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当時、世間に広がった「羽賀研二・未公開株詐欺事件」として、メディアで報道された内容は、次のようなものだった。
2001年、羽賀氏は、自分が購入した医療関連会社の未公開株を、元値を知らせないまま、知人の不動産会社社長に3倍の値段で売りつけ、3億7000万円を騙し取った。2007年6月に詐欺の容疑で逮捕された羽賀氏には、損失補てんを求めてきた同社長に対し、暴力団関係者らを使って、1000万円の支払いで今後一切の請求を行わないよう迫ったという、恐喝未遂の容疑もかけられていた――。
公判は、1審では無罪だったが、2審では逆転有罪に。2013年3月28日に最高裁判所は、大阪高裁による2審判決を不服とした羽賀氏らの上告を棄却。羽賀氏の、執行猶予なしの懲役6年の実刑が確定した。羽賀氏は現在服役中だ。
上告直後の被告人の立場だった羽賀氏は、2011年6月25日、東京都内で岩上安身のインタビューに応じた。自身にかけられた詐欺と恐喝未遂の容疑を全面的に否定し、メディアの報道内容が偏っていると指摘。「新聞・テレビが一切報じていない重要事項がある」と強調した。
- 日時 2011年6月25日(金)
- 場所 初沢スタジオ(東京都港区)
なぜ、株を転売したのか
2001年、すでに多額の借金を抱えていた羽賀氏に「儲け話」が転がり込む。高い成長が見込める非上場の医療関連会社の未公開株を、その会社の社長が売りたがっている、という内容だった。
羽賀氏は当時をこう振り返る。
「当時は(梅宮アンナ氏との)大恋愛が終わり、メディアにさんざん叩かれていた時期。私の中では、一発大逆転を図りたい思いが強かった」
上場後は、買値から10~20倍の跳ね上がりが見込めるという話に、すぐに魅了されたという羽賀氏は、「1株40万円での購入が勧められた。が、当時の私の自己資金では、(十分なキャピタルゲインを得るのに必要な)100株を買うことはできなかった」と語る。
そこで羽賀氏は、大阪で不動産業を営むA氏に借金を申し入れることにする。羽賀氏は言う。「A氏からは、過去にも数千万円を用立ててもらっており、毎月の返済に滞りはなかった」。
羽賀氏の願いは叶い、資金を用意することができたが、A氏は「そんなに『おいしい株』なら、半分を自分に売ってほしい」と要求してきたという。
岩上が「A氏が『売ってほしい』と求めたのであって、羽賀さんが『買ってほしい』と迫ったわけではないということか」と問うと、羽賀氏は「高い収益が見込める株を、自分から転売する気にはなれなかった」と言明。
「A氏は最初、『ケンちゃん、売ってくれれば、3~5倍で買うよ』と言っていたが、結局、3倍の1株120万円で売った」と強調し、「それなのにA氏は、裁判では(前言を翻す格好で)『元値が120万円だと思っていた』と主張した」という。
A氏へ株を転売した後、その医療関連会社は上場を果たせずに倒産するのだが、羽賀氏は「A氏に120万円で転売したことで得られた利ザヤもまた、その会社の株の購入に充てた」とし、その分を含めて、自身は一切「売り抜け(=倒産で株券が紙クズになる前の換金)」を行っておらず、倒産で損害を被っていることを説明した。また、「その会社の社長が『羽賀研二は、自分にとって渡りに船だった』と発言していたことを、後になって知った」と話した。
態度を変えたA氏
A氏との間にすぐに亀裂が入ることはなかった、とした羽賀氏は、「彼の羽振りが良かったのが大きかった。会えば食事をするといった、従前と同じ付き合いが続いていた」と話す。
A氏が、羽賀氏に株取引による「損失補てん」の支払いを求め始めたのは、それから数年後のことである。請求額は約4億円だった。
「裁判の時にわかったのは、当時A氏は、事業がうまくいっておらず、金銭面でかなり苦労していたということ」だと羽賀氏は言う。
最初に届いた請求のメールには、「ケンちゃんのせいで自分はこんなに損をしたのだから、その辺をちゃんと考えてほしい。でないと、この件をメディア関係者に話す」と書かれてあったという。
請求メールは、頻繁に届いたという。羽賀氏は、当時の自分を「宝石デザインの仕事が軌道に乗り始めた段階」と評し、A氏の件で、またメディアに叩かれるのは何としても避けたかったと明かした。
「A氏から借りていたお金の返済は順調に進んでいた。つまり羽賀さんは、借金を踏み倒そうとしたわけではない」と岩上安身が補足。A氏が指定した弁護士は、1億数千万円のお金を支払うことでの和解を羽賀氏に提案するも、A氏はその弁護士をクビにし、「その後は、メールでの請求攻勢に拍車がかかった」のだという。
そして、いつしか暴力団関係者とみられる人物が、羽賀氏の職場や自宅にやって来て、支払いを強く迫るようになる――。
岩上安身が、「それでは、恐喝したのではなく、恐喝されていたことになる。なぜ、それを警察に訴えなかったのか」とぶつけると、羽賀氏は「民事と刑事の両面で訴えるつもりで、私が所属していたプロダクションの顧問弁護士と準備を進めていたが、その弁護士が心筋梗塞で倒れてしまった」と説明した。
その後、羽賀氏には大阪の事情に明るい知人から「助け舟」が出されるも、その知人が羽賀氏に代わってA氏に連絡を入れると、喧嘩口調でシャットアウトされてしまったという。
その知人というのは、のちに羽賀氏とともに実刑を受けることになる、元プロボクシング世界チャンピオンの渡辺二郎氏。A氏と話し合いができなかったことを伝えた渡辺氏は、その際、自身も過去にお金をめぐる一件で、A氏に嫌な思いを強いられたことがある、と話したという。
渡辺二郎氏は恐喝したのか
羽賀氏は、自身がA氏に1000万円払うことで、約4億円の請求権を強引に失効させたかのような報道がなされていることに、強い不快感を示した。
「私の弁護士も言ったように、自分が株取引で損をしたから、その分を(紹介者である)私に請求するというA氏の態度が、そもそも不当」と力説した羽賀氏は、A氏に支払うべきは、あくまでも借金の残高だけであり、その残高も、毎月の返済が順調に進んだため、1700万円ぐらいにまで減っていたと強調した。
A氏は羽賀氏に、その約1700万円の一括返済を迫ったという。「当時は手持ちのお金が300万円くらいしかなく、その要求に応じることは無理だったが、知人が貸してくれることになったので、1000万円を一括で支払うことで(=約700万円は棒引き)A氏に了承してもらった」。
和解交渉が行われたのは2006年6月、場所は大阪のホテルだった。羽賀氏の弁護士とA氏とその弁護士が出席するのだが(羽賀氏は欠席)、そこには渡辺氏の姿があった。