリスト教は、ユダヤ教の一部ということなんでしょうか」
上村「そうですね。一部だからこそ、逆にその本体が憎くてしょうがない、ということだと思います」
岩上「分派ということですか」
上村「そうですね。そして、本家争いをしている。どう見ても、ユダヤ教が本家なのに、分派のキリスト教が、『うちこそが本家だ』と言い張る。本家がなければ分派もないんですけれども、本家があると、自分たちはいらなくなってしまう。そこで、キリスト教が常にユダヤ教に対して、アンビバレントな感情を持ち続けているということですね」
岩上「なるほど。肩書紹介の時点で、いきなり話が核心のところに行ってしまいました。ユダヤ教とキリスト教は、ある意味、一体として理解しなくてはいけないということですね。
今日はクリスマスシーズンということで、まずイエス・キリストとはどういう人だったのかというお話から、バックグラウンドをうかがおうかと思います。
世界人類史を総覧して、イエス・キリストほど人類に影響を与えた人はいないんじゃないかと思います。本人が影響を与えたとともに、後世の人たちが、彼をそのような存在に宣伝してきたとも言えるのかもしれません。いずれにしても、大変大きな影響力を持つ人物ですよね。
我々はいろいろなことをあまりにも知らないので、一神教と簡単に片づけているんですけれども、そこを全然理解していないので、勉強していきたいと思います。まずは入り口として、イエス・キリストという人は、どういう人だったのでしょうか」
上村「どういう人だったのか(笑)」
岩上「さすがに日本人でも、キリスト教がどのように、イエス・キリストという人について教えているか、概略は皆知っていると思うんです。とにかく救世主で、とんでもなく偉い人、つまり、神様の一人だと。あるいは神の分身? 神そのもの? この辺りがちょっとわかっていないので、教えていただきたいのです。
馬小屋でマリアから生まれたと言われますが、マリアはなぜか処女懐胎なのです。私としてはまず、この処女懐胎ということが信じがたい。多くの人は、あまり深く考えないで、『まあまあ、偉い人の話だし、昔の話だし、神話でしょ』と言って片づけると思うんですね。
とにかく処女懐胎で生まれた人で、愛を説いた人で、厳しい律法というか、民衆をルールで縛るような人たちに、『ルールを多少破る人がいても、皆、罪を持っているでしょう』という寛容を説いた人じゃないか。
そのあげく、なぜかユダヤ人から疎まれて、十字架に磔にされてしまう。その当時は、ローマ帝国の時代で、ローマの支配が強かった。ローマとユダヤ、それからその中の一員としてのイエスの関係が、一般的な日本人はよくわからないと思います。そもそも、キリストはユダヤ人だと言うと、『え?』と言う人はまだまだいます」
上村「ああ、いるんですね」
岩上「ほとんどの人がそうだと思います。そして、死後に復活した、とされています。この復活が特別な意味を持っているから、これまでの旧約聖書の歴史とは一時代を画す新しい時代が始まり、新約聖書の時代が始まって、新しい人類史が始まるという話になる。その教えは新しい教えで、キリスト教と名づけられた。だいたい皆、こんなふうに理解しているんじゃないかと思います。
こうした、イエス・キリストとは何かというところから、まずお話をスタートしていただきたいと思っています。同時に、今日の我々の生きている時代を考えていきたいと思います」
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(※1)『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社、2011.05)出版社による紹介:聖書とは何か、どんな
成り立ちをしているのか、聖書に収められている諸々の書物は何を伝えているのか、旧約と新約、ユダヤ教とキリスト教の関係は――等々、聖書に関する基本的な疑問に、気鋭の聖書学者が徹底的に答える。 また41個の強力「コラム」は、一歩踏み込んだ知識を提供し、聖書の奥深さを面白く伝えてくれる。聖書解説書の決定版であり、最強の入門書である。(【URL】
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(※2)『キリスト教の自己批判〜明日の福音のために』(新教出版社、2013.10)出版社による紹介:ユダヤ学・聖書学に精通する著者による講座「旧約聖書と新約聖書――『聖書』とはなにか」(日本クリスチャン・アカデミー/早稲田奉仕園共催)の講義ノートを基にして渾身のキリスト教批判を展開し、イエスの福音のラディカルさから現代社会と教会を見直す問題作。著者のこれまでの研究と思索のエッセンスをまとめた1冊。(【URL】http://amzn.to/1i9yOWG)
(※3)『宗教の倒錯〜ユダヤ教・イエス・キリスト教』(岩波書店、2008.09)出版社による紹介:“いのち”を生かすはずの宗教が、なぜ殺戮と抑圧を生むのか。イスラエル民族神話の成立からキリスト神話の成立へ。連続と断絶、継承と相剋の壮大なドラマのうちに、救済を語る宗教にはらまれた、転倒のメカニズムを探る。(【URL】http://amzn.to/1iUVITN)
(※4)『タルムードの中のイエス』(岩波書店、2010.11)出版社による紹介:背教者とされ、新しいカルトを創設した男、魔術によって癒し、偶像崇拝のかどで石打ち刑に処された娼婦の息子、彼は、永遠に地獄に囚われている…転倒されたイエス像は、キリスト教の中心を撃とうとする洗練された闘いの跡であり、緻密に構想された対抗神話である。ここに読み取れるものとは何か。ユダヤ教文献の校訂・翻訳の蓄積を踏まえ、いずれにも偏することのない学問的立場から、宗教間闘争の実像に迫る。反ユダヤ主義を超えるために。(【URL】http://amzn.to/1dJMCdC)
(※5)『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、2011.05)出版社による紹介:キリスト教がわからないと、現代日本社会もわからない――。イエスは神なのか、人なのか。GODと日本人の神様は何が違うか? どうして現代世界はキリスト教由来の文明がスタンダードになっているのか? 知っているつもりがじつは謎だらけ……日本を代表する二人の社会学者が徹底対論!(【URL】http://amzn.to/1dJMU4l)
太陽の祭りに重ねあわせたキリストのミサ=クリスマス