3年前の参院選で初めて立候補し、惜しくも敗退したミュージシャンの三宅洋平氏が、2016年6月14日、渋谷ハチ公前で緊急のオープンエアでの記者会見を開き、次期参院選へ立候補を表明した。激戦区の東京選挙区から出馬する予定だが、政党の支援はうけない。無所属で、肩書きはミュージシャンだ。
「野党共闘」や「野党統一候補」を実現してきた市民運動のうねりとも関わることなく、憲法学者・小林節氏の新政治団体とも交流がない。一見、孤立無援にも見えるこの闘いを応援するのは、国会議員であり、三宅氏の友人でもある山本太郎氏ひとりだ。三宅氏の出馬を強く促した張本人とも言われている。
▲「彼しかいない」三宅洋平氏を擁立した生活の党・山本太郎参議院議員
会見の場において、山本太郎氏は「やっぱり彼しかいないんですよ」と三宅氏を担ぐ理由を力説した。
「長いものに巻かれて仲良しクラブでやっていればどんなに楽な世界か。歳費をもらって給料をもらって、ほとんど政治活動に使わずにそれを貯め続けてマンションを買う。政治活動といえば国会の中で居眠りをする。そんなことが成立するような人たちが沢山(国会に)いるんです。
そんな人たちじゃ困りますよね。気概をもって、本当に皆さんのために仕事をしてくれる人たちは、数えるほどしかいない。そういう人たちを一人でも二人でも増やすしかない。東京選挙区はどうするのかといった時に、彼以外は考えつかないんです」
- 日時 2016年6月14日(火)15:00~
- 場所 渋谷ハチ公前(東京都渋谷区)
困惑の声も・・・準備不足のまま、選挙戦「最終盤」から挑む闘い
2015年の夏、全国に広がった安保法反対運動を結節点に、市民運動は、昨年12月、新しいフェーズに移行した。安保法廃止と立憲主義の回復をかかげた「市民連合」を結成し、選挙のために後押ししてきた「野党共闘」が実り、5月31日には、民進、共産、社民、生活の野党4党による野党統一候補の擁立を全国32の一人区すべてで実現した。
全国をくまなく講演して回り、野党の党首らに働きかけ、共闘の後押しをしてきた憲法学者の小林節氏。自身で新たな政治団体「国民怒りの声」を立ち上げ、俳優の宝田明氏など著名人を含めた8名の候補者を擁立し、安倍政権の暴走を止めるための新たな受け皿を準備して、参院選に臨もうとしている。
他方、三宅氏は、この3年間、こうした一連の動きに関わってこなかった。2013年の参院選に出馬し、敗退してから以後は、本業である音楽に専念。何の前触れもなく、突然の立候補を表明したように見える三宅氏と、その三宅氏を推す山本太郎議員に対し、両氏にシンパシーを抱いている市民からも困惑の声が上がった。
参院選の公示は6月22日に迫っている。政党の応援もなく、「出遅れ感」が否めない。純粋に、改憲勢力を阻むことが目的なら、立候補ではなく、野党候補の応援にまわることは選択として考えられなかったのか。さらに、三宅氏の出馬で野党候補の票割れが起こるのは確実だが、その点はどう考えるのか。「思いつき」なのか、あるいは「思いつめたあげく」なのか。明らかに準備不足のまま、選挙戦としては「最終盤」にさしかかってからの闘いに、立候補という形で挑む理由を聞くと、三宅氏は次のように答えた。
立候補する最大の理由「山本太郎を(国会で)一人にしちゃいけないという一念」
▲7月10日の参院選に立候補を表明したミュージシャンの三宅洋平氏
「野党候補を応援すればいいじゃないかと。昨年、統一地方選挙で何十人という候補を応援してきました。そして、応援することの大変さが身にしみました。
候補者本人でない人の発言の声は体感的には10分の一くらい小さいです。逆に言うと、自分が候補者になれば100倍くらいに膨らませられるな、と改めて思いました。今回、もちろん誰かを応援して回ることも考えた。野党共闘はもっと盛り上がると思っていました。もっともっと火がつくんだと。
なぜ僕が今回、ここ(東京選挙区)で出るのか。山本太郎が一番、一緒に勝負していける人間だと思っているからです。僕がここに立っている理由は、3年前から山本太郎を一人にしちゃいけないという一念なんです。
今までの、50数パーセントの投票率の中で考えるから『票割れ』っていうんですよね。でも改憲勢力を止めるには投票率を60~70パーセントに押し上げていかないと。せめて、東京のみんなが選挙に行って、分母が大きくなれば、組織票や固定票で計算されている改憲勢力を大きく揺るがすことができる。
『票割れ』とう批判に対しては、『そんな弱気だから相変わらず勝てないんだ』と言わせてもらいます。僕がこれから投票に行かない人たちを、この一ヶ月をかけて、投票に行ってもらうキャンペーンを張っていきます」
生活の党幹事長・玉城デニー氏に内実を聞く「生活の党とは関係のない立場での選挙」
▲歯に衣着せぬ訴えで聴衆の注目を集めた2人
三宅氏は3年前の選挙の際も「山本太郎を国会で一人にしない」と訴え続けてきたが、その思いは今も変わらないと話す。山本太郎を「ひとり」にしてはいけないという思いは、本物の本音であろう。そこに、三宅氏なりの「誠実さ」がこめられているのは間違いあるまい。しかし、「ひとり」が「ふたり」になれば、それでいいのか。今回の参院選はそうした個人間の友情物語がテーマになりうるような「平時」の選挙なのか。
「ふたり」では政党要件すら満たさない。山本太郎氏が共同代表をつとめる「生活の党と山本太郎となかまたち」は、所属する国会議員が5人だった。政党要件ぎりぎりの人数だ。小沢一郎共同代表と玉城デニー氏は残るが、参院議員として改選のかかった今回の選挙で副代表の主濱了氏は引退。同じく副代表の谷亮子氏は、生活の党からの出馬を見送り、自民党からの出馬を検討するという迷走ぶり。5人から3人へ。新潟で野党統一候補として出馬する森ゆうこ氏が当選し、生活の党に戻れば4人。ここに三宅氏が当選して生活の党に加われば5人になるが、今回、なぜか生活の党は三宅氏を推していない。
なぜ、三宅氏は「無所属」での立候補なのか。どうして生活の党は三宅氏を推さないのか(あくまで立候補を表明した現時点での話。今後変わりうるかもしれないが)今回の出馬劇は、あくまで山本太郎氏「ひとり」の独断で三宅氏を推した、ということなのか。
真相を突きとめるために、生活の党幹事長の玉城デニー氏に聞いた。玉城氏は、三宅氏擁立は山本太郎議員の個人的な活動で、「生活の党とは関係のない立場での選挙」だと言い切ったが、「勝手に、一方的に突っ走ったわけでもない」とも付け加えた。
「『生活の党と山本太郎となかまたち』という政治グループが合流したとき、選挙はそれぞれ、お互いのグループでやろうということで合意した経緯がある。
今回の件も、山本太郎さんのグループが個人的に擁立、選挙運動を行うということで、生活の党とは関係のない立場で選挙をやるということになっています。応援の要請はなかったですね。
ただ、最初から『自分たちで出したい』と言っていたので、それについては小沢一郎代表と折々、意見交換をしていた。勝手に、一方的に突っ走ったわけでも、こちらが勝手にやれと言ったわけでもなく、お互いの考えや立場を尊重しながら、がんばろうということです」
もし三宅氏が当選したら、入党の可能性はあるのか。小沢代表はどう受け止めているのか、玉城氏に続けて質問した。
「何とも言えないですが、政策や理念でお互いが一致するのが大切。全部じゃなくていい、おおまかな部分で。
小沢さんは、自分から『これはダメ、あれはいい』と言う方ではありません。出るか出ないかは本人が決断すること。安倍政権と対峙して闘うという以上、我々の仲間の一人として、大切に見るべきだ、という考えです。
我々は4野党の共闘、市民連合との共闘という形で一つの方針を示しています。絶対に安倍政権に議席を与えないという強い決意で闘うという仲間の一人だと(小沢氏は)考えていると思いますね、山本さんや三宅さんのことを」
緊急事態条項を危険視「改憲勢力に74議席取られたら、『ジ・エンド』ですよ」
2013年12月、秘密保護法が成立し、翌年7月には集団的自衛権の行使が容認された。2015年9月には安保関連法も成立し、政府はTPPの「大筋合意」までこぎつけた。これらはすべて、一度も選挙の主たる争点として掲げられたことはなく、選挙が終わったあとに「信任を受けた」として、安倍政権は強権的なやり方で強行してきた。
7月の参院選はふたたび「アベノミクス」を争点にあげている政府・与党だが、これはめくらましに過ぎず、本丸は間違いなく、「憲法改正」である。
三宅氏は安倍政権が新設を狙う「緊急事態条項」の危険性にも触れ、3分の2議席を取られた場合は、「僕らの想像を超えた日本になってしまう」とも訴えた。
「日本会議系のシンクタンクである『日本政策研究所』。これは安倍晋三さんのシンクタンクだが、アジェンダを読んだところ、緊急事態条項を発令した場合は、『一回、人権は凍結しますよ』とはっきり書いてある。自衛隊を国軍化するということもはっきりと書いてある。
今回、改憲勢力が74議席以上取ったら改憲ですから。(改選数)121のうちの74議席を取られたら、『ジ・エンド』ですよ。
それを最後の最後に、なんとか食い止めることができるなら、それがこの参議院選挙だと思っています。せめて69議席に食い止めたい。後はこういうことが起きているということを、相変わらず、知ることができていない人たちに、なんとか伝えたいんです」
改選勢力に3分の2を奪われたら「ジ・エンド」だという現実認識はまったく正しい。まったくもってその通りだ。しかし、そこまで現実が見えているなら、なぜ、もっと早く行動を起こさなかったのか、起こせなかったのか。そこが何としても悔やまれる。
2人の訴えを聞いて「初めて選挙に行ってみます」と話した22歳の若者