2013年3月28日(木)18時半より、大阪府枚方市の枚方市民会館で「『改憲を巡る情勢はどうなっているか』学習会」が行われた。
平和で豊かな枚方を市民みんなでつくる会が主催し、講師には枚方法律事務所の永嶋靖久弁護士が招かれた。永嶋氏は、憲法改正の動きを第1次安倍政権まで遡って解説、自民党の憲法改正草案と、現憲法の比較をした。
(IWJテキストスタッフ・阿部玲)
特集 憲法改正
2013年3月28日(木)18時半より、大阪府枚方市の枚方市民会館で「『改憲を巡る情勢はどうなっているか』学習会」が行われた。
平和で豊かな枚方を市民みんなでつくる会が主催し、講師には枚方法律事務所の永嶋靖久弁護士が招かれた。永嶋氏は、憲法改正の動きを第1次安倍政権まで遡って解説、自民党の憲法改正草案と、現憲法の比較をした。
■全編動画(18:25~ 2時間44分)
今夏の参議院選挙において、憲法96条の改正が争点として浮上してきた。憲法改正の発議の要件を、総議員の3分の2の賛成から、過半数へと変えようとする動きは、各方面から懸念の声が上がっている。安倍首相による憲法改正の動きは、2006年9月から2007年9月までの第1次安倍政権の頃から始まっており、当時の発言記録などから流れを振り返った。以下は、永嶋氏の講演内容。
「安倍首相は就任当初から、憲法改正を政治スケジュールにのせていくためのリーダーシップを発揮したい(2007年10月18日、国家基本政策委合同審査会で発言)、在任中に憲法の改正を成し遂げたい(同年12月19日、臨時国会終了を受けての質疑応答)など、憲法改正への意欲を繰り返し表明してきた」。
「安倍首相在任中の2007年1月1日、日本経団連会長の御手洗冨士夫氏は『希望の国、日本(通称、御手洗ビジョン)という長期ビジョンを発表する。その中に『2010年初頭までに、新しい時代の日本にふさわしいかたちに憲法が改正されている』という、財界人の発言としては異例の、憲法改正についての踏み込んだ記述が見られた。具体的には、『憲法改正案に関する国民的な合意を形成する。改正案の内容については、日本の理念や伝統、国際社会において日本が果たすべき役割などを踏まえ、幅広く検討する必要がある。改正にあたっては、第9条第1項に規定されている、平和主義の基本理念は堅持しつつ、戦力不保持を謳った同条第2項を見直し。憲法上、自衛隊の保持を明確化する。自衛隊が主体的な国際貢献をできることを明示するとともに、国益の確保や国際社会の安定のために集団的自衛権を行使できることを明らかにする。同時に、憲法改正要件の緩和を行う』というものである」。
「2007年5月14日、改憲手続き法が衆参本会議で強行採決され、成立した。これを受けて当時の民主党・枝野幸男議員は『安倍晋三君のせいで、憲法論議は政治的には15年、思想的には150年引き戻された』と発言した。この法律では『公務員・教育者の地位利用による国民投票運動の禁止は、公務員の政治的行為への不当な制限にならないか』『有料意見広告の野放しは、資金力によるマスメディアの不平等利用につながらないか』『最低投票率の定めがないことは、改憲のハードルとして適切か』などの点が問題視された」。
「2007年7月、自民党は参院選で大敗し、安倍首相は健康不良を理由に退任する。憲法改正の動きは一旦途絶えたように見えたが、2012年4月、自民党は『日本国憲法改正草案』を発表。安倍氏は同年12月に、再び首相の座に返り咲く」。
ここまで語った永嶋氏は、日本国憲法改正草案と、現行憲法を表に並べて比較をし、第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という、いわゆる基本的人権の規定が、自民党草案ではまるごと削除されることを問題視した。
この条文は、第10章「最高法規」の最初に書かれているもので、永嶋氏は「憲法の教科書と言われる『新基本法コメンタール憲法』の511頁には、『憲法が最高法規であるのは、その内容が人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心として構成されているから』と記述されている。第97条が削除されるということは、最高法規の根拠がなくなるということ」と懸念を示した。
また、第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」が、自民党草案では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない(第102条)」と変更される。これにより、憲法尊重擁護義務が、為政者から国民へと変えられる。現行憲法にはこのような規定はなく、「なぜ日本国憲法が、憲法尊重擁護義務の対象から国民を除いたのか」について、永嶋氏は「国家権力を拘束し、自由を確保することを憲法の目的とする、近代立憲主義を前提とする立場からは、国民が国家権力を拘束するのであり、書かないのが当然である」と力説した。