【第241-245号】岩上安身のIWJ特報!社会全体が「山谷」化している現代日本 ~山谷争議団事件と新宿西口バス放火事件から、差別と搾取の構造を問う 安田好弘弁護士インタビュー 2016.1.31

記事公開日:2016.1.31 テキスト独自
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(岩上安身)

 

 安田氏との接点は、昨年の2月21日、北海道の帯広で開かれた石川知裕元衆議院議員(小沢一郎氏の元公設第一秘書)の、陸山会事件の「裁判報告会」だった。石川氏から司会を依頼された私は、石川氏の弁護をつとめた安田好弘氏の基調報告を聞きながら、パネルディスカッションをさばいた。

 安田氏の印象は強烈だった。◆衝撃的だった陸山会事件「裁判報告会」での安田好弘氏との出会い――突飛でも、理屈っぽくもなく、万人にわかる言葉で丁寧な口調で説いてゆく姿に感銘を受ける

 山谷争議団事件、新宿西口バス放火事件、宇都宮病院事件、ドバイ日航機ハイジャック事件、あさま山荘事件、オウム真理教事件、和歌山カレー事件、光市母子殺害事件、陸山会事件・・・。

 この40年、安田好弘弁護士は、時代の転換点となった数々の重大事件の弁護人を引き受けてきた。2008年4月には『死刑弁護人~生きるという権利』(講談社+@文庫)を刊行し、弁護士としてのこれまでの仕事を振り返っている。

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 一度も会ったことがないのに、私の中には、すでに安田弁護士のイメージが積み上げられていた。個性的で、偏屈、かたくな、厳格で独善的、偏狭・・・といったイメージであり、言うまでもなくそれは、マスコミを通じて形成されてきたものだ。

 ところが実際にお会いした安田好弘弁護士は、温厚で、微笑みを絶やさず、人当たりもやわらかい。会う前に抱いていたイメージと、まったく違う人格が、わかりづらい陸山会事件の真相を、淡々と解き明かしてゆく。その説明の仕方も、決して突飛でも理屈っぽくもなく、万人にわかる言葉で、しかも丁寧な口調で説いてゆく。

 まいった、と思った。マスメディアは平然と、情報操作や、人格のイメージ操作を行う。決してそれらをうのみにしてはいけないと、私自身、常に戒め、世間にもメディアの作る虚像にだまされないようにと、たびたび呼びかけてきた。

 だが、安田弁護士に関しては、私はうかつにも、流布された虚像をさして疑うことなく、受け入れてきたのである。安田氏の実像に驚くと同時に、私は自分の不明も大いに恥じた。

 1947年生まれの安田氏は、学生時代には全共闘運動に傾倒し、この世代に共通の「革命幻想」を持っていたという。弁護士となってからは、学生時代への痛切な思いから、政治的な問題には一切接触しないと決めていた。

 だが、ほとんど仕事がないなかで、話が舞い込んできたのが山谷の労働争議だったという。

 1980年代、山谷では建設業者や暴力団、警察までが結びついた「搾取」の構造に抵抗しようと、日雇い労働者たちが「山谷争議団」を結成し、激しい団体交渉を繰り返していた。安田氏は山谷の労働者たちが置かれている不条理な現実を知るにつれ、この問題に次第に深く関わっていくようになる。

 インタビューの後半では1980年8月に起きた「新宿西口バス放火事件」に話が及ぶ。犠牲者6名、重軽傷者22名を出し、豊かさを達成した戦後日本で、公然と行われた無差別殺人事件の原点とも言われたこの事件は、当初警察やマスメディアによって、加害者による「鬱憤晴らし」による犯行とされてきた。しかし安田氏は、加害者Mの生い立ちや事件に至るまでの詳細な過程を追うなかで、先行していた事件のイメージとは異なる「別の真相」をつかんでいく。

 安田氏は、数多くの事件を担当してきた実感として、事件に巻き込まれる人間たちの多くが「弱い人」だったと語る。「弱い人」とは、経済的な条件だけでなく、人間的なネットワークや、精神的な愛情、教育など、当人を支えるはずの様々な条件に恵まれずに生きてきた者のことだ。「弱い人」であるがゆえに、「事件」を引き寄せてしまうのだと安田氏は言う。

 インタビューの中で「なぜ、死刑囚の弁護人をされるのか」と問うと、安田氏は「ただ頼まれただけの話です」と、素っ気なく答えている。だが、これだけの重大事件を数々引き受けて来られたのには、弁護士としての特有の視座や考え方、あるいは安田氏自身に、そうした時代を象徴する事件を呼び込んでしまう磁力のような何かが備わっているのではないか。

 安田好弘氏に、お話をじっくりとうかがいたい、と思った。安田氏が手がけた事件についての、安田氏の語りを聞きながら、安田氏が向き合ってきた「時代」をつかまえ直してみたいと思ったのだ。我々がマスメディアの作り出す偽りのイメージに目をくもらされてきたように、我々が「大事件」として記憶している事件の数々が、安田氏の視座からは、まったく別の相貌を見せるかもしれない。

 安田氏はほとんどインタビューを受けることがない、徹底したマスコミ嫌いで知られており、これまで大手メディアやテレビの取材はほとんど断ってきたという。しかし、ありがたいことに、このたびは、安田氏からロングインタビューの快諾をいただけた。貴重なインタビューである。その点は、ぜひとも強調しておきたい。

記事目次

  • 山谷争議団事件、新宿西口バス放火事件、あさま山荘事件、オウム真理教事件、光市母子殺害事件、和歌山カレー事件・・・この40年間の日本を形作ってきた数々の重大事件の弁護人を引き受けてきた安田氏
  • 「メディア嫌い」のわけ――「やはりメディアは、売らんかなの商売ですから、できるだけ面白おかしく、あるいは誇張して、強調して、デフォルメされたものが伝わっていくだろうと思う」「僕らは裁判所に向かって、あるいは検察官に向かって、あるいは警察に向かって仕事をしている」
  • 「本当に革命が起こるだろうと思っていた」遅い弁護士デビューまでの、革命を信じていた日々~自分の視座をどこに求めるか――逮捕され、300日間にわたり拘留されたことも
  • 「行くところがなかっただけ」――弁護士になったきっかけは何か? 学生運動崩れの人間が、行きどころがなく・・・「それでも、弁護士になれば、国家権力から狙われた時でも、一定程度戦う術を持てるのではないかという幻想はあった」
  • 強い人と弱い人がいる――事件に巻き込まれるのは加害者も被害者もたいてい弱い人だった~「『弱い人』がひとりで困難を克服するのは難しいし、どうしても孤立してしまう」
  • 富裕と貧困、安定と不安定、至るところに境界線があり、その境界線で衝突が起こり、事件という形で現象化する――「貧困が境界線になり、クロスオーバーしているところでは、文化的衝突がある」
  • 死刑囚の弁護人を引き受けてきたのは「頼まれただけの話で意図しているけではない」~「弁護士としての仕事が長くなると、どうしても頼まれることもあるし、頼まれると断れない場面もあるし。それで、こうなっちゃったんですよね」
  • 原点となった山谷争議団事件――「もう社会的な問題には接触したくない、できない」痛切な思いで弁護士になったのだが、山谷の労働問題に深く関わっていく
  • 「子供や家庭の問題を扱う弁護士、ファミリーロイヤーになろうと思っていた」――仕事がなかった時に唯一頼まれたのが、山谷の救護連絡センターだった
  • 生かさず、殺さず~警察の役目は、暴力団を利用しながら寄せ場の治安を維持し、安定的に労働者を建設業に供給すること――弁護士として政治構造の矛盾の只中に分け入ってゆく
  • 警察の方針――「治安を混乱させるような人間は、全部そこから排除していく」
  • 労働者は使い捨て? 負傷しても労災を認めない~前田建設・最上鉄筋労災もみ消し事件――「事務所の隣の部屋には警官がずらーっと並んでいた」
  • 山谷では、多くの労働者が「棒心=暴力団」に見張られ、「半タコ飯場」で半監禁状態で働かされていた~山谷・山村組事件の実態
  • 「山谷の労働者は、ほとんどが『弱い人』であり、暴力団がいるというだけで怯えてしまう」――「お前、なんぼのもんじゃ」を金銭要求の恐喝文言だと取り上げられ、有罪に
  • 「思想的には集団化しても、行動は組織化しない」山岡強一という人間の思想――「ものすごく寡黙な人で、しかし、なぜ自分たちは今戦っているのかということを常に考えて、それをわかりやすい言葉で語る人でしたね」
  • 山岡強一氏、たった48時間の北海道・札幌への帰郷~山村組の事件でリーダーとして逮捕された裁判の最中に、父親が亡くなった
  • 差別があり、搾取があり、それを維持する暴力がある日本の歴史――「そして、棄民として社会から抹殺される人々がいる」
  • 山岡強一への凶弾は、絶対的な暴力への恐怖を増大させた――「人民葬」を警察が弾圧するという非道
  • 「山谷」のその先~収容所と化していた精神病院――「ある日、人がいなくなる。保健所の職員が来て、ホームレスをリヤカーに乗せて収容していく。そして、目が覚めたら、精神病院に入れられていた」
  • 当時の精神病院は、精神病患者だけでなく、家庭や地域、職場などにおける厄介者を閉じ込める場所だった
  • 医師が精神病患者を囲んで「品評会」をするという驚きの実態
  • 現代のネットカフェは山谷のドヤよりもっと悪条件――「社会全体が山谷化している」
  • 連合は、自分たちの権利の範囲内だけで安心し、満足している
  • 6人死亡、14人重軽傷の大事件――新宿バス放火事件~背景にあった「貧困と福祉」の問題。逮捕されたのが日雇い労働者だったというのを聞いて「ピンときた」
  • 精神を病み、育児放棄をした妻と離婚、そして子供は施設に――それでも、毎月5千円の養育費を払い、ランドセルや運動靴も送っていたMさん
  • 動機は「日頃の鬱憤、妬み、嫉妬」~検察の作るストーリーとMさんの複雑な思いは乖離していた――「Mさんは自分を”能なし”と思い込んでいた」、最初の接見で出た言葉は「申し訳ない」
  • 検察が作る「社会には格差があって、ずっと貧しい立場にいる人間は、豊かな層に対して嫉妬を持ち、面白くないという気持ちを抱えている」という安易なストーリー~社会から排除されたMさん
  • Mさんが抱えていた「福祉さん」への恩と恐怖――逃げ続けた先で重なった不幸~岩国から広島、岡山、姫路、釜ヶ崎、そして東京へ 追いかけるように襲いかかる「被害妄想」
  • 事件当時、Mさんはカップ酒を3杯飲み、「異常酩酊」を超える「複雑酩酊」状態に陥っていた~飯場に行かなければ行けないのに、鍵がない状態でもあった。「福祉さん」が追いかけてくるという妄想も
  • コインロッカーには「保管期限を2日超えると荷物は違う場所に保管されます」と書いてあったが・・・字が読めなかったMさん
  • なぜMさんはガソリンを持っていたのか~「飯場にお土産としてガソリンを持っていけば喜ばれるだろうと思った」――一転、「福祉を焼いてやろう」と思い立つ
  • 毎月5千円を送っていたのに、Mさんに「ちゃんと真面目に払いなさい」と言い放っていた福祉の職員~「日雇い労働者は酒を飲んで酔っ払う」という刷り込み
  • Mさんの貧困は、社会的なケアがなされていなかったがゆえのもの~「こっち側が善、こっち側が悪」とは言い切れない――Mさんは「人を惹きつけてやまないものがあった」
  • 「事理弁識能力」を失うほど重篤な精神疾患だったMさん~開いていないはずのバス後部ドアが開いていたという「悲劇」――「開いていなければ、彼は火を投げ入れていなかったはず」
  • なぜ、「凶悪犯」の弁護をするのか――「異常な精神状態の中で火を投げたわけですから、刑法でいうと、殺人罪は成立しない」
  • Mさんにとって刑の確定は、いつ終わるとも知れない長い受刑の始まりにすぎなかった~長い受刑の期間こそ、弁護と支えが必要だった
  • Mさんとの面会を望んだ被害者女性・杉原美津子さんの思い――「やはり彼を一方的に非難するわけにいかない」~身元引受人に名乗り
  • 刑務所内での自殺というあまりに悲しい結末――「長い受刑の期間こそ、弁護が、そして支えが必要だった」

山谷争議団事件、新宿西口バス放火事件、あさま山荘事件、オウム真理教事件、光市母子殺害事件、和歌山カレー事件・・・この40年間の日本を形作ってきた数々の重大事件の弁護人を引き受けてきた安田氏

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▲安田好弘弁護士

岩上安身(以下、岩上)「皆さん、こんにちは。ジャーナリストの岩上安身です。本日は、『死刑弁護人~生きるという権利』(講談社+α文庫、2008年)をお書きになった、安田好弘弁護士にお話をうかがいます。これは、文庫にしては大変分厚い本です。

 安田先生は、なかなかメディアの取材を受けてくださらない方として有名で、これまでも我々も何度かお願いしていたんですけれども、けんもほろろでした。しかし今年の2月21日に、北海道の石川知裕さん(※1)の裁判報告会(※2)でご一緒して、初めてお話ししたら、大変温和な方で、そこで取材を申し込んだところ、ご快諾いただいたのです。ところがその日の夜、私が倒れてしまいまして(※3)、今日までインタビューが実現しませんでした。

 私にとって、本当に待望のインタビューです。ご紹介します。安田好弘弁護士です。よろしくお願いします」

安田好弘氏(以下、敬称略)「こんにちは。よろしくお願いいたします」

岩上「先生と呼ぶなと言われているのですが、ついつい言ってしまうかもしれません」

安田「まあ、それは、極力少なくしていただければ結構です」

岩上「本当に、2月にはお世話になりました。どうもありがとうございました」

安田「いえ。こちらこそ」

岩上「あんなこと(心臓の冠動脈の攣縮発作に見舞われ、救急搬送されたこと)になってしまいまして、その後、ご連絡もろくろくせず、大変失礼いたしました」

安田「いや、大変楽しい集会だったですね。たくさんの人が見えて」

岩上「ああいう政治家や後援者の集会の場に行くのは初めてだとおっしゃっていましたね」

安田「ええ。初めてですね」

岩上「今まで弁護してきた中で、政治家は少なかったということですか」

安田「そうですね」

岩上「ご著書の中で、死刑囚、社会の底辺で苦しんでいる人など、弁護士なら誰もが担当を嫌がるような人の弁護を引き受けてきたとお書きになっていますけれども、いったいなぜですか」

安田「いや、たまたまです。政治家の弁護が少なかったのも、たまたま依頼されなかっただけの話。それだけのことです」

岩上「そうですか」

安田「たまたま依頼されて、受けてきた流れの一つだったということですね」

岩上「なるほど。手がけられた事件の数々は、振り返ってみると、私が知らないものもずいぶんありましたけれども、山谷争議団事件(※4)、新宿クリスマスツリー爆弾事件(※5)、仙台米軍通信施設爆破事件(※6)、この辺は、新左翼のテロ事件と言っていいでしょうか。

 そして、新宿西口バス放火事件(※7)も大変大きな事件で、皆さんの注目を集めました。北海道庁爆破事件(※8)、ドバイ日航機ハイジャック事件(※9)、ダッカ日航機ハイジャック事件(※10)、山岳ベース事件(※11)、この辺は連合赤軍ですよね」

安田「はい」

岩上「あさま山荘事件(※12)、そしてオウム真理教事件(※13)、和歌山カレー事件(※14)、耐震強度偽装事件(※15)、光市母子殺害事件(※16)、そして、陸山会事件(※17)。私は、帯広の裁判報告会で、陸山会事件についての安田さんのお話を聞いて、これはやはり、安田さんの視座からの話を聞かないと真相がわからないと思いまして、ぜひお話を聞かせてくださいと申し上げていたんですけれども、ご著書を拝読して、これだけの事件が並んでいるのを見て、陸山会事件だけでなく上から順番に話を聞いていきたいと思いました」

安田「ああ、そうですか。ほとんど忘れていますけれどもね」

岩上「安田先生は、ご自身のことは語りたくない、自己宣伝などしたくないとおっしゃいますけれども、これは皆、時代を画した、時代を彩った事件です。この40年間の日本を形作ってきた事件と言ってもいいくらい、重要事件が並んでいて、安田好弘という人の視座を借りてものを見ると、マスメディアを通じて、あるいは政府発表や裁判所の決定を通じて形作られてきたイメージとは、全然違って見えてくるんですね。それをぜひお聞きしたいと思っています。

 安田先生個人にも興味はあるんですけれども、それは直接おたずねしても語っていただけそうもないので、先生の視座で、これらの事件を語っていただければと思います」

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(※1)石川知裕:1973年北海道足寄町生まれ。早稲田大商学部卒。1996年2月から2005年7月まで小沢一郎秘書。

 同年衆院選で民主党公認で立候補し、中川昭一氏らを相手に落選するが、2007年3月に繰り上げ初当選する。

 2010年1月、政治資金規正法違反容疑で逮捕され、同年2月に起訴、民主党を離党する。2011年9月、執行猶予つきの一審有罪判決。2012年1月、鈴木宗男氏らとともに新党大地・真民主を立ち上げる。2013年3月、控訴棄却され、上告。同年5月、議員辞職。

 2014年9月30日付で最高裁判所は石川の上告を棄却し、禁錮2年執行猶予3年が確定する。15年4月30日付で民主党に復党(参照 wikipedia【URL】http://bit.ly/1PJ1gTU)。

(※2)裁判報告会:2015年2月21日、北海道帯広市のとかち館にて、石川ともひろの裁判を支援する会の主催による「石川知裕前衆議院議員 裁判報告会」が開催された。前衆議院議員の石川知裕氏と、石川氏の弁護を担当した安田好弘弁護士、河合匡秀弁護士をゲストに迎え、IWJ代表の岩上安身がコーディネーターを務めて、陸山会事件を振り返った。

 IWJではこの裁判報告会を動画配信している。こちらもご参照ください。(IWJ、2015月2月21日 【北海道】「石川さん、検察に対して『ツケを返せ!』と言ってくれ」 ──陸山会事件を振り返る 石川知裕前衆議院議員の裁判報告会【URL】「石川さん、検察に対して『ツケを返せ!』と言ってくれ」 ──陸山会事件を振り返る 石川知裕前衆議院議員の裁判報告会(コーディネーター・岩上安身) 2015.2.21

(※3)私が倒れてしまいまして:2015年2月21日夜10時半頃、北海道帯広市で開催された「石川知裕前衆議院議員 裁判報告会」での仕事を終えてホテルに戻った岩上は、激しい呼吸困難に襲われ、救急搬送された。「冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)」の診断を受け、緊急入院となった。詳しいいきさつは、以下のURLを参照のこと(【岩上安身よりみなさまへ】お詫びと、ひとまずの復帰のご報告 ~2週間で3回の救急搬送を乗り越えて 2015.3.16)。

(※4)山谷争議団事件:1981年10月、日雇い労働者を斡旋して賃金をピンハネする「搾取」に対抗するため「山谷争議団(全国日雇労働者組合協議会山谷支部山谷争議団)」が結成された。争議団は「暴力団手配師の追放」「労働者の待遇改善」「労働争議解決」を主に訴えていた。

 1983年11月3日、山谷に利権を持つ国粋会金町一家の傘下組織、暴力団・西戸組皇誠会と争議団が衝突。乱闘となり、7名の逮捕者を出した。

 また1984年には、山谷の闘争に関わっていた佐藤満夫氏が映画のシナリオを描き、撮影を開始するが、労働者の生活に暴力団が介在していることを描いたことから、同年12月22日、暴力団組員により刺殺された。

 さらに、争議団の指導的立場にあり、映画製作の跡を継いだ山岡強一氏も1986年1月13日、暴力団組員の凶弾に倒れた(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1R6dQw0)。

(※5)新宿クリスマスツリー爆弾事件:1971年12月24日、東京都新宿区新宿三丁目の警視庁四谷警察署追分派出所付近にあったクリスマスツリーに偽装された時限爆弾が爆発。警察官2人と通行人7人が重軽傷を負った。

 その後、新左翼とされる黒ヘルグループのリーダー・鎌田俊彦らによる犯行と判明。裁判では、鎌田に無期懲役、その他の共犯者に懲役10年から懲役20年の判決が言い渡された(参照 wikipedia【URL】http://bit.ly/1LuXrtU)。

(※6)仙台米軍通信施設爆破事件:1971年11月、米軍仙台国見通信所施設の一部が爆破。負傷者はなし。実行犯の鎌田俊彦は、新宿クリスマスツリー爆弾事件(1971年12月)の罪状と合わせ、無期懲役の判決を受ける。

(※7)新宿西口バス放火事件:1980年8月19日の夜9時すぎ。新宿駅の西口バスターミナルで、京王帝都バスの後部乗車口から、中年男性が火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを投げ込んだ。約30人の乗客のうち、6人が死亡、14人が重軽傷を負う。

 現行犯逮捕されたM氏(当時38歳)は北九州市で5人兄弟の末っ子として生まれたが、母を亡くし、父は定職がなく、小学5年生ごろから登校していなかった。農家手伝いや建設作業員として働き、1972年に結婚するが長男誕生の翌年離婚。子供を児童施設に預けて仕送りをしながら全国を転々として現場作業員として働いていた。

 判決は「心身耗弱」のためとして無期懲役となった。1997年、千葉刑務所で自死する(参照:本の話WEB 対談「杉原美津子×入江杏 喪失から甦生へ――『新宿西口バス放火事件』と『世田谷一家殺害事件』を語り合う」2014年8月18日【URL】http://bit.ly/1I5zWg7)。

(※8)北海道庁爆破事件:1976年3月2日、北海道庁1階ロビーで消火器爆弾が爆発。同日、札幌市営地下鉄のコインロッカーから、「東アジア反日武装戦線」名の犯行声明文がみつかった。道警は大森勝久氏を殺人容疑などで逮捕したほか、前年7月に起きた道警爆破事件の容疑者としても逮捕した。札幌地検は、道警爆破は証拠不十分で処分保留とし、道庁爆破事件だけで起訴。

 大森氏は公判では無罪を主張したが、94年に最高裁で死刑判決が確定した。再審請求が2002年7月に出されたが、札幌地裁は2007年3月に棄却している(参照 コトバンク「道庁爆破事件」【URL】http://bit.ly/1N3he4t)。

(※9)ドバイ日航機ハイジャック事件:1973年7月20日、テルアビブ空港乱射事件に対する関与等で国際指名手配を受け逃亡していた日本赤軍の丸岡修らとパレスチナ解放人民戦線(PFLP)のメンバー4名という混成部隊が、日本航空機をハイジャックした。ハイジャック犯らはリビアのベンガジ空港へ向かい、乗員乗客141名を解放した後、機体を爆破し、投降した。

 逃亡を続けた丸岡は1987年に東京で潜伏していたところを逮捕され、無期懲役の判決を受けた。服役中の2011年5月28日、八王子医療刑務所にて病死(参照:wikipedia【URL】http://bit.ly/1PJeVdI)。

(※10)ダッカ日航機ハイジャック事件:1977年9月28日、フランスのパリ、シャルル・ド・ゴール国際空港発羽田空港行きの日本航空機が、日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。

 同機はバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸し、犯人グループは人質の身代金として600万ドルと、9名の囚人の釈放を要求した。

 日本政府は10月1日に福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いと、超法規的措置としてメンバーなどの引き渡しを決断。身代金と、釈放に応じたメンバーなどをダッカへ輸送した。

 10月2日、人質との交換が行われ、乗員乗客のうち118名が解放された。10月3日、残りの人質を乗せたままハイジャック機は離陸、クウェートとシリアのダマスカスを経て人質17名を解放、その後アルジェリアのダル・エル・ペイダ空港に着陸し、同国当局の管理下に置かれた。この時点で残りの乗客乗員も全員解放され、事件は終結した(参照:wikipedia【URL】http://bit.ly/1X83TTs)。

(※11)山岳ベース事件:連合赤軍の母体の一つである革命左派は、テロを行ったメンバーの多くが指名手配されるなどして都市部で自由に行動ができなくなっていた。そこで、警察の目の届かない山岳地帯に軍事訓練やテロ作戦のための拠点を設置し、これを「山岳ベース」と呼称した。

 また連合赤軍のもう一つの母体である赤軍派も、都内を拠点としつつ山岳ベースの設置を目指すようになった。

 1971年に両派が合流して結成された連合赤軍は、同年12月初頭から指導部会議において「新党」の結成を宣言し、山岳ベースに集合することとなった。そこでは仲間内で相手の人格にまで踏み込んだ猛烈な思想点検・討論を行うようになり、その末に「総括」と称したリンチを行い、メンバー29人中、12名を殺害した(参照:wikipedia【URL】http://bit.ly/1OFl5L3)。

(※12)あさま山荘事件:山岳ベース事件の残党である連合赤軍の5名が、1972年2月19日から2月28日にかけて浅間山荘の管理人の妻を人質に長野県軽井沢町の別荘「あさま山荘」に立てこもった事件。

 山荘を包囲した警視庁機動隊と長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うが難航し、死者3名、重軽傷者27名を出した。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。

(※13)オウム真理教事件:麻原彰晃を教祖とするオウム真理教が組織的に起こしたとされる一連の事件。

 1995年3月20日東京で11人の死者と約5500人の重軽症者をだす地下鉄サリン事件が発生、同22日教団の強制捜査が開始される。地下鉄サリン事件は公証役場の仮谷清志事務長拉致事件(1995)の強制捜査を予知した教団が、その捜査攪乱をねらって起こしたとされ、麻原は同年5月16日逮捕された。

 1989年の坂本堤弁護士一家失踪事件、1994年の松本サリン事件をはじめ、VXガス殺人事件、教団内リンチ殺人事件、警察庁長官襲撃事件や数々の拉致監禁事件にも教団の関与が問題となった(参照:コトバンク 世界大百科事典 第2版 【URL】http://bit.ly/1HlEFdk)。

(※14)和歌山カレー事件:1998年7月25日に園部地区で行われた夏祭りで、カレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送され、4人が死亡した。

 和歌山県警は吐瀉物を検査し、青酸の反応が出たことから青酸中毒によるものと判断。しかし、症状が青酸中毒と合致しないという指摘を受け、警察庁の科学警察研究所が改めて調査して亜ヒ酸の混入が判明した。

 1998年10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で主婦・林眞須美が逮捕された。12月9日には、カレーへの亜ヒ酸の混入による殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕された。

 林被告は容疑を全面否認したまま裁判に臨み、上告審では弁護側が「地域住民に対して無差別殺人を行う動機は全くない」と主張。それに対し、最高裁は判決で「動機が解明されていないことは、被告が犯人であるとの認定を左右するものではない」として、動機を解明することにこだわる必要がないという姿勢を示した。

 第一審・控訴審の大阪高裁において共に死刑判決。林被告は上告したが、2009年4月21日に最高裁判所が上告を棄却。判決訂正も5月18日付で棄却したため死刑が確定した(参照 wikipedia 【URL】http://bit.ly/1P7Uzeb)。

(※15)耐震強度偽装事件:2005年11月に国交省が、姉歯秀痔元1級建築士(建築基準法違反などの罪で懲役5年の判決が確定)が担当したホテルやマンションの耐震強度が不足していると発表したことで発覚化した。

 姉歯元建築士による偽装物件は計99件で、うち42件は自治体が建築確認を担当していた。建物の所有者らは、使用禁止や建て替えなどを余儀なくされたのは、偽造を見逃した自治体にも責任があると追及。愛知県や群馬県、京都府では、損害賠償を求める訴訟が起きた。

 07年6月には、耐震偽装の再発防止を狙った改正建築基準法が施行されている(参照:コトバンク 【URL】http://bit.ly/1R6cgtT)。

(※16)光市母子殺害事件:1999年4月14日に山口県光市で発生した少年犯罪事件。当時18歳1か月の少年により主婦が殺害後屍姦され、その娘の乳児も殺害された上財布が盗まれた。

 少年は強姦致死罪容疑・殺人罪容疑・窃盗罪容疑の罪状で裁判となり、死刑が確定した。現在再審請求中である(参照:wikipedia【URL】http://bit.ly/1T2rYEO)。

(※17)陸山会事件:2004年10月に陸山会が東京都世田谷区の土地を購入した際、小沢一郎氏が出した4億円の経理処理をめぐり、04、05、07年の政治資金収支報告書にうその記載をしたとされる事件。

 東京地検特捜部は2010年、石川議員ら元秘書3人を政治資金規正法違反容疑で逮捕・起訴し、小沢氏は不起訴(嫌疑不十分)とした。小沢氏はその後、検察審査会による「起訴すべきだ」という2度の議決を受け、同法違反の罪で強制起訴されたが、一、二審とも無罪となり、確定した(コトバンク【URL】http://bit.ly/1MBI9aK)。

「メディア嫌い」のわけ――「やはりメディアは、売らんかなの商売ですから、できるだけ面白おかしく、あるいは誇張して、強調して、デフォルメされたものが伝わっていくだろうと思う」「僕らは裁判所に向かって、あるいは検察官に向かって、あるいは警察に向かって仕事をしている」

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