2013/08/08 【長崎】オリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授が語る『アメリカ史から見た原爆投下の真実』

記事公開日:2013.8.8
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※全文邦訳を掲載しました(9月10日)。

 来日中のオリバー・ストーン監督は8日、長崎市内で開かれたトークイベントに参加し、「原爆投下によって戦争が終結したと言われているが、それは真実ではない」などと語り、原爆投下は必要なかったと繰り返し強調した。

 このトークイベントは、『アメリカ史から見た原爆投下の真実』と題され、長崎ピースウィーク実行委員会が主催したもの。イベントには、オリバー・ストーン監督と共に『もうひとつのアメリカ史』を著した、アメリカン大学のピーター・カズニック教授も参加した。

オリバー・ストーン(Oliver Stone):1946年、アメリカ・ニューヨーク出身の映画監督。ベトナム戦争に陸軍兵士として参加し、その実体験をもとに1986年、『プラトーン』を製作。同作品は、リアルな戦闘シーンや民間人の虐殺など、ベトナム戦争の悲惨さを描き、第59回アカデミー賞の作品賞、監督賞など4部門を受賞した。そのほかに、『7月4日に生まれて(1989年)』や『JFK(1991年)』、『ブッシュ(2008年)』などの監督を務めている。

■主催 長崎ピースウィーク実行委員会
■詳細 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2013/06/blog-post_10.html

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     ▼オリバー・ストーン監督

     ▼ピーター・カズニック教授

        ▼イベント終了後にサインをするストーン監督とカズニック教授

【以下、全文邦訳】

「オリバー・ストーン監督・ピーター・カズニック教授が語るアメリカ史から見た原爆投下の真実」【要旨】
2013年8月8日(木)18時~20時
会場 長崎県勤労福祉会館(長崎市桜町9-6 長崎市役所水道局裏)
主催 長崎ピースウィーク実行委員会

オリバー・ストーン(Oliver Stone)監督
ピーター・カズニック(Peter Kuznick)米アメリカン大学教授
木村朗鹿児島大学教授
乗松聡子ピ―ス・フィロソフィー・センター代表

——ドキュメンタリー・シリーズを制作した理由および経緯について

[ストーン監督]
2008年のことですが、ジョージ・ブッシュ政権の8年間を経て、私は我慢の限界にきていました。変わり果てたアメリカの姿に、大きな怒りを感じていたのです。そこで、また長編映画を撮るくらいなら、アメリカン大学のピーター(・カズニック氏)と一緒に、ドキュメンタリー・シリーズを作ろうと決めました。第二次世界大戦から現在のオバマ政権に至る70年間のアメリカの歴史を扱いたいと考えました。米国がいかに『国家の安全保障を振りかざす』国になってしまったか、そしてソ連の崩壊以降『世界の安全保障を振りかざす』国になってしまったかを描こうと。それが私たちの意図でした。合計12時間のドキュメンタリー・シリーズと併せて、本も出版することになりました。

[カズニック教授] 
このプロジェクトは、当初、60~90分程度のドキュメンタリーを制作しようというものでした。それが、数週間後にニューヨークにオリバー(ストーン監督)に会いに行ったときには、全10編10時間の構成にすることになりました。当初は、6か月程度でできあがると思っていたのですが、全10編10時間となり、12編に増え、本まで出すことになりました。半年から1年のプロジェクトのつもりが、終わってみれば5年間かかってしまったわけです。

私たちは、アメリカ帝国の歴史を網羅するために、1870年代から2012年のオバマ大統領再選までを扱うこととして、全体像を提示しています。基本的なとらえ方は、広島も長崎も神話の中で語られているということです。こうした虚構は、まず米国の学校で子どもたちに教えられますが、それで終わりではありません。人々の思考は誤った方向に導かれているのです。アメリカ帝国について、米国が次から次へと関与する戦争について、米国による占領、米国政府の命令、米国による世界の軍事化、世界中に置かれたアメリカ帝国の基地、陸・海・空のみならず宇宙空間やサイバースペースに及ぶ米国の支配、日本など米国の圧力下にある国々のみならず全世界を対象とする米国の監視。このような状況下で人々の判断を誤らせてきたのです。沖縄の米軍基地に異議を唱えようとした鳩山元首相は、どうなったでしょうか。米国につぶされたのです。オバマ大統領が、日本で必要とされている改革者となる機会を鳩山氏から奪い、失脚させたのです。

私たちのプロジェクトは、米国民に真実を映す鏡を掲げることを目指しています。真実を映す鏡は日本にも必要です。そのためには、幅広く研究者が協力することが重要です。日米両国は、欺瞞の契りを結び合った同士です。この関係は第二次世界大戦、それ以前までさかのぼります。学校で子どもたちに毎日語られるウソや欺瞞。オバマ大統領と安倍総理のコンビで、事態は悪化するばかりです。こうした状況を打開するために、私たちは力を合わせなければなりません。

——広島および長崎への原爆投下について

[ストーン監督]
一般の米国人は、広島・長崎への原爆投下を「成功」だったと考えています。私たちは、アメリカ帝国が創りあげた神話を、ただ盲目的に信じているのです。このような基盤があって、米国は70年間何のとがめも懸念もなく、軍事行動を取ることができたわけです。

米国の一般高校生は、広島・長崎(の原爆投下)を、第二次世界大戦を終わらせた「勝利」だと考えています。なぜなら、日本人は狂信的な国民であり、(原爆投下がなければ)アメリカ人は日本を侵略するのに、何百年何千年とかかっただろうからです。こうした神話を学校で教えられるのです。このドキュメンタリー・シリーズを10分ご覧になっただけでは分からないかもしれませんが、それは真実ではありません。本でも取り上げましたが、1945年に日本が降伏しようとしていた大きな要因はソ連の侵攻にあったことなどが、米国の学校で子どもたちに説明されることはまずありません。長崎への原爆投下によって第二次世界大戦が終わったという話は、真実ではないのです。

米国による広島・長崎への原爆投下の本当の目的は、皮肉にも、第二次世界大戦後の米国の勢力圏を守るという時には米国は歴史上最も残虐な行為も厭わないということを、ソ連に知らしめることでした。

2つの都市に落とされた原爆の意味を区別することは、建設的ではないと思います。1つでも落とされたことが大問題なのです。広島(への原爆投下)は、戦争を終わらせるためだとしても、実にひどいやり方でしたし、このドキュメンタリーでは主要テーマとしませんでしたが、原爆は軍事的にも戦略的にも投下する必要がありませんでした。投下しなくてもよかったのです。戦時であれ国際法に違反すれば制裁が科されますが、米国だけは広島に原爆を投下したにもかかわらず、それをとがめられないという、非常に重大な前例ができてしまったのです。誰も米国に異を唱えようとはしませんでした。抗議の声は挙がりましたが、罰を受けずにすんだのです。責任を逃れられるとなると、隠蔽や不当な工作が次々に行われるようになってしまいます。

その後、米国は他の国々に対して何度も核の脅威を利用しています。ベトナムや朝鮮で。ベトナムでは、もう少しで核を使用するところでした。フランスに対して脅しとして利用したわけです。ラテン・アメリカでの戦争にもこれを利用しました。中東にもロシアに対しても、何度も繰り返し利用しています。おかげで米国は強気に出ることができたのです。米国の立場からすれば、長崎への原爆投下は、(広島と)何も違わないということです。

[カズニック教授]
米国は、日本が敗北を認め、降伏しようとしていることを知っていました。トルーマンはポツダムに行って、ソ連が参戦することを確認しました。トルーマンはこう日記に記しています。「スターリンが参戦を言明。8月15日までに対日戦争に加わる。そうなったら日本は終わりだ」と。原爆が戦争を終わらせたわけではないのです。

米国はすでに日本の都市への爆撃を実行していました。3月10日の東京大空襲を始めとして、米国の日本への爆撃は100都市を超えていました。富山市は99.5%が破壊されたと言います。飛行機1機で1発の爆弾を落とすか、200機で1万発を落とすかは、大きな問題ではありません。すでに米国は都市の掃討にかかっていたのです。

ソビエトの参戦も迫っていました。そうなると、日本の外交戦略は破綻し、鉄道、軍事戦略も崩壊します。戦況が一変することになるわけです。米国の諜報機関はこれを知っていました。もう一月もすればソ連が参戦し、戦争が終局を迎え、日本もすぐさま敗戦を認めるだろうと。

にもかかわらず、米国が原爆を投下したのはなぜでしょうか。それは、米国がソ連に対し、「ソ連が米国の終戦後の計画を妨害すれば、同じことがソ連にも起こるぞ」というメッセージを送るためだったのです。残念ながら、広島・長崎の市民はその過程で犠牲となりました。

−−オバマ政権とブッシュ政権の比較について

[ストーン監督] 
オバマ大統領を買いかぶってはいけません。オバマ政権に関して、(客席を指差して)そこの若い方はおそらく仏教徒だと思いますので、仏教の教えの一つを用いるなら、あなたが車を購入して、運転するうちに、あなた自身が車であるように思います。オバマ政権の陣容を見てください。オバマ大統領は、対中国政策として「アジアへの転換(pivot to Asia)」を表明したヒラリー・クリントンなど、ネオ・コンと呼ばれる人々を登用しています。そのため、彼自身が彼らのようになってしまいました。オバマ大統領がこうした人材を起用したということは、つまり、自ら保守派の政策を選択するということです。

オバマ大統領は一面では核廃絶や平和を口にしますが、実際に何をしたでしょうか。ジョージ・ブッシュの始めた施策を是認し、定着させただけです。ジョージ・ブッシュは、法を破り、通信回線の盗聴を行いました。そしてオバマは、法を破ることを制度化したのです。オバマは、そのやり方を「国家機密」と称し、極秘命令によってこれを実行するのです。私たちには、作戦実行の理由を知ることは許されません。

結局、オバマ大統領のしてきたことは、ブッシュと同じです。ブッシュは大統領の地位を金で買いました。もちろん、これは違法なことです。2008年、オバマは民主的変革(チェンジ)を求める人々の期待を一身に受け、票を集めました。しかし、オバマは国民の期待を裏切ります。政府の透明性や市民参加の重視、憲法の尊重といった要請を掲げながら、国民を裏切り、変革の期待、民主主義への期待は持てなくなりました。

[カズニック教授]
オバマに関しては、オリバーとまったく同意見です。(ドキュメンタリーの)エピソード10を是非ご覧下さい。これまでにないほど辛辣に、オバマ政権を批判しています。

私たちはオバマ政権に大きな期待を寄せていました。ついに米国初のアフリカ系アメリカ人大統領が誕生したのだと思うと、胸が高鳴りました。世界に向けてすばらしいニュースを発信することになったのです。オバマは、ブッシュの正反対の人物に思えました。だからこそ、彼が有権者に選ばれたのです。しかし、オバマの政策は正反対ではありませんでした。ブッシュの政策を踏襲するものだったのです。

ブッシュ政権のアリ・フライシャー元報道官は、「オバマ政権は第4期ジョージ・ブッシュ(父)政権だ」と評しました。オバマはブッシュと同じだと、自慢げに話しているのです。ブッシュの支持者も同じことを言っています。私たちには大きな失望です。変革(チェンジ)が実現していないのです。オバマは、より有能なアメリカ帝国の支配人であり、より賢いなアメリカ帝国の広報官であり、米国の専制や独裁政治における「スマイリー・フェイス」(笑顔のキャラクター)なのです。

−−ヘンリー・ウォレスについて

[カズニック教授]
ヘンリー・ウォレスは、私にとって重要な人物です。まず、このプロジェクトにとっても重要な人物です。私がオリバーと初めて会ったのは、1996年のことでした。オリバーが私のクラスに参加してくれたのです。その後、夕食を共にしながら、「撮るべき映画のアイデアがある」と話したのです。それがヘンリー・ウォレスのことでした。

1944年シカゴで開かれた民主党大会はテレビで中継されたのですが、このときの出来事について話しました。民主党幹部は、副大統領候補者からウォレスを除名し、ハリー・トルーマンを入れようとしていました。しかし、当時ウォレスの人気は高く、世論調査では、ウォレスの副大統領再任を望む有権者が65%だったのに対して、ハリー・トルーマンを支持したのは2%でした。65%対2%の大差です。

ところが、党幹部が党大会の仕切りに幅をきかせます。ウォレス側の自由なアピール時間の半ばに、ひとりのウォレス支持者がマイクのところに進もうとしました。彼はその夜ウォレスが指名される可能性があることを知っていたのです。ウォレスは党大会で圧勝し、副大統領候補に復帰するはずでした。そうなると、1945年にはトルーマンではなくウォレスが大統領になっていたことになります。ところが、マイクまで後5フィート(1.5メートル)というところで、おかしなことが起きました。その瞬間、党幹部が党大会の中止、休会を宣言したのです。ウォレスはマイクまで後5フィート(1.5メートル)というところでした。ここで候補指名を受けていれば、連邦政府の指名により、ウォレスが副大統領になり、ルーズベルトが急死したとき、トルーマンではなくウォレスが大統領になっていたはずなのです。私たちは、もしウォレスが大統領になっていたら、原爆投下も、おそらく冷戦も起こらなかったと考えています。

それほど重要な人物でありながら、ヘンリー・ウォレスは米国ではあまり知られていません。1941年から1945年の副大統領は誰かと学生に聞くと、「ん~、ハリー・トルーマンですか」とか、知らないという答えが返ってきます。ヘンリー・ウォレスは歴史の表舞台から消されてしまったのです。今回このシリーズが日本で放映されるおかげで、日本の人々の方が米国の人よりもヘンリー・ウォレスを知っているのではないでしょうか。私たちは、歴史の失われた部分を取り戻そうと試みているのです。鍵を握っているのは、戦い、抵抗し、米国と世界について異なるビジョンを持っていた人々です。

米国の近年の歴史において、ヘンリー・ウォレスほど素晴らしいビジョンを持った人はいませんでした。ウォレスは他の国々の目から世界を見ることができました。ウォレスには、1945年のソ連が世界をどのように見ていたかを理解していました。日本人が世界をどのように見ていたかも分かっていたでしょう。米国の利益という狭い視野しか持たない米国において、ウォレスは異なるタイプの政治家でした。フランクリン・ルーズベルトやジョン・ケネディ、大統領就任後間もない頃のジミー・カーターもそうでした。オバマもそうであってほしいと思っていたのですが、非常にがっかりしています。

−−キューバ危機とジョン・F・ケネディ暗殺について

[ストーン監督]
今夜見ていただいた章の次の章では『冷戦』を取り上げていますが、アイゼンハワー大統領が登場します。アイゼンハワーは偉大なヒーローだと思われています。しかし私たちは、彼がどの大統領よりも、米国内に軍事拠点施設を整備するために尽力した大統領であると紹介しています。核弾頭の保有数は1000発から、ケネディが大統領に就任する1961年にはおよそ3万発にもなっています。

世界史の中でも最も興味深い時代の1つだと思います。米国は軍備を固め、ソ連よりもはるかに強力な軍事力を備えていました。米軍司令官もそのことを知っていましたから、「今こそ、ソ連を攻撃し破壊する時だ。中国も倒す。絶好のチャンスだ」と言い出すほどでした。

ものすごい話です。ジョン・ケネディは、『コールド・ウォリアー(冷戦支持者)』というふれこみで大統領になりました。おそらく、それが選挙で勝つ唯一の手段だったからでしょう。彼は確かに冷戦を支持すると発言していましたが、彼はすぐに米国軍部と対立することになりました。キューバやピッグス湾への侵攻に対してノーと言い、ラオス侵攻も拒否したのです。

当時は危険な状況にありました。アイゼンハワーは、核兵器を使いたいと考えるほどまでに、軍備を増強していました。ケネディは非常に危うい立場にありました。キューバ・ミサイル危機が起き、ソ連のフルシチョフとの間で緊張が高まりますが、ケネディはキューバ侵攻に同意しません。1962年10月には全面核戦争の寸前までいきました。ケネディとフルシチョフは、自国の軍部に対するコントロールを失いかけていることを理解していました。勇気を持って自軍に対しノーと言い、そのおかげで緊張が緩和されたのです。

軍司令官らは、ケネディやフルシチョフとの間で、激しくやり合いました。ケネディとフルシチョフはその後も交渉を重ね、1963年に核の協定を締結するに至りました。すばらしい成果です。ケネディは、「これが私の最も大きな業績だ」と回想しています。ジョン・ケネディは1963年の6月に、ピーターの所属するアメリカン大学でのスピーチで、平和について、そしてソ連に対する理解と思いやりについて、第二次世界大戦での犠牲について語っています。

第二次世界大戦の18年後、ケネディとフルシチョフのおかげで、私たちは文字通り冷戦の終結に向かっていました。2人は多くのことについて話し合いました。軍司令官らとの間の緊張も和らぎました。ケネディは非常に人気があり、1964年11月の大統領再任は明らかでした。再選後の4年間にはもっと多くのことができたはずです。既にベトナムからの撤退の意向を表明していましたし、キューバのカストロとも交渉を試みていました。平和を目指す行動が多くの方面で実を結ぼうとしていた矢先、1963年11月の白昼、テキサス州ダラスで彼は突然暗殺されてしまいました。

直ちに、リンドン・ジョンソンが大統領に昇格しました。ジョンソンは、1、2週間後にはハリー・トルーマンやフランクリン・デラノ・ルーズベルトのような政策を採り始めました。つまり、大きな方向転換です。ジョンソンはベトナム戦争の遂行を確約し、冷戦を再燃させました。ロシアではフルシチョフは強硬派に政権を奪われ、雪解けの大きなチャンスは去り、レーガンとゴルバチョフが登場する20年後まで待たなければならなくなりました。

[カズニック教授]
キューバ・ミサイル危機に関していくつか補足させてください。キューバの歴史上、最も危険な状況でした。アイゼンハワーによって核弾頭の保有数は1,000発から3万発に増加していました。さらに、アイゼンハワ―が就任した当時は、核兵器は米国が使用する「最後の手段」でしたが、アイゼンハワー政権下では、それが「最初の手段」としてみなされるようになったのです。ソ連との間で即座に核戦争が起こると想定されるようになりました。アイゼンハワーの就任当時は、核のボタンを押すことができるのは(大統領)一人だけでしたが、彼が辞任する頃には何十人もボタンを押せる状況だったのです。戦争計画によれば、米国が核攻撃だけで、24時間以内に6億5千万人が死亡すると想定されていました。6億5千万人です。ホロコースト(ナチスによる大虐殺)の犠牲者1億人をはるかに上回る人数です。

キューバ・ミサイル危機は、このような状況下で起きたのです。米国の駆逐艦がソ連の潜水艦にデプス・チャージャー(水中爆雷)を投下し、潜水艦を破壊しました。大量の二酸化炭素が立ちのぼり、船内温度が上昇しました。潜水艦の乗組員は熱によって気を失い、艦長は息絶え絶えでした。電気系統も壊れました。モスクワには到着できそうにありません。彼らは米国との核戦争が始まったと考え、ソ連の艦長は核魚雷の発射を命じました。全人類にとって幸いなことに、アルキポフという名の将校が、艦長を説得して思いとどまらせたのです。もし彼の説得がなければ、核魚雷が発射され、この時点で核戦争が始まり、世界の大半が壊滅していたことでしょう。

ケネディの驚くべき勇気を示す逸話を紹介しましょう。ケネディに対して軍司令官らは皆、キューバへの侵攻、およびミサイル基地の空爆を要請していました。政治顧問も侵攻およびミサイル基地の空爆を進言していました。ケネディはたったひとりで、これを拒否したのです。もし米国が侵攻していたら、どうなっていたでしょう。米国は、キューバに1万のソ連軍がいると考えていましたが、実際の兵力は4万3,000人でした。キューバ軍の兵力を10万人と見ていましたが、実際の兵員数は27万人でした。米軍側に当初予想された死者数は4,500人、後に2万5,000人に修正されました。1992年になって、初めて米国が確認した事実があります。それは、戦場核兵器100発がキューバに配備されていたということです。もし米国が侵攻していたら、キューバはこの戦場核兵器を使ったかもしれません。ソ連軍も使おうとしたかもしれません。ロバート・マクナマラ(元国務長官)は、この事実を知って卒倒しそうになったといいます。もしキューバに侵攻したとすると、ソ連軍を撤退させるために、10万人ほどの犠牲者が出たことでしょう。米国は、間違いなくキューバを占領し、ソ連軍を掃討しようとしたでしょう。そういう事態を招くところだったのです。この危機に際し、ケネディはただひとり軍部に立ち向かい、戦端を開くことを拒否したのです。

−−今回の来日で記念館・資料館を訪問した感想、および中国や朝鮮に対する歴史問題について

[ストーン監督]
私は同じ質問を日本人に問いたいと思います。アメリカ側については語れますが、日本のことは理解していません。これまで日本を何度も訪れていますが、どうにも分からないことがあるのです。それは、日本人が東条内閣の時代、なぜあれほど残忍になれたのか、どうしてそうなったのかということです。日本を破壊した軍国主義者の心理が働いたのか。なぜ、中国人や朝鮮人をあれほど残虐に扱うことができたのか。アメリカ人やイギリス人、オランダ人捕虜などに、なぜあれほどひどい仕打ちができたのか。非常に暗い闇があるようです。日本人は親切で、温和で、あらゆる美徳を備えているように映ります。文化水準もとても高い。よく練られた映画が作られています。にもかかわらず、想像を絶する残忍さや残虐さがある。私には理解できない闇が、日本人の心に潜んでいるのでしょうか。その大きな隔たり、日本人の闇というものが、私には理解できません。

[カズニック教授](会場の方からのご意見を受けて)
ご意見ありがとうございます。戦争や戦争教育、軍事教練の影響があるのではないかという大変重要なご指摘がありました。ドイツの事情についてもご指摘がありました。私たちの間でも大いに議論したことです。比較してみると、ドイツは過去に向き合おうと真摯に取り組もうとしているのに対して、日本は過去の出来事を水に流して、なかったことにしようとしているのは問題だと思います。

その点で、日本は米国とよく似ています。米国も自らの過去に向き合っていません。ネイティブ・アメリカンに対する扱いについては、ようやくこの20年で向き合い始めました。それに関しては良くなっています。しかし、アメリカ帝国による扱いについては、まだ向き合っていません。米国が傲慢な帝国であるということすら認めていません。2003年1月5日付のニューヨーク・タイムズ誌に『アメリカ帝国 それに慣れよ』(“The American Empire, Get Used to It)という見出しの記事が掲載されました。

米国は、まさにそういうリーダーを選んできました。ジョージ・ブッシュやディック・チェイニーだけではなく、マデレーン・オルブライトやヒラリー・クリントンといった国務長官、そしてバラク・オバマやその他の連中もです。オルブライトのこの言葉が、思い起こされます。「我々が武力を行使しなければならないのは、我々がアメリカ合衆国だからです。我が国は必要不可欠な国なのです。我々は他の国々よりも断固たる態度を取り、遠くに目を向けています。ですから、米国の武力行使は正当化されるのです」

日本もまた、自らの歴史を否定してきました。石原氏、橋下氏、安倍氏など。これまでの日本のリーダーを見ると、安倍総理の言動は目に余ります。安倍総理は、慰安婦問題を否定しているだけではなく、南京の大虐殺や他の歴史についても否定しようとしています。2000年にNHKが日本人の従軍慰安婦に関する番組を放送しようとしました。NHKに番組内容の改変を迫るために自民党が起用したのが安倍氏でした。安倍氏はまた、教科書の改訂にも積極的です。日本は後退の危機に瀕しています。歴史に対してより誠実に向き合うのではなく、不誠実になろうとしているのです。

日本はいまだに米国の核の傘下にあります。安保条約も継続しています。日本は自立しようとするのではなく、違う方向に進んでいるようです。もし安倍総理が日本国憲法第9条の改正に成功したら、日本の将来の姿は相当醜いものになるでしょう。日本は、米国の戦争に関与することになるでしょう。日本はすでに沖縄から戦争を支援し、その他の後方支援を行っていますが、近い将来、日本の若者が米国の戦争に参加するために派遣され、遺体袋に入れられて帰還するようなことになるのではないかと危惧しています。



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