原発いらない福島の女たち 黒田節子さん講演会 2013.2.11

記事公開日:2013.2.11取材地: テキスト動画
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 2013年2月11日(月)14時より、ヴェルクよこすか(勤労福祉会館)第1会議室で、「原発いらない福島の女たち 黒田節子さん講演会」が行われた。「原発なくそう! 100万人アクション in Yokosuka」が主催し、福島県郡山市在住の黒田節子さんが、県内で見られる厳しい現実を詳細に報告した。放射能問題に関して避難する者、残る者、そこから生まれる地域分断、除染の実態、その原因などを、豊富な写真や資料とともに解説、質疑応答も行われた。

■ハイライト

  • 主催 原発なくそう! 100万人アクション in Yokosuka(告知

 黒田節子さんは現在郡山市に在住で、「原発いらない福島の女たち」としても、様々な場所で活動をしている。講演の冒頭では、福島県在住の母親がノートに書き留めた『私がふくしまに暮らすということ』という詩を紹介した。

 「たとえば、朝起きて窓を開けて深呼吸する習慣がなくなったこと。たとえば、洗濯物を外に干せないということ。たとえば、何も言わなくても線量計とマスクを持って外出する娘が痛むこと。たとえば、この真っ白な雪に触れられないということ。たとえば、『頑張ろう福島』という言葉に、時々微かな苛立ちを感じること。たとえば、ふくしまに『とどまれ』と言われると『人の命をなんだと思ってるんだ!』と言いたくなり、『避難しろ』と言われると『そう簡単に言うな!こっちにも事情があるんだ!」と言いたくなってしまうこと』『 それでも、毎日楽しく暮らしているということを、誰かに分かって欲しいということ』…」等々、黒田さんは特に自身のコメントはせず、ありのままを淡々と読み上げた。

 次に、自身の話として「孫たちは会津若松市の近く居て、放射線量は0.2マイクロSv/hで郡山市よりもずっと低い。とはいえ事故前は0.04なので約5倍だが、家族は住むという選択をした。遊びに来たときは緑の公園によく連れて行ったが、今は緑が一番危険。葉っぱや芝生についたセシウムは雨でも流れない。」と現状を語る。

 その後は、震災直後の給水の行列の様子、汚染状況の地図などを紹介。琉球大学矢ヶ崎克馬名誉教授が記した「チェルノブイリでは強制避難の部分」という意味の赤丸の印は、郡山市のかなり広範囲に渡っていた(放射線量は文部科学省が2011年9月に測定したものも)。自ら測定したという写真をスライドで映すと、通学路の植え込みでは「1.2マイクロSv/h」を指していた。これは「特に高い所を選んだわけではない」とのこと。

 「放射能には、『見えない』放射能、『見せない』放射能、『見たくない』放射能、という3つがある。権力のある人たちは見せたくたくない。県内では色んな安全キャンペーンがある。子ども達のマラソン大会はおととしは控えてたが、去年は再開した。川内村では『除染すれば大丈夫』ということで帰村宣言が出された。」

 「住んでいると、自分自身も感覚がマヒしているのかもしれない。それをなるべく忘れたいという気持ちも出て来て、これも非常にやややこしい問題。よく『福島の女たちは、あちこちを(周知のために)飛び回ってないで、一斉に避難した方がインパクトある』と言われる」

 黒田さんは『自分の身体だけ思えば、確かにそう…」と言葉をつぐむ。

(…会員ページにつづく)

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