9月26日に召集された、秋の臨時国会。今国会で安倍政権が「なんとしてでも」の意気込みで成立させようと目論んでいるのが、TPP承認案である。
安倍総理による並々ならぬ強い意志を代弁してのことだろうか。TPPを所管する山本有二農水相は、10月18日、東京都内で開かれた佐藤勉衆院議院運営委員長(自民党)のパーティーで、「強行採決するかどうかは、佐藤氏が決める。だから私は、はせ参じた」などと発言。まだ審議の最中であるにも関わらず、「強行採決」を予告してみせた。
※農相、強行採決「佐藤氏が決める」TPP審議巡り(日本経済新聞、2016年10月19日【URL】http://s.nikkei.com/2emKtsN)
民進党をはじめとする野党各党は、この発言に反発して審議の引き伸ばしを図っているものの、10月26日には北海道と宮崎で地方公聴会が行われた。与党は、今国会でなんとしてもこのTPP承認案を成立させたい構えだ。
TPPといえば、農産物の関税に議論が集中しがちだが、問題はそれだけではない。なかでも、最も重要であるにも関わらず、国会でほとんど議論された気配がないのが、「非関税障壁」のひとつである言語の問題である。
TPPには「公共調達」に関する事項が含まれている。TPPがいったん発効されてしまえば、日本の公共事業について日本の業者が日本語の文書で入札しようとすると、「外資系企業の新規参入を阻害している」という理由で、訴訟の対象となってしまう可能性があるのだ。その結果、日本の公共事業であっても入札は英語で行われるようになり、外国資本が際限なく参入してくることになるだろう。
役所で働く者は、中央官庁から中小の自治体に至るまで、英語による文書化・コミュニケーション力が必須となり、英語が「公用語」と化す。役所で英語が「公用語」化すれば、自ずと民間企業でも英語が「公用語」と化してゆく。
英語ができる者とできない者とでは、仕事につくチャンスが極端に開き、格差が拡大してゆく。日本社会あげて、「自発的」に英語植民地化へ邁進してゆくことになるのである。
安倍政権のもとでは、見かけ上の「愛国主義的」な装いとは裏腹に、日本の国富を外資に売り渡すTPPと軌を一にして、小学校から大学に至る各種教育機関における「英語化」の流れが推進されている。
安倍政権は2013年11月に「英語教育改革実施計画」を発表、「小・中・高等学校を通じた英語教育全体の抜本的充実を図る」という基本方針を示した他、2014年8月には、「公共の場での会話は英語に限定する」という「英語特区」構想を打ち出した。
日本人はこれまで、英語、特にコミュニケーションツールとしての英語に苦手意識を持っていると考えられてきた。なのでこうした「英語化」の流れは、一見すると、日本人のコミュニケーションの幅を広げ、より広い視野を獲得することにつながるようにも見える。
しかし、本当にそうなのだろうか? こう疑問を投げかけるのが、九州大学准教授で、2015年7月に『英語化は愚民化』(集英社新書)を刊行した施光恒(せ てるひさ)氏である。
施氏は本書で、外国語を母国語に「翻訳」したうえで、多くの国民が母国語で思考し、活動する環境が存在してこそ、その国の経済や文化は繁栄する、と主張する。そのうえで施氏は、仮に日本で「英語化」が推進されれば、「英語が使える層」と「英語が使えない層」に社会が分断され、中間層は没落して格差が固定化し、日本は外資の「植民地」になってしまうだろう、とも述べている。
そのときに起こるのが、日本語が「母国語」ではなく、「現地語」に転落するという事態だ。役所に提出する文書や、ビジネスの契約書、アカデミックな論文はすべて英語で作成され、日本語は市井のちょっとした会話でだけしか使われないようになる――。「英語化」とは、こうした極めて売国的な政策であるにも関わらず、「保守」を自称する安倍総理は、これを積極的に推進しようとしているのである。
「英語化」された先、日本国民にはどのような未来が待っているのか。今号では、私が今年1月26日に行った施氏への単独インタビューをフルテキスト化し、注釈を付してお届けする。