本田敏秋遠野市長会見(自由報道協会) 2011.6.14

記事公開日:2011.6.14取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・柴崎)

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 2011年6月14日(火)、自由報道協会主催、本田敏秋遠野市長会見の模様。

 本田遠野市長は2002年の就任当初から周辺市町村との連携と交流の街づくりを行ってきた。その一環として2007年の時点において津波災害時の後方支援中継基地構想を作ってその訓練をしており、そのことが今回の災害において機能した。

  • 日時 2011年6月14日(火)17:30~
  • 場所 ユーストリーム・アジア 銀座スタジオ
  • 主催 自由報道協会 (告知

 釜石市、大槌町、山田町、宮古市、大船渡市、陸前高田市などの近隣地域へ、自衛隊、消防隊、警察隊、医療隊などの、救助活動にあたる組織的な部隊が速やかに入っていける体制を、遠野が基地になることによって作った。

 本田市長によると、遠野は地理的に古来より沿岸と内陸の交通の要所であり、歴史的には明治三陸大津波の経験があることがそれを可能にした。

 沿岸地域の大津波の対策として、道路が駄目になった場合、ヘリコプターでいくと15分の距離。道路があれば、救援隊、物資を送り込むに際して50分で釜石、大槌にアクセスできる。

 小泉内閣当時は地方の道路削減の方向性だったが、迎災という中でその必要性を訴えた。

 質疑においては、陸上自衛隊東北方面宗像前総監の協力でH20年に大規模訓練が行われておりそれが役に立った等、最後に距離や地域によって温度差が出て悔しい思いを何度もしたと述べた。

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