「子どもたちをロシアンルーレットの恐怖にさらすわけにいかない」 東日本大震災から2年4ヵ月、原発事故は終わっていない ~原発避難者講演会 2013.7.11

記事公開日:2013.7.11取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)

 2013年7月11日(木)14時40分から、大阪市住吉区の大阪市立大学で「東日本大震災から2年4カ月、原発事故は終わっていない ~原発避難者講演会」が開かれた。主催者を代表して大阪市立大学の除本理史教授が、「福島原発事故の被害が継続中だという現実を、ぜひ大勢の人に感じ取ってほしいと思い、大阪に避難中の2人の方に講演をお願いした」と説明した。

■Ustream録画(14:37~ 1時間33分)
※Ustream動画サービスは終了しました。現在、他の配信方法に変更中です。今しばらくお待ち下さい。

  • 講師
     江口紀子氏(避難者団体「関西Futureコミュニティ」代表)
     森松明希子氏(同副代表)
  • 日時 2013年7月11日(木)14:40~
  • 場所 大阪市立大学(大阪府大阪市)
  • 主催 大阪市立大学商学部 除本理史ゼミ

 「福島第一原発事故から2年4カ月が経過した今、事故の記憶が風化しつつある。また、そもそも関西では、原発事故が与えた社会的インパクトが、関東・東日本エリアほどの大きなものではなかった」。冒頭で除本教授は、こう述べた。そして汚染水処理の難渋ぶりなどを指摘し、「実際は、福島第一原発事故は決して収束していない」と強調。「原発事故を受け避難中の人の数は、福島県だけで15万人に達する。放射能汚染は県境を超えて広がったため、福島県以外の地域からの避難の動きもある」と訴えた。

 一昨年の3月、東京から大阪に避難してきた江口紀子氏は、次のように語り始めた。「震災発生の翌日、3月12日に、福島第一原発で最初の水素爆発が起こったが、テレビは、これから起こる放射能被害などについては一切説明しなかった。われわれ国民は、何も知らされずに被曝してしまった」。

 「14日にも水素爆発が起こった。枝野元官房長官は『ただちに健康に影響はない』と発言していた。しかし、海外に暮らす義弟から、日本のフランス大使館が避難を始めたことを知らせる電話が入り、今すぐ西に避難することを強く求められた」。江口氏は、日本政府に騙されている、と確信したという。「私には子どもはいないが、東京に暮らす甥っ子たちに健康被害が生じたら、生涯後悔すると思った」。

 江口氏と高齢の母親、それに親類を加えた総勢11人が、東京から大阪に避難したのは3月17日のことだった。とりあえずビジネスホテルに落ち着くも、すぐに資金の問題に直面。結局、姉家族と妹家族はそれぞれ、関東と海外に移り住むことになり、高齢の母親は住み慣れた東京に戻っていったという。江口氏は、仕事の都合で東京に残った夫からの強い勧めもあり、大阪にとどまることを決意。4月にはワンルームマンションに居を構え、5月には衣料品店で働き始めた。7月になると、東京から夫が移住してきたのだが、大阪での職探しは困難を極めた。東京で営業職だった夫は、今、派遣の肉体労働で収入を得ているという。

 江口氏は「東京の放射能汚染は軽くない」と重ねて強調した。その上で、国と東京電力を、「なぜ、原発事故によるすべての問題が終わってしまったかのような、平気な顔をしていられるのか」と痛烈に批判。「福島の子どもたちでさえ、一部にしか避難指示が出されていない。福島の子どもたちの中には、すでに甲状線がんの発症例が見られる」と訴えた。

 森松明希子氏は、福島第一原発から60キロほど離れた郡山市で被災。配管の破損からか、自宅が水浸しになったため、市内の病院に家族4人で避難した。「避難所のテレビには、枝野元官房長官が『ただちに健康に影響はない』と発言するシーンが何度も流れた。額面通りには受けとれないと思いつつ、ひとまず、それを信じようとした」。

 避難から3週間ほど経過すると、東京の水道水から放射性物質が検出されたニュースが流れた。「そのあと、郡山市内の浄水場でも放射性物質が検出された、と報道された。が、私たちは避難所で身動きが取れず、水道水を飲むほかなかった。避難所生活はストレスフルだった」と、森松氏は振り返った。1ヵ月後、福島で新たに部屋を借りたものの、「洗濯物は天日干しできない。近所の公園に子どもの姿はゼロ。毎週末、山形県や新潟県まで、子どもをつれていって屋外遊びさせる生活が、ゴールデンウィークの前まで続いた」という。

 京都に住む実妹のもとへ、当時3歳と0歳の2人の子どもを連れて向かったのは、短期の保養が目的だった。が、そこで森松氏に、避難を決意させる出来事が起こった。「きっかけは、テレビで見た京都のローカルニュース。京都では、福島では当たり前のように流れていた『がんばろう東北』といった調子の報道はなされていなかった。全国ニュースのあと、福島の原発事故とチェルノブイリ原発事故を対比した解説がされていた」。

 それを見て、事態の深刻さ直感したという森松氏は、まず母子3人で大阪に避難したい、との思いを、仕事の都合で福島に残っている夫に電話で伝えた。「夫は放射線被害に理解があるため、すぐに同意してくれた」。

 「避難期間が2年超にもなるとは、思いも寄らなかった」と森松氏は語る。自主避難であるため、かかる費用はすべて自己負担。夫も福島で借家暮らしのため、家賃・光熱費の二重払いが家計を圧迫する。森松氏は「夫から、福島の放射線量は相変わらず高い、と知らせが入った。郡山市はホットスポットだらけ。戻るわけにはいかなかった」と話した。また、住民票が福島に残っているために、大阪で、上の子どもがすんなり保育園に入ることはできなかったという。

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「「子どもたちをロシアンルーレットの恐怖にさらすわけにいかない」 東日本大震災から2年4ヵ月、原発事故は終わっていない ~原発避難者講演会」への1件のフィードバック

  1. ぼっさん より:

    千葉県我孫子市から大阪に家族で移住しました。ホットスポット地域の人が実際にどれくらい移住や避難をしているのでしょうか。移住して1年経ちますがなかなか出会えません。軽視されがちな【ホットスポット地域】。同じ境遇の人達と繋がるすべがないかと思います。

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