「教育とは、われわれの共同体の存続維持に不可欠なもの。継承することを尊ぶ人類学的な仕組みなのだ。特異な集金システムにすぎない株式会社のやり方が、もっとも合理的で効率がいいと考えて、それで教育を軽視するのは倒錯的であり、狂気の沙汰だ」。
内田樹氏はこう述べて、今年6月に文部科学省が打ち出した、国立大学の人文・社会科学系学部廃止の方針に異を唱えた。
2015年10月5日、京都市左京区の京都精華大学の友愛館で、人文学部主催イベント「内田樹×白井聡 対談『この危機に臨んで人文学にできること』」が開催され、同大学の人文学部総合人文学科で教鞭をとる内田樹氏と白井聡氏の2人が、人文学の可能性について意見を交わした。
内田氏「人文科学が光る時は、乱世。これから、宗教、哲学など、人文系が注目される時が来る」」
「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については(中略)組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」──これは、2015年6月8日に文部科学省が出した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」の通知の中の一文で、発表直後から「人文系の切り捨てか」「国立大学で始めて、すぐ私大へ広げるのでは」と社会に大きな波紋を広げている。
日本学術会議は「人文・社会科学を軽視している」と批判する声明を出し、海外メディアもウォールストリート・ジャーナルが、「日本では理系人材を求める産業界の要請に応えるため、人文・社会科学系の教育を犠牲に」と報じた。
白井氏は、「大学改革は、この20年さんざん言われてきたが、やらない方が良かったことが多い」と述べ、結果的には官僚支配を増長させてしまい、大学教員は会議と書類作りに忙殺され、肝心の論文提出数が減少していると現状を憂慮した。
「権力者は、人々がバカな方が支配しやすいと考えている。学問は人を賢くする。近代は人間性の発展を目指してきたが、国家権力にとってはマイナスなのだ」
内田氏は、「文科省は『命令通りやれ。さもなければ金を削る』と言っている。大学人は金で動くだろうと見ており、そこに知性はまったく存在しない」と批判。「知の発動は、研究者同士のダイナミックな触媒作用があって初めて起こる」と述べ、そのためには多様性が必要だと訴えた。
その上で、「実学は、ギブ・アンド・テイクがはっきりし、予定調和で進む。人文学は100年単位で役に立ち、非常時に生き延びる方策を示すことのできる学問だ。人文科学が光る時は、乱世。これから、宗教、哲学など、人文系が注目される時が来る」と強調した。
学校の株式会社化、それを好感する日本社会は「集団的発狂状態」
冒頭の主催者あいさつで、京都精華大学人文学部長のウスビ・サコ氏が、「現在は、世界的に時代の転換期。そんな現状を理解し、未来を考える役目を担い、話し合う場でもあるのが大学の人文学部だが、それを廃止するという動きが出てきた。今日は改めて、人文学部の責任と可能性を考えたい」と述べた。
続いて、客員教授の内田樹氏と専任講師の白井聡氏が登壇した。まず、白井氏が、「新しい安保法制の成立、シリア危機など、私たちの前には数多くの問題が横たわるが、まず、大学の危機と安倍政権の危うさについて考えてみたい」と述べた。
内田氏は、「学校という制度が、株式会社化していることが問題だ」とし、「現代の社会では、すべての制度を株式会社的な価値観でつくり変えていくことが進行している。その中で、特に教育と医療の2つは、なかなか社会の変化に即応しないため、集中攻撃を受けている。大学では株式会社をモデルにして、人事、経理、指導方針など、かつて教授会が握っていた権限を、大学トップに移行させている」と語る。
今、大学の評価は、志願者数の増加率と卒業生の就職率の2つが指標になり、その数字が高いとマーケット(経済界)が好感するので、その学校は生き延びると内田氏は言う。
「問題は、こういう発想に多くの人が同意していること。しかし、株式会社の誕生は18世紀後半。大学は1000年も前からあり、学校教育の誕生はさらに遡る。教育とは、われわれの共同体の存続維持に不可欠なもの。継承することを尊ぶ人類学的な仕組みなのだ」と内田氏は続け、「特異な集金システムにすぎない株式会社のやり方が、もっとも合理的で効率がいいと考えて、それで教育を軽視するのは倒錯的であり、狂気の沙汰。今の日本は集団的発狂状態とも言える」と断じた。
大学改革で事務仕事が増大、論文提出数が減少する研究者たち
白井氏は、「大学改革は、この20年さんざん言われてきたが、やらない方が良かったことが多い」とし、それは結果的に官僚支配を増長させてしまい、大学の教員は会議と書類作りに忙殺され、論文提出数が減少していると話した。さらに、安倍政権になってから(大学にも)露骨に儲けを強要される、と嘆いた。
第二次世界大戦の敗因は、科学的精神の欠如だと指摘する白井氏は、「そのため、戦後は科学技術立国を目指し、高度経済成長を遂げた。しかし、1990年代に成長が鈍化。その打開策に『イノベーション』を打ち出し、技術革新に拍車がかかったが、結果は芳しくない。にもかかわらず、ここに来て政府は、さらにイノベーション重視を打ち出し、予算配分での締め付けが強まったという。
白井氏は、「金を投じればイノベーションが生まれるのか。そんな単純なものではない」とし、福島原発事故の津波対策に見られるように、問題はマネジメントなのだと主張。いまだに、技術開発はカネのかけ方次第という発想から抜け出せない政府の方針に疑問を呈した。
官僚は金がモチベーション、大学にも助成金削減をちらつかせる
「イノベーション」という言葉は死語にしてほしい、と応じた内田氏は、「ある電機メーカーでは、半年に1回のイノベーションが義務づけられていた。しかし、イノベーションとは価値観の変革のこと。半年に1回など、ありえない。(そのメーカーが社員に求めた)それは、イノベーションとは言わない」と語り、製薬会社のエピソードを紹介した。
「アメリカで医療経済学をやっている知人が来日した時、東大の医療経済学の講義を聴講した。そこでは『創薬のイノベーション促進は、製薬会社の法人税をカットし、資金を潤沢にすればできる』という話をしていて、それを聞いた私の知人は激怒した。なぜなら、アメリカでは5年前から製薬会社の法人税の優遇措置があったにもかかわらず、利益は株主に流れ、何ひとつ成果が上がっていないからだ。日本のトップクラスの頭脳が集まってアイデアを出しても、それが既出かどうか、検証もしない。これが日本の実態かと呆れたのだ」
さらに、内田氏は、京都精華大でのエピソードも披露した。教員は、事前に授業計画を提出しなくてはならないが、その計画の有無は、学生の評価や満足度とは一致しない。そこで提出を任意にすると、文科省から教育指導の欠陥を指摘され、助成金の削減が通告されたという。
「役所の命令通りやれ、さもなければ金を削る、ということ。官僚は、金が(人が動く)モチベーションになると信じている。大学人は金で動くと思っているのだ。そこに知性はまったく存在しない」と内田氏は語気を強めた。
「人文科学が光る時は、乱世。これから、宗教、哲学など、人文系が注目される時が来る」 〜内田樹氏と白井聡氏、人文系学部廃止の危機に警鐘 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/268731 … @iwakamiyasumi
教育を軽視するのは倒錯的であり、狂気の沙汰。今の日本は集団的発狂状態。
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