【IWJブログ】初の賠償実現、2011年4月22日以降の自主避難者 東電と和解成立 2013.4.22

記事公開日:2013.4.22 テキスト動画
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(取材:ぎぎまき、文責:岩上安身)

 「避難を意味のないこととして済ませようとする国や東電に対して、何らかの行動を示したかった」。

 原発事故発生から4ヶ月後の2011年7月に、福島県白河市から北海道札幌市に母子避難したAさんはこう述べた。

 福島県の県南にある白河市は、福島県内であるにもかかわらず、「自主的避難等対象区域」から除外されている。自主的避難等対象区域とは、2011年12月6日に国が定めた自主避難者に対する賠償範囲の基準である。

 対象地域は、県北、県中、相双、いわきなどの23市町村。対象区域外となった白河市に住むAさん一家には、東電独自の賠償基準により、子ども2人に対する慰謝料40万円のみが支払われている。

 Aさんは、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)」の協力を得て、2011年12月、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)を通じて、東電に損害賠償を申し立てた。申し立ての理由は、「避難を意味のないこととして済ませようとする国や東電に対して、何らかの行動を示したかったから」だという。

 札幌に避難するまでに測定した自宅周辺の放射線量の記録や、避難後の子どもたちの思いや、単身で暮らす夫の心情を綴った手紙を原発ADRに提出するなど、Aさんはあらゆる手段をつくしてきた。

 原発ADRは「避難に合理性はない」という回答を示したことがある。「はっきりとした汚染があり、除染が進められているにもかかわらず、『合理性がない』と言われた時は、悲しみと怒りで一杯だった」とAさんは当時を振り返る。代理人としてAさんを支えてきたSAFLANの福田弁護士から、「原発ADRからの回答を破いてもいい」と言われたという。

 たなざらしにされたまま途方に暮れていた矢先、突然の連絡があった。今年3月、原発ADRが和解案を示したのだ。

 4月5日、東電とAさんは和解案を受諾、賠償が実現した。2011年4月22日以降に自主避難を行ったケースでは、初の和解成立である。

■ハイライト

■全編動画

 東電は、Aさんに対する慰謝料を含め、計134万7190円を支払うことになった。これは、国が定めた賠償の対象区域である福島市や郡山市と同等の水準である。賠償の中身は、Aさんが避難する際にかかった交通費や家財道具の購入費、父親による札幌訪問のための面会交通費、そしてAさんの離職に伴う減収分などだ。

 Aさんに支払われる慰謝料は4万円で、Aさんの夫については慰謝料は認められていない。不満はあるが、大枠の部分が認められたことをAさんは評価する。

 「周囲から『お金目当て』だと非難されたこともある。避難を笑う風潮もあった」とAさんは振り返る。

 「避難生活は予想以上のお金がかかり、(貯金を)切り崩しながら生活をしてきた。今回の和解は、逃げる権利、賠償を受ける権利が認められたことだと受け止めている。逃げたいのに逃げられない人、賠償請求ができないと思っている人たちに、正当性を伝えたい」

 そう、胸の内を語った。

 原発ADRが申し立てを認めた理由は、「線量の高さ」だった。避難した当時、Aさん宅の玄関付近は毎時0.68マイクロシーベルト、子ども部屋の二段ベッドの上段部分は毎時0.7~0.8マイクロシーベルト。これは、自主避難の賠償が認められている一部の区域よりも、高い数値だ。

 政府はこれまで、「2011年4月22日」を一つの基準に定め、自主避難がそれ以前か以降かで、賠償するかどうかを決めてきた。福田弁護士は、「これまで、時期や地域を国が画一的に線引きしてきたことにより、賠償に差異が生じていた。今回の結果は、一例ではあるが、その線引きを打破できた」と、一歩踏み込んだ原発ADRの判断を評価した。

 今回、東電が対象区域外からの自主避難者の賠償を認めた意味は大きく、同じような賠償請求のケースが増えるのではないかと注目が集まっている。

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