2013年7月14日(日)14時30分から、仙台市宮城野区の東本願寺東北別院で、TEAM二本松代表の佐々木道範氏による講演「チェルノブイリの今 現地に足を運んだ僧侶の報告」が行われた。「事故から27年目になっても、牛乳が汚染されている」などと、今なお消えていない、チェルノブイリ原発事故の影響が語られた。
(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)
2013年7月14日(日)14時30分から、仙台市宮城野区の東本願寺東北別院で、TEAM二本松代表の佐々木道範氏による講演「チェルノブイリの今 現地に足を運んだ僧侶の報告」が行われた。「事故から27年目になっても、牛乳が汚染されている」などと、今なお消えていない、チェルノブイリ原発事故の影響が語られた。
■全編動画 1/5
■全編動画 2/5
■全編動画 3/5
■全編動画 4/5
■全編動画 5/5
福島県二本松市にある真行寺の住職、佐々木道範氏は、この5月18日からの9日間、ウクライナに出向き、1986年4月に起きたチェルノブイリ原発事故の被災地を視察した。
この日は、会場のスクリーンに現地で撮影した写真を映し出し、臨場感あふれる報告となった。まずは、チェルノブイリ博物館の内部を紹介。天井からぶら下がる、数多くの小さなプレートについて、佐々木氏は「それぞれに記されているのは、原発事故で人が住めなくなった村の名前。プレートはすごい枚数だった。これらの村は、今も居住禁止。実質、これだけの村が消えたことになる」と語った。
佐々木氏は、居住禁止の村にまで足を運んでいる。「(同行した視察団のメンバーによれば)測定された放射線量が、二本松の数値より低かった。事故から長い年月が経過している以上、当然のことといえるが、自分たちは、その村より線量が高い場所で暮らしていると思うと、気は重くなる一方だった」。
佐々木氏は「ウクライナには、ソ連時代の情報隠蔽の体質が残っている」と指摘した。「私が『小児の甲状腺がんは、リンパ節への転移は起こるのか』と質問すると、『そんなことはない』と即答する病院がある一方で、転移した事例があることを、きちんとデータで示してくれる研究所もあった」。避難中の住民と面会した折の話として、「『ウクライナ全体では、事故はすでに風化している』と皆が口をそろえた。だが、避難者は相変わらず健康被害に苦しんでおり、政府に補償を求めるなど、厳しい現実と戦い続けている」と報告。「原発被害が局地問題化され始めている、今の日本に重なる印象を抱いた」と力を込めた。
佐々木氏は、現地には福島とは確実に違う点があるとし、ウクライナやベラルーシでは、医療費が無料であることに言及した。「避難中の子どもたちは年に2回、保養を行っているが、国からの補助が受けられる」と説明し、「ただ、国の台所事情が悪く、医療費の無料化は徹底されていないようだ」とも伝えた。
現地の人たちに、子どもたちを健康被害から守るために、何に留意したかを尋ねたところ、「食べ物」との回答が支配的だったという。佐々木氏は「学校給食は、安全性が高い産地から食材を取り寄せているようだ。しかし、視察した村は貧しく、大半の世帯が自家製の野菜を使用していると思う」と話した。そして、「ウクライナの首都・キエフは、ベンツが走るなど都会的なイメージだったが、そこから数十キロ、チェルノブイリ方向に車で移動し、その村に着くと、風景は一変した」と話した。
佐々木氏が第3ゾーンと呼ばれる自主避難区域内にある、その村の市場を訪問した折、現地産の牛乳は店頭に並んでいなかったという。「放射性物質の基準超えで規制に引っかかったのだ。事故から27年目になっても、牛乳が放射能汚染されている現実を目の当たりにし、強いショックを受けた」。村に暮らす人たちが、ある程度の健康被害を覚悟の上で、安価な地元食材を選択せざるを得ないという、「悲しい現実がそこにはある」と訴えた。
内部被曝の検査の模様も視察した佐々木氏は、「内部被曝していた住民は、キノコなど山で採れる食材を食べていた。内部被曝していないと打ち明けた看護士は、原発事故以降、山の食材を食べることを自分に禁じていると話していた」と語った。また事故後、軍が除染作業の一環で、被災地のすべての住宅の屋根を取り替えたことも紹介。「もともとは、どの家もわらの屋根だったが、板状のものに取り替えられている。環境省のマニュアルで、屋根を対象外とする日本より、国の対応がきちんとしている」と述べた。
「日本人は、なぜチェルノブイリの事故から学ばなかったんだ」との苦言を何度も聞いた、と佐々木氏。「現地の医者は、福島の子どもたちの甲状腺がんの発症を心配していた」と報告を重ね、さらにまた、「被曝により免疫力が低下するから、いろいろな病気にかかりやすくなる、との指摘もあった。彼らは『だからこそ、子どもたちには保養が必要』と力説していた」と語った。