さちのみフォーラム2013「映画”希望の国”上映記念対談」 2013.3.20

記事公開日:2013.3.20取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・花山/奥松)

 2013年3月20日(水)12時から、茨城県東海村の東海文化センターにて、「さちのみフォーラム2013春 映画『希望の国』上映&記念対談」が行われた。この映画の監督である園子温氏は「次に事故を起こすのは、安全だと思われている原発であるということを、この映画で伝えたい」と話した。

■全編動画

  • 対談 園子温氏(映画監督)、村上達也氏(東海村村長)、コーディネーター 斎藤平氏(元茨城新聞社副社長)
  • 日時 2013年3月20日(水)12:00~
  • 場所 東海文化センター(茨城県東海村)
  • 主催 さちのみフォーラム実行委員会

 園氏は、この映画を撮った理由を、「福島の原発事故が起きるまで、自分が原発に対してぼんやりしていた、という強い後悔の念があって、自分のためにも作りたかった」と話した。これを受けて村上氏は、東海村の原子力との関わりを、「東海村の人たちも原子力と共生してきたが、その存在は空気みたいなものであり、意識してきたわけではない。ただ、1999年のJCO臨界事故から雰囲気が変わり、福島の原発事故後の状況を知るにつれて、東海村の人たちも、改めて原発の存在を強く意識し始めた」と述べた。

 園氏は、この映画の方向性について、「原子炉の問題などを取り込むと、報道やドキュメンタリーと同じものができてしまう。現地の人の悲しみや苦しみ、そういうことだけでいいと思った。たくさんの悲しみや苦しみを台本にした」と話した。また、「日本人は忘れやすい。福島で1回事故が起きたから、もう次はない、という意識に簡単になる」と話し、「たとえば、10年後に次の原発事故が起きた場合、(前回の教訓は)もう白紙になり、前と同じように、慌てて対応できないのではないか。すべてが、しどろもどろの状況になり、福島の繰り返しが起きるのではないか、と考えた」と述べた。その上で、「福島の事故の翌年に、この映画を公開したのは、すぐに風化させて何もなかったことにする日本人への危機感からである」と話した。

 村上氏は「福島の原発事故が、震災とひとつにして語られることに落とし穴がある。確かに、地震がスタートだったが、その後の事故対応から被災者への補償や賠償の進め方、あるいは、原子力政策への政府の対応を見ていると、これは人災である。そこを、きちんと意識しなければならない」と語った。続けて、「人災であるから、原子力ムラ、産業界、政府に責任がある。しかし、この責任が不明確なまま、対応が進むところに、事故が忘れ去られ、風化していく原因がある。そして、原子力の本質を見誤り、経済という目先の損得で判断していくことで、また同じことが起こるだろう」と語った。

 園氏は「この映画はフランスでも大々的に公開された。向こうの人々の原発への関心は高いのだが、フランスの一般市民は、日本の原発は部品がよくなかったのだ、フランスの原発は安全だ、と言っていた。これは、日本人が3月11日以前に言ってたことである。自分だけは大丈夫、安全でありたいという考え方は、どこに行っても同じだと思った。こうした考え方が、反省点を何も確認しないまま、正面切って対峙したくない事柄から目をそらすことにつながる。そして最終的には、安全神話につながっている」と警鐘を鳴らした。

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