【お詫びと訂正】
以下、『百人百話 第1集』より引用
ニュースにもなっていますから、みんなわかっていると思うんで出しますけど、双葉町長が埼玉に避難していて、埼玉から国会に「7号機、8号機を作ってください」と陳情に行っていたという話。あと福島県知事の佐藤雄平さんが、さすがに追い込まれて「もう原発は動かせない状況になりました。1号機、2号機、3号機、4号機は廃炉にします。5号機、6号機は考えます」という結論を出したんですけれども、その時にも、その町長は「寝耳に水だ」というふうな発言されているわけですね。5号機、6号機がある大熊町長も、何かびっくりするような発言を確かしてたはずなんですよ。
なぜ、自分たちが住めないような状況に追い込まれているにもかかわらず、そこまで言うのか。そもそもチェルノブイリの例を考えるまでもなく、双葉、大熊は人が帰れる土地じゃないと思うんですね。菅総理(当時)が最後に言いましたけれど、戻れるのは30年、しかも3km内と言ったんですね。
『百人百話 第1集』に記載されている上記の発言について、前双葉町長の井戸川克隆氏に確認したところ、国会に「7号機、8号機を作ってください」と陳情に行った事実はなく、「寝耳に水だ」と発言した事実もないとの指摘がございました。
また、東京電力福島第一原子力発電所の5号機、6号機が立地されている自治体は、大熊町ではなく双葉町であり、菅直人総理(当時)が「戻れるのは30年、しかも3km内」と発言した事実もございません。
ここにお詫びして訂正いたします。申し訳ございませんでした。
「僕だったらヨウ素剤を配っていた」
郡山市在住。46歳。開業医(整形外科)。妻と両親と娘3人の7人家族。事故直後に始めたツイッター情報を頼りに、新潟経由で金沢に一時避難した。チェルノブイリ事故が脳裏をよぎり、4号機の爆発時には、娘たちの将来を悲観した。医師とは、人の健康を守り、人命救助を何より優先する仕事のはず、政治は二の次だ。自然農法による食べ物からの体質改善という理想の医療を、この福島から発信したかったが、今回の事故でその夢は潰えた。
2011年9月1日収録/2011年11月24日配信