読者の中に、ルワンダ虐殺を描いた映画「ホテル・ルワンダ」を鑑賞したり、虐殺後にザイール(現在のコンゴ民主共和国)に逃亡したルワンダ難民の救援のために自衛隊が派遣されたことを記憶している方も多いことでしょう。
*1994年(平成6年)9月21日から12月28日まで、初めて国際平和協力法にもとづいて自衛隊派遣した、ルワンダ内戦によって発生した難民の医療・防疫・給水などの国際的救援活動。(参考:ウィキペディア「自衛隊ルワンダ難民救援派遣」)
その虐殺から、この4月7日でちょうど20年が経ちます。
世界に衝撃を与えた歴史的な出来事であるだけに、ルワンダ政府や様々な機関がこの時期に、世界各地で犠牲者の追悼式などを計画しています。筆者が所属する立教大学においても、6月20日の世界難民デーに、「ルワンダのジェノサイドと国際協力~残虐行為と難民流出をどう予防すべきか?~」という国際シンポジウムを主催する予定です。
*ルワンダ虐殺~1994年4月6日、ルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナ氏とブルンジ大統領のンタリャミラ氏の暗殺から、ルワンダ愛国戦線(RPF)が同国を征圧するまでの約100日間にフツ系の政府と過激派により、ツチとフツの穏健派が虐殺された事件。およそ50万~100万人が殺されたと推測されている。(参考ウィキペディア記事「ルワンダ虐殺」)
(立教大学告知ページ)
ルワンダは虐殺後、民族間和解と経済成長を実現したことで国際社会から高く称賛されています。ところが実は、今年の初め以降、南アフリカ(南ア)においてルワンダ亡命者が関連した不気味な事件が相次いでいるのです。
南アフリカでの殺害(未遂)事件
まず、ルワンダの元諜報機関長で、野党「ルワンダ国民会議(RNC)」の共同創設者・カレゲヤ氏が、大晦日に、亡命先の南アフリカの最大の都市(首都ではない)ヨハネスブルグの高級ホテルで絞殺されました。ルワンダのカガメ大統領政権の打倒を訴えていたRNCによると、この殺害はルワンダ政権のカガメ政権の工作員の仕業であり、カレゲヤ氏はホテルでルワンダ人の旧友に再会するという罠にはまったといわれています。
ルワンダのカガメ政権は暗殺の関与を否定しましたが、カガメ大統領は「国の裏切者は、ツケが回ってくる」と、亡命者への脅迫ともとれる発言をしたのです。
上記の事件の捜査が続く中、3月4日に、同じく野党RNCの共同創設者で、かつルワンダ軍の元参謀長であるカユンバ氏のヨハネスブルク市内の自宅が武装集団に襲撃されました。カユンバ氏と彼の家族は当時留守で無事でしたが、カユンバ氏の殺害を狙った襲撃は3回目で、1回目は2010年のワールド・カップの際に腹部を銃で撃たれ、その2日後に入院先の病院で暗殺未遂にあっています。
カレゲヤ氏とカユンバ氏の両氏ともにルワンダ政府の元高官で、ルワンダの現カガメ政権が関与したかつてのルワンダ虐殺や他の重罪の背景を知っているだけに、ディアスポラ(離散)したルワンダ人にとってだけでなく、国際社会にとってもショッキングな事件でした。
この襲撃事件後に、南ア政府はルワンダのカガメ政権の外交官がこれらの事件に関与している証拠を持っていると声明発表し、在南アのルワンダ外交官3人らを国外退去処分としました。
南ア政府が掴んだ証拠とは、何だったのか。
その決め手となったのが、カユンバ氏の自宅の襲撃中に盗難されたiPadでした。それに備えられている位置特定機能のおかげで、ルワンダ外交官によってルワンダの首都キガリまでiPadが運ばれたことが確認できたのです。
この点に関して、本稿を書いている時点ではルワンダ政府は黙認しており、ルワンダ政府は逆に、報復として、在ルワンダの南ア大使以外の外交官6人を追放したのです。
亡命の理由とルワンダ虐殺の真相
では、なぜカレゲヤ氏とカユンバ氏が亡命を強いられ、そしてなぜ南アを亡命先に選んだのでしょうか。
両氏とも1959年のルワンダ社会革命以降、隣国のウガンダにて難民として育ち、1980年後半以降、同じく難民であったカガメ氏と共に、ルワンダの反政府勢力(RPF)の諜報活動に関わってきました。
1989年に、黒人解放運動に携わっていた南アのANC(現政権)はウガンダに基地を築いたのですが、RPFとANCはそれぞれの国の政権を打倒したい勢力同士として、一緒に活動していたことがあると報道されています。南アのズマ大統領は当時、ANCの諜報に携わっていたために、カレゲヤ氏らと連絡を取っていた可能性があります。
ルワンダ虐殺後、RPFが政権を奪取し、今回襲われたカゲレヤ氏とカユンバ氏の両氏はカガメ大統領の側近として働いてきましたが、後に大統領の政治手法などを批判し始め、カガメ大統領から脅迫されるようになりました。カレゲヤ氏は国の和平のために、諜報機関長としてやるべきことは、真実の公表だと考えていたのですが、カガメ大統領はそれを受け入れなかったようです。
カガメ大統領からにらまれたカゲレヤ氏らは、ウガンダ時代の旧友がいる南アに亡命したとみられます。南アであれば、注目度が高い彼らも亡命が受け入れられ、政府から保護される可能性が高く、本来は禁止されている難民の政治活動の規制も緩いためです。
ルワンダから亡命した両氏は、RPFにとって不都合な情報を話すようになりました。ルワンダ虐殺のきっかけでもある、ハビャリマナ前大統領専用機の撃墜は、一般的に多数派のフツ過激派の仕掛けたと言われているが、実際にはその責任者はカガメであることも示唆しました。
▲ハビャリマナ大統領機の撃墜
もともとRPFは、ルワンダにおける少数派であるツチが 主導する組織でした。カガメ氏らは、フツのリーダーを殺害しない限り、少数派のツチが主導するRPFが政権を奪取するのは難しいと考えていたのです。戦争犯罪にも値する専用機の撃墜といい、ルワンダやコンゴで起きた他の人道に対する罪といい、事実であればカガメ大統領の責任はきわめて重いと言わなければなりません。
カユンバ氏はカガメ大統領の関与に関する証拠を提示できること、また、国際刑事裁判所(ICC)はコンゴ反政府勢力のリーダーに逮捕状を発行してきたが、それらのリーダーをコンゴに派遣したカガメ大統領こそが、本来逮捕されるべきであることなどを公言してきました。
この南アでの暗殺(未遂)事件は氷山の一角にすぎません。虐殺や人権侵害の事実が発覚しそうになると、カガメ大統領は様々な方法で情報操作を行おうと試みます。カガメ大統領を批判する亡命者への暗殺(未遂)や脅迫は、1996年以降パターン化しています。
まずケニアで元内務大臣の暗殺未遂から始まり(1998年に暗殺される)、近年では、カガメ大統領の元側近だった私設秘書、運転手、ボデイーガードや駐米ルワンダ大使、そしてRNC党員らが標的にされています。その戦略は入念なもので、例えば、国外のルワンダ難民をスパイするために、「ニセ難民」になりすましたルワンダ外交官が派遣され、2012年にスウェーデンとベルギーは、外交と整合しない活動に従事した外交官を国外追放しました。
年月が経つにつれて、内部者の告発によってルワンダ虐殺の真相は少しずつ明らかになりつつあります。その衝撃は大きく、ICCの元判事曰く「歴史を書き替える必要があるかもしれない」というほどです。
将来、同様な残虐行為が同国や世界の他の地域で繰り返されないためにも、不処罰文化を絶ち、ルワンダ虐殺がどのような意図でどのような手段で計画されたのか、十分に検証する必要があります。
これらの事件は決してアフリカの他人事として片づけられることではありません。過去に南京大虐殺など残虐行為を行いながら、負の歴史をあやふやにしてきた日本も学ぶことが大いにあります。
■参考資料
なぜコンゴ民主共和国東部の治安が回復しないのか?(米川正子)
■米川正子氏特別寄稿 過去記事
この虐殺から学ぶこと、同じ過ちを繰り返さない事こそが犠牲になった人達への供養だろう。