記者会見「菅野バネッサさん東京電力を訴える」 2013.2.20

記事公開日:2013.2.20取材地: テキスト動画
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(IWJ・原佑介)

 2013年2月20日(水)16時から、東京都千代田区の参議院議員会館で、「菅野バネッサさん東京電力を訴える」と題した記者会見が行われた。今回、東電に賠償を求めた菅野バネッサ氏は、福島第一原発事故の影響で生活が立ち行かなくなり、2011年6月、自ら命を断った相馬市の酪農家、菅野重清氏の妻である。今年の3月に、東電に対して、約1億1千万円の補償を求めることになりそうだ。バネッサ氏は会見で、「自分のことはどうでもいい。子どもの将来が一番大事」と、涙ながらに訴えた。

■ハイライト

  • 出席者 菅野バネッサ氏、保田行雄氏(弁護士)、四ノ宮浩氏(映画監督)、有田芳生氏(参議院議員)

 福島県相馬市で酪農業を営んでいた菅野氏は、2011年の6月、「原発さえなければ」と堆肥小屋の壁に書き残し、56歳で自ら命を絶った。その堆肥小屋は、堆肥販売を拡充するため、原発事故の二ヶ月前に、借金をして建てたばかりのものだ。妻バネッサ氏と二人の子どもに向けて、「ごめんなさい なにもできない父親でした」という言葉も、壁に書かれていた。

 原発事故後、菅野氏の生産する牛乳は出荷停止となり、堆肥も売れず、収入は途絶えて、借金返済のめども立たなかったという。事故から約一ヶ月後、バネッサ氏は母国のフィリピン政府に避難を促され、二人の子どもを連れ一時帰国した。菅野氏も移住を視野にフィリピンに渡り、一週間過ごしたが、職が見つからず日本へと戻った。菅野氏とバネッサ氏は、週に二〜三度、電話で連絡を取り合い、励まし合っていたというが、6月10日、菅野氏は堆肥小屋で首を吊り、自らの命を断ってしまった。

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