2012年11月18日(日)14時から、福島市の福島県青少年会館で、飯舘村放射能エコロジー研究会 (IISORA) が主催する「福島原発事故が飯舘村にもたらしたもの ~村民、支援者、ジャーナリスト、研究者の視点から~」が行われた。座長の小澤祥司氏(飯舘村後方支援グループ)は、「今日、われわれは同村が直面する諸課題の内実を、各種調査の結果から明らかにする」と述べた。
(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)
2012年11月18日(日)14時から、福島市の福島県青少年会館で、飯舘村放射能エコロジー研究会 (IISORA) が主催する「福島原発事故が飯舘村にもたらしたもの ~村民、支援者、ジャーナリスト、研究者の視点から~」が行われた。座長の小澤祥司氏(飯舘村後方支援グループ)は、「今日、われわれは同村が直面する諸課題の内実を、各種調査の結果から明らかにする」と述べた。
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※第2部後半「総合討論」の録画は現在ありません。ご了承ください。
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最初の報告者である糸長浩司氏(日本大学生物資源科学部)は、「避難中の住民の間には、村に戻りたくない気持ちが存在する」と指摘した。「昨年10月の調査では、村外に移住してもいいという回答の割合が、全体の約7割。村外で子供たちと一緒に暮らしたいと答えた高齢者も多かった」と話し、その主たる理由については「仮設住宅暮らしが、案外と利便性がよい、と受け止められたのではないか」と述べた。
そして、糸長氏は「内部被曝を心配する声は、もちろんある。今の住居除染の効果を、7割超の村民が否定的に見ている」としながらも、避難生活費の補償が終了した場合には帰還するしかない、と考えている人の割合が大きいことや、優先すべき政策に、保障・賠償を挙げる避難者がもっとも多いことに言及。「徹底した除染を望む、という人の割合は、それらの半分以下であった」と説明した。
次に、家田修氏(北海道大学スラブ研究センター)が、2010年10月に東欧のハンガリーで発生した、大規模な産業廃棄物流出事故への対応で威力を発揮した、2つの「ハンガリーモデル」を紹介した。
ひとつは、防災・災害対応における統合的組織づくりで、消防局、市民防災局、産業防災局の統合がベースだという。家田氏は「ハンガリーでは、事故後に、政府全権委員という首相代理人が任命された。これは、東日本大震災のケースとは明らかに異なる」と強調し、「事故を起こした企業の資産を政府が凍結し、企業側の意図的破たん(=責任回避)を防いだ点も評価できる」と述べた。
また、もうひとつのハンガリーモデルである損害賠償のやり方に関して、家田氏は「時価で被災住宅などを鑑定する減価償却型ではなく、事故前状態への復帰が原則とされた点が評価できる」とし、「事故発生から約1週間後には、集団移転(新築住宅)、地元残留(中古住宅)などの選択肢が、国から被災者に提示された」と話した。さらに、「新たな集落の住宅は、各世帯のニーズに合わせた設計が加味されている」と、旧集落で小売店を営んでいた世帯が、新集落で同様の店を構えている事例を写真で提示した。
次に登壇し、「飯舘村民は、原発事故で避難を強いられているが、一般的にフクシマショックの記憶は風化し始めている。テレビのニュースで取り上げられる回数も激減した」と懸念を表明したのは、飯舘村から福島市に避難中の菅野哲氏(飯舘村農業者)である。菅野氏は避難生活の実情を、「飯舘村民は生活費の補償を受けられるが、福島市民は受けられない。避難先で格差問題が発生している」と話した。
菅野氏のあとに登壇した伊藤延由氏(新天地を求める会)は、「飯舘村に子供たちを住まわせてはいけない」と主張した。「高齢者だけが村に戻っても、10~20年後には廃墟になるだけ」との見方を示し、「飯舘村民に必要なものは、新たな飯舘村をつくる気構えだ」と訴えた。
伊藤氏は「飯舘村で進行中の除染作業は、村民の帰還につながるものではない」と指摘し、「除染業者に、年間積算線量1ミリシーベルト以下、という目標値が示されていないのが一番の問題だ。再来年3月には避難指示が解除される見込みで、村と国が合意している。だが、除染して基準値以下に線量が下がる条件が、どこにも見当たらない」と述べた。その上で行政に対し、「安全な場所に復興住宅を建設してほしい」と要望。「このままだと、仮設住宅が並ぶあの光景が、飯舘村の子供たちの心の故郷になってしまう」と懸念した。
第2部では、まず、今中哲二氏(京都大学原子炉実験所)が飯舘村で3月下旬に行った放射能汚染調査の結果を報告した。今中氏は「当初、ホットスポットが点在していると考えていたが、実際に調査すると、村全体が高濃度で汚染されていた。毎時30マイクロシーベルトという数値に、あぜんとした」と語った。今中氏は、調査で土壌中の放射線量率の時間変化がわかると説明し、「飯舘村役場付近は、2011年3月15日時点で、毎時50~60マイクロシーベルトの高濃度であったと推測できる」と強調した。また、「専門家であれば、先々に積み上がっていく線量も計算可能だっただろう」と語り、「事故の翌日に、長泥曲田地区に避難命令が出されなかったことが、不思議でならない」と続けた。
最後の報告は、広島大学原爆放射線医科学研究所の大瀧慈氏と大谷敬子氏が担当した。大瀧氏は、昨年6~7月に実施された福島県の土壌汚染調査の結果を紹介した。2つの図(土壌汚染濃度と空間放射線量率)を映し出し、降雨など自然環境の影響に言及しながら、相関性について解説した。大谷氏は「空間放射線量率が、理論値より早いスピードで減っている点は明るいニュースである」としながらも、「放射性物質は消えるものではないため、移動しているだけという説明が、かなりの部分に当てはまる」と、慎重な見方を示した。その上で「除染効果を正しく把握するには、今後、さらなる研究が必要だ」と主張した。