戦後70年を迎える今年、政府は安倍総理の名前で新しく「総理大臣談話」を発表する方向で本格的な調整に入っている。
しかし、この「総理大臣談話」を巡って、過去の村山談話や小泉談話で用いられた「侵略」「心からのおわび」といった文言が使われるかどうか、議論の焦点となっている。しかし、安倍総理は、過去の談話を「全体として引き継ぐ」とする一方、細かい文言については、はぐらかすような答弁を続けているのである。自身の言葉としては「謝罪しない」ということに、頑なに固執しているのである。
そのような中、この「談話」について検討するための有識者会議が設置された。座長には、「新日中友好21世紀委員会」の日本側座長を務めるなど、親中派としてしられる西室泰三・日本郵政社長が内定した。一方、座長代理には、集団的自衛権行使容認を安倍総理に提言した安保法制懇のメンバーであり、安倍総理の外交・安全保障政策のブレーンであるとされる北岡伸一・国際大学学長が就任した。
靖国神社参拝、集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法の施行など、安倍政権は、まるで戦前の大日本帝国のような、非民主主義的な軍事国家の再興をもくろむタカ派的な施策を次々と実行している。
9条だけでなく、戦後日本の平和主義、国民主権、基本的人権の尊重を基礎づけてきた日本国憲法を根底から覆す、もはや立憲主義にもとづく近代憲法とはいえない自民党の憲法草案にもとづく憲法改悪運動も本格化している。
他方、草の根レベルでも、在特会(在日特権を許さない市民の会)などによる「排外差別デモ」に見られるように、非常に歪んだかたちでのナショナリズムが高揚している。
ノンフィクション作家で、昭和史に詳しい保阪正康氏は、ナショナリズムには3つの層が存在する、と述べる。政府レベルでの「国家ナショナリズム」、相互理解をめざす国民レベルでの「庶民ナショナリズム」、そして感情だけの「歪みの伴うナショナリズム」の3つである。
そのうえで保阪氏は、昭和の歴史を振り返りつつ、「庶民ナショナリズム」が欠落し、「国家ナショナリズム」と「歪みの伴うナショナリズム」が接続された地点において、戦争が起きるのだと指摘する。
であるならば、政府がナショナリズムを煽り、それが草の根レベルで「排外差別デモ」などのような形であらわれる現在も、上からのナショナリズムと下からのナショナリズムとが、健全な愛国心をサンドイッチにしてしまい、戦争をまさに実行に移そうと着々と準備中であると言えるのではないか。
新しい「総理大臣談話」が出される今年は、戦後社会の新たな曲がり角となる。
「私的談話」の形に弱めるのではないか、という報道もあるが、どうあれ、昨年7月の解釈改憲の閣議決定にもとづき、集団的自衛権の行使を是認し、違憲の戦争法案を通してゆくなら、今後、平和主義、国民主権、基本的人権の尊重といった戦後日本の築きあげてきた普遍的な価値が歪められ、国権の強調、「地球の裏まで」外征しての戦争遂行の可能性を高める役割を果したあげく、財政も破綻し、若年人口の再生産にも失敗し、日本という国自体、「使い捨て」にされて滅びるであろう。
集団的自衛権が必要で、アメリカにどこまでも追随してゆくのだ、それが日本の進むべき道だと声高に主張する人間に、日本の未来の何が見えているというのか。誰からも、これから先の日本についてのまともなヴィジョンを示されたことがない。
日本という国のサスティナビリティーを真剣に大切に考えるのは、本来なら保守の考え方である。エセ保守には、真の愛国心はかけらもない。
日本がそのような大きな岐路に立っている時、昭和の歴史から教訓を学び、ナショナリズムとは何かという点について、根本的に考えることが必要なのではないか。
今回の「IWJ特報!」では、そのような問題意識のもと、ノンフィクション作家の保阪正康氏へのロングインタビューをお届けする。
『大東亜戦争は正しかった』と旗を立ててから資料を集めてくる人たちがいる~実証主義に徹することが、いかに重要であるか
▲保阪正康氏
岩上安身(以下、岩上)「みなさん、こんにちは。ジャーナリストの岩上安身です。今日は、大変楽しみにしていたゲストの方をお招きすることができました。私は今はこうしてインターネットのメディアを作り、主宰しているわけですけれども、もともと出発点は出版ジャーナリズム、書籍編集と、雑誌の取材・編集をしてきました。それから独立して様々なメディアで仕事をする機会を得てきたのですが、出版界で育てられた人間として、同業で仰ぐべき大先輩は幾人もいらっしゃいます。
その中のお一人、昭和史のことであればこれほどのお仕事をされた方はそうそういらっしゃらないのではないかと思います。本日は作家、ジャーナリストであり、評論家でいらっしゃる保阪正康先生にお越しいただき、お話をうかがってまいりたいと思っております。保阪先生、よろしくお願いいたします」
保阪正康氏(以下、保阪・敬称略)「よろしくお願いいたします」
岩上「さきほど打ち合わせでも少し申し上げたのですが、私は以前に仕事で旧ソ連、ロシアの取材をしておりました。抑留者、シベリアに抑留された何十万という旧日本軍将兵の人たちは帰らせてもらえなかったわけです。
その問題についての歴史的な記録が、ソ連崩壊時に出てきたり、ソ連側が謝罪しようという気持ちになった際に出てきたものなどを取材していて、抑留者の全国抑留者補償協議会(※1)、つまり抑留を体験した人たちの集まりがあるわけですが、その中に斎藤六郎(※2)さんという方がいらっしゃいました。
そうした関係者の方々からお話をうかがった時に、保阪先生のお名前がたびたび出てきて、抑留者の研究者と言えば保阪先生しかいないと、みなさんから言われました。それで保阪先生の書かれたものを拝読し、勉強させていただきました。読者の一人としてお世話になっており、いつかお礼を申し上げたいと思っておりました。やっと念願がかないました。ありがとうございました」
保阪「いや、恐縮です」
岩上「保阪先生と言えば、まず半藤一利(※3)先生と大変仲がよく、たくさんの本を共著で出されています。手もとにどれだけ本があるかなと、先ほど書棚から出してきたのですが、両腕にいっぱいです。しかしこれで全てではなく、保阪先生の単著もあり、それらは今倉庫にあります。
保阪先生は大変多作で膨大な量の著書があり、両手でも持ちきれないのですが、これら戦前、戦中史を含めた歴史を研究し、その歴史から学んで今日を照らし返す、そうした作業が、今こそすごく必要になっている気がするのです」
保阪「そうですね」
岩上「そうした中、あれもこれも聞きたいとなると、何昼夜にもなってしまいますから、本日はこちらの、付箋だらけになっております二冊にスポットライトを当てていきたいと思っています。『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』と、もう一冊『そして、メディアは日本を戦争に導いた』です。
どちらも半藤一利先生との対談ですね。タイトルも大変素晴らしいのですが、実はこの二冊、本日この場にいらっしゃいます東洋経済新報社出版局の編集者である南翔二さんが担当されました。
私も実は本日、南さんと初めてお会いするのですが、その南さんから、IWJを読んでいらっしゃるというお手紙や激励とともに、こういう本を作ったので見てもらいたいと贈っていただきました。大変ありがたいことだと思っております。今はやはり、本が頑張らなくてはいけない時代だと思うのですが」
▲『そして、メディアは日本を戦争に導いた』と『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』
保阪「ええ、その通りですね」
岩上「しかし残念なことに、書店の棚には安易に作られた嫌中・反韓本が並び、乱売されています。こうした状況のもと、良書をみなさんに読んでいただきたいと思っておりまして、積極的に様々な本を紹介させていただいております。この二冊は、まさに紹介に値する書籍です」
保阪「ありがとうございます」
岩上「今日はこの二冊からパワーポイントを作成しました。これは、『そして、メディアは日本を戦争に導いた』。こちらが先に作られたご本ですね」
保阪「そうです」
岩上「本日はまず近著である『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』からお話をお聞きしたいと思います。その前に、この本の共著者であられる半藤一利先生は、『週刊文春』、『文藝春秋』誌の編集長も務められ、株式会社文藝春秋の専務もご経験され、さらに歴史家でもいらっしゃいます。実は半藤先生に、以前インタビューを申し込んだことがあるのですが『ネットは知らない』のお一言で」
保阪「はい(笑)」
岩上「断られてしまった。しかし今度は『保阪先生も出られたのですから』と、何とか粘り腰でお願いしようと思っています。半藤先生との対談や共著が多いのはどうしてなのでしょうか」
保阪「私は今74才ですが、半藤さんはちょうど10歳ほど年長で、もう84才です。これがどういうことかというと、私は戦争が終わった時に5歳でしたから、昭和21年の時には小学校1年です。半藤さんはちょうど中学を終える頃だったと思います。世代で言えば半藤さんが私より一つ上の世代になります。
半藤さんが編集者の時にはあまり一緒に仕事をしたことがなく、半藤さんが役員になられる頃、私はよく文春に出入りしていました。ですから半藤さんの下の世代、自分と同世代の編集者とはよく仕事をしていましたが、半藤さんとはほとんどしたことがありませんでした」
岩上「そうなんですか」
保阪「ただ半藤さんの本はかなり読んでおり、半藤さんと自分には共通点があるなと思っていました。昭和史、特に昭和の前期と私は呼んでいますが、昭和20年8月の戦争が終わった時までですね、この期間を調べれば調べるほど、実に多くの教訓が眠っています。
この教訓を次の時代に生かさなければいけない、教訓を残すために何万、何百万の日本の兵士、そして民間人が亡くなったわけですから。
亡くなった方々が何を訴えているのか、歴史から汲み取る必要があります。半藤さんには、この汲み取る姿勢がかなり顕著だと思うのです。10年先輩の半藤さんの本を読み、私もこのような汲み取る仕事がしたいと思いました。それで文春が何度か対談を用意してくれたわけです。
そのうち二人の話はわりに共通点があると、歴史と向き合う姿勢に同じようなところがあると。具体的にどういうことかと言いますと、実証的に見ようという点ですね。何事にも、理論や思いつきの言論ではなく、とにかく実証的に見ていこうという、まさにその点で半藤さんと私とは、話が合うと思いました」
岩上「お二人は歴史家でおられるわけですが、歴史研究者であると同時に、ジャーナリストでもあります。だから事実に基づき、その事実の積み重ねで見る。あるイデオロギーや決められた視座で見ていくと、事実が不都合だったりする場合に捨ててしまう。捨象してしまう。そうする人が多いわけですね」
保阪「おっしゃる通りです」
岩上「それではダメだと」
保阪「それではダメですよね。私がなぜ、そうした実証的なやり方が必要だと思ったかと言いますと、まず私の世代は左翼体験があります。もちろん個人によってその濃淡はあります。共産主義がいいと思った人もいれば、共産主義にはシンパシーを持った程度だという人もいる」
岩上「保阪先生は何年のお生まれでしたか」
保阪「昭和14年、1939年です。さきほども触れましたとおり、昭和21年に小学校一年になる。60年安保(※6)の頃に大学生という世代です」
岩上「60年安保世代になるわけですね」
保阪「そうです。そうすると、皆だいたい左翼体験を持っています。社会主義が正しいと考える。社会主義的な見方、唯物史観と言いますか、つまり歴史にはある発展法則があって、その方向へ歴史は動いていき、いずれは社会主義になっていくのだと。私はこれを『病だ』と言っていますが、われわれは病に取り憑かれたのだと思います。当時20代前半の人々は大概そうでした。
ところが生活者になり、家族を持つ、社会的な視点を持つ、そうすると社会主義になったからといって人間が幸せになるのか、という問いが出てきます。日本の軍国主義が東南アジアを侵略した――それだけが歴史的解釈で、左翼的な史観が日本をおおっていたわけです。
30才を過ぎ、戦争が終わった次の世代として戦争を語る時、日本は中国を侵略した、東南アジアを侵略したとだけしかもし言えないとするなら、何と恥ずかしい世代だろうと。鉄砲かついで東南アジアや中国へ行った兵士たちはいったい何を考えていたのか。東京の大本営の参謀たちは何を考えて戦争をしたのか。政治家は何を考えてあの時代を作ったのか――こういうことを実証的にやらないと、実は次の世代に伝えたとは言えないと思うのです。
だからひとまずそういった左翼的見方を捨て、『あの時あなたは何を考えていたのですか』ということを確認していく作業を始めようと。それが昭和40年代の終わりでした。こうしたインタビューは、昭和50年代に入ってからは集中的に行いました。旧軍人、旧政治家、あるいは左翼革命家と言いますか、共産党の人たちなど、いろんな人にお話しをうかがいました」
岩上「昭和史に関わった人々の記録ですね、オーラル・ヒストリーを集めるという、これをずっとやられていて、もうすでに4,000人に聞いていらっしゃると」
保阪「のべ人数で4,000人ですね、実数にしても3,000人には聞いています。私は日本だけではなく、中国、韓国、ロシア、アメリカ、オランダ、イギリス、シンガポールなどでも、『あなたたちは日本と戦争している時、あるいは日本の支配下に置かれている時、どういう感情、どういう印象を持ち、どういう生活をしたのですか』と聞いてきているのです。多角的、多方面的に話を聞くことで、日本のかつての、1930年代、40年代をしっかり押さえて、そして次の世代へ伝えていきたいと思うのです」
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(※1)全国抑留者補償協議会:山形県の地域の代表者をもって組織されていたソ連抑留者の団体。平成23年5月に解散(参考:全国強制抑留者協会【URL】http://bit.ly/1F0VxzC)。
(※2)斎藤六郎:昭和後期-平成時代の社会運動家。満州(中国東北部)の陸軍第四軍軍法会議書記として終戦をむかえ、シベリアに抑留。昭和24年帰国。昭和54年全国抑留者補償協議会を結成し、会長に就任。抑留死亡者名簿の引き渡し、遺族墓参の自由化,労働証明書の発行などを実現させた(参考:デジタル版 日本人名大辞典+Plus【URL】http://bit.ly/1CcwRS0)。
(※3)半藤一利:作家、随筆家。元「文藝春秋」、「週刊文春」編集長。近現代史、特に昭和史に関し、人物論・史論を多数刊行している。
昭和28年に文藝春秋社に入り、出版局長、専務取締役などをつとめた。その間、太平洋戦争を研究し、『日本海軍を動かした人びと』『聖断』『昭和史の家』などを発表。平成5年エッセイ『漱石先生ぞな、もし』で新田次郎文学賞。10年『ノモンハンの夏』で山本七平賞。18年『昭和史』で毎日出版文化賞を受賞した。(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1vfQfLt)。
(※4)半藤一利、保阪正康 著『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』(東洋経済新報社、2014年9月)紹介文:日中韓で燃え上がっているナショナリズムの実体を分析。背景となっている歴史問題を直視し、憎悪の連鎖に歯止めをかけるために提言している。“自虐史観”、“居直り史観”を排して、健全な日本人のナショナリズムのあり方を示した良書(【URL】http://amzn.to/1AeNpfy)。
(※5)半藤一利、保阪正康 著『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社、2013年10月)紹介文:昭和の大転換期の真相を明らかにし、時代状況が驚くほど似てきた“現在”に警鐘を鳴らす一冊(【URL】http://amzn.to/1CcBNXl)。
(※6)60年安保:1960年(昭和35年)1月、首相だった岸信介が、アメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーと会談し、日米間で1月19日に新条約が調印された。岸の帰国後、新条約の承認をめぐる国会審議が行われると、安保廃棄を掲げる日本社会党の抵抗により紛糾。締結前から、改定により日本が戦争に巻き込まれる危険が増すとの批判もあり、反対運動が高まっていた。スターリン批判を受け、共産党を脱党した急進派学生が結成した共産主義者同盟(ブント)が主導する全日本学生自治会総連合(全学連)は「安保を倒すか、ブントが倒れるか」を掲げ、総力を挙げて反安保闘争に取り組んだ(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/16Oa9aD)。