ガダルカナルから戦史を勉強し直せ、ヒゲ!
白兵戦の技術としての銃剣術を完全否定はしない。が、それならば「武道」にするな、と言いたい。小銃に着剣する近代戦以降、袴を履いて戦場に出た兵士がいるか。
(岩上安身)
ガダルカナルから戦史を勉強し直せ、ヒゲ!
白兵戦の技術としての銃剣術を完全否定はしない。が、それならば「武道」にするな、と言いたい。小銃に着剣する近代戦以降、袴を履いて戦場に出た兵士がいるか。
白兵戦のリアリズムを徹底するならば、道着袴など、まったく不要。そして中学生に教えることもまったく不要。リアリズムを追求しないならば、なおのこと、あらゆる意味でのリソースの無駄遣い。どれだけバカなのか。
歩兵全員が小銃を持つようになった近代戦で、白兵戦(接近戦)の際に小銃の先に着剣し、敵兵を刺突して殺す技術が銃剣術。もちろん近代戦で道着袴などあり得ない。「銃剣道」という「伝統武道」の装い自体が擬態。しかも銃剣で突撃など完全に時代遅れ。
僕は新人編集者だった23歳くらいの頃、ガダルカナル島の攻防を調べたことがある。太平洋戦争開戦から半年、連戦連勝で舞い上がっていた日本軍は、ガ島の攻防で凄惨な敗北を喫し、そこから日本軍は敗走を重ねていった。重大な分水嶺だった
日露戦争で肉弾突撃が多大な犠牲を出しながら、それでも奏功して以降、日本軍は重火器の物量が勝敗を決する近代戦を無視した前近代的な白兵による銃剣突撃を繰り返す。無謀な作戦指揮を執った作戦参謀らにある。彼らは何も学ばず責任をとらなかった。
近代化されたソ連軍と対戦したノモンハン事件(これは事件どころではなくまぎれもない戦争だった)でも、精神力を過信し、夜陰に乗じた銃剣突撃の肉弾戦を繰り返し多数の犠牲者を出して実質的な敗北を喫した。責任者は服部卓四郎、辻政信らの参謀。
1904年(明治37年)時代の日露戦争の白兵による銃剣肉弾突撃戦を、35年も後にも繰り返し、1939年(昭和14年)ノモンハン敗戦を招くが、その失敗から参謀らは何も学ばず、天皇の統帥権の陰に隠れて責任を取らず、ガダルカナル戦に至る。
そして日本軍が到達し得た最南端の島、ガダルカナル島で、1942年(昭和17年)、またしても同じ過ちが繰り返された。米軍と地上戦を初めて行い、数十倍の火力の前に、精神主義を振りかざして銃剣突撃を行い、一木支隊、川口支隊と連続して全滅。
三度の総攻撃すべて、この銃剣肉弾突撃。重火器はおろか、補給も弾薬もろくろくなく、兵士は米軍の十字砲火の前に無残に命を落とした。最後に無謀な作戦指揮を行なったのは、ノモンハン事件で兵士の犠牲を顧みない作戦を立てた辻政信だった。
その前のミッドウェー海戦の敗戦は繰り返し語られるが、ガダルカナル島の敗戦の重要性はほとんど論じられない。しかしガ島陥落によって太平洋戦争の命運は決定的になった。米軍は同島の飛行場から航空機を出撃させ、次々南島を奪還して行く。
僕が23歳の若い頃にこのガ島の戦いについて調べたのは、産経新聞で「遠すぎた島ガダルカナル」を連載していた同紙の論説委員の松浦行真さんの連載を大幅にまとめ直して単行本化するためだった。毎日松浦さんの家へ通い、リライトのお手伝いをした。
松浦さんは、もう随分昔にお亡くなりになっているが、丹波篠山の方で、洒脱で人情味のある方で、何よりもまともな知性の持ち主だった。同じ産経新聞出身の司馬遼太郎氏に対しても、日本軍の構造的欠陥への批判が不十分であることを指摘されていた。
日本はなぜ無謀な戦争に挑み、無残に敗れたか、また戦略的にも戦術的にも稚拙で、かつ兵士を冷酷に犠牲にしたのか。80年代までは、あの産経においても真摯にリアルに検証する知性が存在したのである。単行本化に関われたことは今も感謝している。
日本軍は明治から昭和の敗戦まで長きにわたり38式という小銃を用いてきた。その先に着剣して突撃し肉弾戦を行う時に必要なのが銃剣術、ということになる。しかし、現実の戦場で、互いに一対一で銃剣を構えて果し合いのような場面はほとんどない。
銃剣道は、その小銃をかたどった木銃で、喉元と心臓を狙って突き合う「武道」なのだという。だが、何度も繰り返すが、明治以降、小銃に着剣する白兵戦の時代でも、戦場で道着袴など着用したか。なぜ剣道を模倣した「武道」に仕立てるのか。
自衛官が訓練の一環として、袴など履かずに戦闘服で、リアルな戦闘場面を想定して訓練を行うことは否定しない。しかし、それも縷々述べてきたように銃剣による白兵戦の偏重という作戦上の大いなる過ちを踏まえて、必要最小限にとどめるべきだ。
太平洋戦争の時代はおろか、ノモンハン事件の時代でもすでに時代遅れの戦術となっていた銃剣による白兵戦の訓練に時間を割く暇があったら、やるべきことは多々あるはずだ。自衛官の訓練の時間とエネルギーを無駄にするなと言いたい。
さらに、戦闘と関係のない一般人の中学生になぜ銃剣道を義務化する必要があるのか。まったくない。義務教育の貴重な期間に学ぶべきことは他に多々ある。白兵戦で人を刺殺する技術を全国民が学ぶ切迫した必要性があるか⁉︎ まったくない。
だが、剣道が現代の生活や実際の戦争に、そのまま直結しないことは、誰だってわかる。現実と切り離された空間での競技であり、現実とごっちゃになることはまずない。時代劇の侍気取りで袴姿で刀を差して歩く人はいないし、刀を抜けば犯罪である。
あらゆるスポーツや競技は、約束事で成り立つ。本質的に「遊戯」である。だが、銃剣道は、「遊戯」とするにはあまりに生々しい。前近代の、チョンマゲを結っていた時代のチャンバラではない。ほんの70年余り前まで、本気で実践されていたのだ。
そして、この銃剣による白兵戦重視の思想は、多大な犠牲を生み、日本の無残な敗戦の原因のひとつともなった。これを「武道」化し、精神鍛錬の道とすることは、ついこの前までこの国を覆っていた肉弾の白兵戦思想復活の下地となりかねない。
自衛隊出身の佐藤正久議員が、この銃剣道の義務教育課程への導入をごり押ししたと聞いて、本当に深刻な危機を覚える。戦争についてろくろく知らないくせにやたらタカ派な文民の発言ではなく、戦争のプロのはずの自衛官OBが言いだしているのだ。
米軍はガ島の時に何をしていたか? 全力を挙げて日本語を情報将校らに学ばせ、徹底的に情報を収集していたのだ。一万人単位で日本語のできる人間を育成していた。火力の優位だけではない。米軍は情報が勝敗を決することを理解していた。
日本が万が一、様々な仮想敵国の脅威にさらされているとしたら、やるべきことは、そうした国々の言語や文化を習得し、情報を分析できる人材を育成することだろう。そして国内にいるマイノリティーを迫害するのではなく逆に包摂することだろう。
差別を助長し、日本精神などという精神主義を膨らませ、「日本スゴイ」プロパガンダを繰り広げ、あげく白兵戦のための銃剣道を義務教育化することではないはずだ。白兵戦偏重は玉砕思想に直結する。玉砕を強いる思想は絶対に許されない。
風邪をひいて熱まで出ていたというのに、いささか無理をして連投を重ねてしまった。でも、どうしても論じておかなくてはならないことなので。
戦史や戦略・戦術思想についての本、日本の敗戦の分析をした本は数多あるが、そうした本をじっくり読んでほしいと薦めても多くの人には時間的余裕はないと思う。
ガ島での戦い、そして銃剣による白兵戦の肉弾突撃思想がどんなに愚かしいか、どんな人にもわかるコンテンツはないか探してみた。以下の動画をぜひご覧になってほしい。女性、お母さんがたも、である。
↓以下の動画をぜひご覧になってほしい。女性、お母さんがたも、
ガダルカナル戦もそうですが、神国日本では、何でも神がかりで合理性の欠片も無い連中がのさばっていましたので、インパール作戦のように食い物も無いのに攻撃命令のみ出し続け、己は、後方で神に祈っていたおバカな人物が司令官であったり、と全て非科学的、非合理性が支配していました。
何でもこの調子ですから、防弾設備ゼロで「格闘戦」と言う第一次大戦時の空戦想定で出来上がった欠陥機の零戦を褒めそやすこれまたおバカな空想記が流行るのです。
送信・受信能力ゼロの「無線機」(???)を搭載し、パイロットを保護する防弾設備も無く、急降下すれば空中分解するオンボロ戦闘機で戦う者を考えたことがあれば、褒めそやすこと等出来得ないでしょう。
この度は、銃剣術、とは。。。余程、勇ましいことがお好きなようですが、学校では、ストレッチ体操等の実際に人の健康に役立つものを中心にすべきでしょう。
そして、武道をやるならば、合気道のように型稽古のみを行う古武道にすべきでしょう。 即ち、力量を競わずに、人の健康に役立つものを稽古すべきです。
因みに、殿下と言い、ヒゲと言い、阿保な人が高官だった自衛隊。 大丈夫でしょうか? 心配ですな~。
昔々の戦国時代に使用した兵器を見ますと、弓矢、鉄砲、石を投げる落とすが主流で、兵士の死傷者の多い刀など使われて無いようです。
それぞれの城主が生存する条件は、兵士の死傷者を少なくし、兵士を多く確保する事。
それが何百年後、日清戦争以後白兵戦が始まりました。日本兵の命を大事にしなくなった日本。戦国時代よりも退化してますね。
銃剣道が又復活とか。安倍政権は戦前が好きなようで、自公間竹槍戦争ごっこでもおやりになっては。
銃剣道が義務教育の武道の選択になると聞き、おぞましさとあまりの時代錯誤にげんなりなっています。まずいえるのは銃剣道自体の歴史が浅く、日本の伝統などとはとても言えないことですね。彼らの言う伝統のそこの浅さが見える。辺見庸さんが「1937」で、旧日本軍は本来保護されるべき戦争捕虜を、度胸付けのためとして若い兵士に銃剣で刺させる刺突訓練をさせたことを書いています。そのおぞましい歴史を知っていて今回銃剣道を選択に入れたのか?そんな武道をやるよりも、旧日本軍は刺突訓練を組織として推奨した事実を知る方がよほど大事なのではないか。これは誰かが是非国会で取り上げてほしい。
長い余談になりますが、自衛隊での銃剣道の実態について書きます。駐屯地では部隊対抗の大会が定期的に行われています。多くの場合、若い隊員たちは大会前に練習をはじめ、「部隊の名誉のため」にということで大会に出場します。付け焼刃の銃剣道なので一時的に盛り上がって大会終了とともに銃剣道にはかかわらなくなります。ところが、銃剣道が強い部隊ではさらに上の大会に出場し勝つために、恒常的に銃剣道の練習をします。自衛官の業務はそっちのけです。自衛官は国民が収めた税金から給料をもらっています。銃剣道という実用性のない武道になぜ国民が税金を払っているといえます。自衛官の業務そっちのけで、部隊の名誉のために銃剣道ばかりしているような自衛官を、国民が許すと思っているのか?部隊の名誉、なんてちっぽけなものにしがみついているのも自衛隊の視野狭窄の象徴です。視点を変えて、銃剣道に打ち込んできた隊員はどうなるかについて書くと、彼らもやがて年を取って若いころほど動けなくなり、銃剣道から引退し普通の自衛官業務に戻ります。部隊の栄誉とやらに貢献した功績で階級はそこそこ上がっています。ところが、普通の業務をやってきていないから、「年ばかり食って仕事のできない上司」になります。本来なら若い自衛官を指導すべきポストについても、指導どころか自分のことさえできない。これが自衛隊の銃剣道をめぐる状況です。