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2010年12月15日、文京区シビックセンターで開かれたアジア記者クラブシンポジウムで、共同通信の記者である太田昌克氏が、「核密約」について講演した。
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2010年12月15日、文京区シビックセンターで開かれたアジア記者クラブシンポジウムで、共同通信の記者である太田昌克氏が、「核密約」について講演した。
太田氏は『盟約の闇―「核の傘」と日米同盟』という著書もある、長年、日米関係と密約を取材してきた記者だ。
占領期から東アジアが緊張状態にあった1950年代、ベトナム戦争下の60~70年代。そして冷戦終了後の1990年代以降、日本に対する「核の持ち込み」はどのような状態であったのか。
外務省の国民に対する欺瞞的な説明──米国からの事前協議がない以上、核は持ち込まれていない──を可能にしたものは何か。
「密約」という国民への嘘を、官僚や政治家が許容してきたのはなぜか。「密約」という秘密は、どのように守られてきたのか。
講演では、長年の取材を元に、日米政府による密約のからくりを詳細に解説した。