ベルラド研究所所長アレクセイ・ネステレンコ氏 福島視察同行取材 2012.10.18

記事公開日:2012.10.18取材地: テキスト動画
このエントリーをはてなブックマークに追加

(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 2012年10月18日(木)8時より、福島県福島市と郡山市で、ベラルーシの「ベルラド放射能安全研究所所長アレクセイ・ネステレンコ氏 福島視察同行取材」が行われた。

  • スケジュール
    8:00 福島駅西口集合、オリエンテーリング
    9:00 福島県庁から渡利地区、小鳥の森公園で調査
    10:00 伊達市小国小学校と近くの家庭を訪問する
    12:00 川俣市から飯舘村へ向かう
    15:00 福島市帰着、佐藤氏と対談
  • 日時 2012年10月18日(木)8:00~
  • 場所 福島県福島市/郡山市

■全編動画 1/3

 核物理学者のアレクセイ・ネステレンコ氏は、チェルノブイリ原発事故後、住民の健康被害防止に尽力し、現在はベラルーシのベルラド放射能安全研究所所長である。今回、福島第一原発事故の被災地視察のために来日した。

 福島駅で集合後、公園の放射線モニタリングポストを見つけて、地元のスタッフがネステレンコ氏に説明をした。一行は車で福島県庁舎近辺へ移動。線量を計ってみると、年間線量の5ミリシーベルトを記録した。次に福島でも汚染の激しい渡利地区へ移動、線量を計る。ここ周辺は除染をし、校庭も土を入れ替えてあった。

 一行は阿武隈焼却センターを通り、小鳥の森公園に到着。ここのモニタリングポストは毎時1.4マイクロシーベルトを表示。ネステレンコ氏が付近の土壌の線量を調べると1.9マイクロシーベルトを記録した。現地スタッフは「ボランティア作業員たちに対し、行政から、ボランティア作業中のマスク着用は住民に不安を与えるので、着用しないように指導があった」と話した。

 伊達市は、家庭の玄関と庭の2カ所のうち、どちらかが3.2ミリシーベルト以上は汚染認定になった。それにより、支援を受けられるところと支援を受けられないところの汚染格差が表出した。ここは3月15日当時、放射能プルームが通過した際、雪になり汚染がひどくなった土地でもある。一行は小国小学校に到着。現在、小国小学校には2つのモニタリングポストがある。1つはアメリカ製の線量計で、数値が高くふれる傾向があるため廃止。それより40%低い値がでる富士電機製を増設し、モニタリングポストとして稼働させている。実家は避難勧奨地域で疎開しているにもかかわらず、ここに通学している40名ほどの生徒がいるという。

 校庭などは除染して放射能は低いが、私有地は除染が遅れ、放射能は残ったままだ。スクールバスの停車地付近では、年間9ミリシーベルトを超える高線量を記録した。ここの小学校に子どもを通わせている親を招き、ネステレンコ氏がいくつか質問をした。父兄は教室内の検査の有無について、「定期的調査はしていない。今の健康基準は校庭のモニタリングポストの数値に頼っている」などと答えた。しかし、プール脇では年間30ミリシーべルトに匹敵する数値が出たという。また、父兄からは「共有している情報が違っている。もう疲れた、あきらめているという感想が大勢を占めている」との意見が発せられた。続いて、家庭を訪問、「避難勧奨地区の汚染基準があいまい。国や市からも責任逃れの返事ばかり」との声を聞いた。

■全編動画 2/3

 冒頭、超党派で法案審議を進めている、原発事故子ども・被災者支援法について話し合った。年間空間線量の1ミリシーベルトという基準も、内部および外部被ばくを含めるのか決定していない。ネステレンコ氏は「放射線量など、基準を決めるのはとてもいいが、後の発症の因果関係を証明することがとても困難だ」と意見を言った。スタッフは「この法案は、国が因果関係の否定を証明しなければならない、とした点が画期的だ」と述べた。ネステレンコ氏は「行政が託した調査などを当てにしないで、自分たちが線量計で調べて自主的に対処した方がいい」とアドバイスした。

 車で移動中には、「福島のある家族は、週末、車で県外まで走り、お金がないので車中で一泊する。なぜなら福島から離れるだけで放射能汚染のストレスから解放されるからだ」など、福島の親子たちの保養や精神的ストレスの発散の仕方について、いろいろな情報が交わされた。

■全編動画 3/3

 一行が飯舘村に入ると、ガイガーカウンターの数値が上下に激しく振れ、車中で1マイクロシーベルトを超えた。飯舘村では、震災事故のあと、虫が少なくなり、花が綺麗に咲くようになったと言われている。ここでは10マイクロシーベルトを超える測定値が記録される。一行は飯舘村役場に到着、教育長が対応した。全村避難の状態であり、取材はできなかった。

 今回、思ったより放射能汚染が酷いことに驚いたというネステレンコ氏は、「かつて、ソ連はベラルーシのブレスト州に対して3年間も事故を秘密にしていた。福島でも、権力の暴走やモラルの崩壊など、ベラルーシと同様のことが起こっている」と感想を述べた。福島市に戻ると、子供たちを放射能から守る福島ネットワークの会の佐藤氏と対談した。福島とベラルーシの子どもに対する放射能汚染対策などについて意見を交わし、ネステレンコ氏の福島視察は終わった。

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です