8月21日に強制撤去された「経産省前テントひろば」のドキュメンタリーを、制作した、一般事務班と動画班を掛け持ちで担当している谷口直哉と申します。
「経産省前テントひろば」をご存じない方もいると思いますので、簡単にご説明いたします。
東京電力原発事故が起こった2011年に、市民グループによって経済産業省の敷地内に設置され、原発に反対する人々のシンボル的な存在となってきたのが「経産省前テントひろば」です。
このテントには、原発廃止を求める市民が、約5年間、24時間体制で座り込みを続けてきましたが、経産省がテント側を訴えた裁判により、テントの撤去と明け渡しが決まり、とうとう2016年8月21日、強制撤去されてしまいました。
IWJ動画班では、この強制撤去を受け、急きょ、「経産省前テントひろば」の5年間の軌跡を追ったドキュメンタリーを制作することを決め、約1時間10分の映像にまとめました。
ハンガーストライキ・人間の鎖・福島の女たちによる座り込み行動~テント周りで繰り広げられたヒューマンドラマ
▲2011年9月11日から10日間、若者たちが経産省前でハンガーストライキを行った
▲2011年10月27日から3日間行われた「原発いらない福島の女たち」による座り込みアクション
▲福島県郡山市から自主避難した女性「放射性物質が降ってきいているのだから、『自主避難』ではありません、強制避難です」(2011年10月27日・経産省前)
改めて経産省前テントひろばの取材映像を全て観直してみて、私が一番強く感じたものは「奪われた人々の怒り」です。
テント前でのスピーチやヒューマンチェーン(人間の鎖)、座り込みやハンガーストライキなど、様々な抗議行動で表現される、脱原発のメッセージ。どのメッセージの奥底にも、共通して流れているものは「怒り」なのだと感じました。
東電や国・経産省への怒り、故郷を追われた怒り、大切な人や仕事を失った怒り、マスコミや御用学者への怒り、世間の無関心への怒り。
もちろん、皆さん、怒りたくて怒っているわけではありません。怒るには怒るだけの、十分過ぎるほどの理由があり、その底には、悲しみが隠れています。
このドキュメントの中でも、様々な感情がない交ぜになっていますが、経産省前テントに関わる人たちから、最も強烈に伝わってきたのは、全てを壊してしまう「核・原子力」に対する怒りでした。
何よりも大切な自分や家族の命と健康だけでなく、こつこつ積み上げてきた仕事や人生、生まれ育ち、思い出が詰まった故郷、そして、豊かな自然環境までも、全てを、あっという間に奪い去ってしまった「核・原子力」への大きな怒りが、経産省前テントひろばを作り上げ、5年間もの間、存続させ得た原動力だったのだと痛感しました。
▲2016年8月21、テントが強制撤去された直後に駆け付けた福島県双葉町出身で東京に避難中の女性は泣きながら叫んだ「テントは私の第二の故郷です」
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