命の心配を呼びかけるほどの大雨が、原発銀座を襲ったーー。
気象庁は2013年9月16日、四国から東北地方にかけて記録的な猛威をふるった台風18号に伴い、京都、滋賀、福井に対し、大雨特別警報を発表。「直ちに命を守る行動を取ってください」と、最大限の注意を呼びかけた。該当地区での雨は15日未明から降り始め、翌16日の午前5時30分までの総雨量は、福井県小浜市で333.5ミリ、滋賀県大津市で300ミリ、京都府京北町で280ミリに達した。「数十年に一度」の規模の豪雨だった。
▲台風で冠水した若狭町別所地区の道路
福井県・若狭湾の沿岸部は「原発銀座」と呼ばれ、大飯原発、敦賀原発、美浜原発、高浜原発、もんじゅと、計14基の原子力発電所が集中しているが、今回の台風18号の影響で、土砂崩れなどの水害が発生。もんじゅに通じる県道は寸断され、もんじゅは一時、孤立状態に陥った。
さらに、もんじゅからJNES(原子力基盤機構)へ送る、原子炉出力、ナトリウム冷却材の流量などのプラントデータの「送信システム」が42時間もの間、停止した。県道が遮断されていたことから、11時間半もの間、システムの復旧作業に手を付けられなかった。
今回の台風は、原発立地地域におけるインフラの脆弱性を浮き彫りにした。
若狭地方では、10月に入った今もまだ復興していない地区が存在する。敦賀原発や美浜原発が建つ『敦賀半島』、大飯原発の『大島半島』などと横並びに位置する、『常神半島』という半島がそうだ。
原発こそ建てられていないが、この常神半島の先へ向かう一本道が、台風18号による土砂崩れの被害に遭った。未だに道は開通しておらず、通勤・通学のために半島の住民は毎日、船で本土と行き来している。
常神半島のように、もし、原発事故を伴う自然災害が発生し、大飯や美浜原発への一本道が閉ざされてしまったら――。
水害ボランティアに参加し続けてきた福井県民からこうした声を聞き、IWJは記者を派遣。今回、若狭地方を襲った水害の実態と原発問題について、現場取材を敢行した。
“新たなインフラ整備はない” 水害を受けても何の対策も取らない福井県
10月3日午後7時、福井駅に到着後すぐに、日本共産党の福井県議会議員・佐藤正雄氏に話をうかがった。佐藤議員は、毎週金曜日に福井県庁前で行われている脱原発集会にも欠かさず顔を出し、脱原発を訴えてきた人物でもある。
▲インタビューに応える佐藤県議会議員
佐藤議員は「今回のような被害が美浜で起きれば、そして、もしそれが原発事故を伴う自然災害であれば、『原子炉は冷却不能になり、しかし、土砂で道路は通行止め。住民は逃げられない。でも放射能は来る』といった大惨事がシュミレーションできる」と言う。福島事故前から、県議会でもこのような懸念はあり、大飯や敦賀などの原発立地地域に新たにトンネルを堀り道を増やす「災害制圧道路」をつくることでリスクを軽減する、という計画が立てられている。福島の事故を受けて議論は加速。今年の議会で予算が付く予定だ。
これについて、佐藤議員は「私の見解だが、災害制圧道路は、多重化という意味でもないよりはあったほうがいい。自民党の議員たちがこれを強く要求するのは、そうした名目で『公共事業』を発注できるから、という一面もあるのではないか」と語り、さらに「仮に道路ができたところで上手く逃げられるかというと、わからない。例えば、美浜で自衛隊が出動すると仮定した原子力災害避難訓練が行われたが、『テロ対策』を想定したら、自衛隊の仕事は避難ではなく、『テロとの戦い』になる。そう訓練通りにいかない」と述べた。
テロや自然災害のリスク回避に最も効果的な方法について、佐藤議員は「原発をなくすしかない」と述べ、「今回、未曾有の大雨で、小浜市も水没し、救急車、消防車も来れなかった。もし、大火事などが起きていれば手のつけようがない状態だった」と危機感を示す。
佐藤議員のように原発のリスクを正面から指摘する県議員は少ない。福島事故後も、多くの議員らの意識は変わっていないのか。佐藤議員は「福井県議会は変わっていない」と断言し、昨年10月、福島県富岡町に、福井県議ら10人ほどが視察に行った時の様子を語る。
「バスで線量計を付けて入ったが、線量計の『ピッピッ』という音が大きくなるにつれ、議員は静かになり始める。富岡町役場の人は『もう人は住んでいない、家も修理できない、田んぼも作れない。原発関連死も……。原発と共存してきたけど、このザマです』と話してくれた。これが、原発と共存してきた街の姿。議員からは、途中で『もう見学はいいんじゃないか』『もう帰ろう』という声も出た。最後まで日程をこなし、議会も少しはそれを踏まえて議論したが、結局は変わらなかった。その背景には、新たな安全神話がある」
新たな安全神話とは何か。
「福島の原発は事故を起こしたが、福井の原発は安全対策を取らせた。消防ホース、冷却用の電源も敷地内にある。仮に、電源喪失事故が起きても対応できる、と知事、県庁、自民党県会議員らは主張する。バックには利益、財政、自民党への電力関連会社からの資金提供もある。そういったところにどっぷり浸かり、抜け出せない。選挙応援や政治資金パーティーにも頼っており、今更(脱原発方向になど)手のひらを返せない状況だ」
富岡町の姿に、議員らが不安を覚えたのは事実だろう。しかし、その不安を、新しい安全神話がかき消したということか。
「安全神話と、しがらみ。福井県民だけでは変えられない。状況を変えるには、大阪、京都、滋賀県の人なども関電や政治に働きかけることが大事」
さらに言えば、今回の水害も原発と同様、「新安全神話」があることで、さらなる対策を講じることなく、事態を「過小評価」したまま収束させようとする傾向があるように思えてくる。佐藤議員は「防災訓練にしても、美浜からの避難先が大飯になっていたりする。滋賀や京都に逃げればいいはずなのだが……。やはり、本気で事故を想定していないのだろう」と指摘する。
福島原発事故を受け、さらに今回の水害を受け、地元の方々は不安にならないのだろうか。
「不安は不安。でも、食っていかなきゃいけない。しかし、老朽化した原発は、推進派でももうダメだと認め、廃炉にすべきだ。廃炉作業で仕事をもらえる。再稼働するかどうかで1〜2年と過ぎていくことが一番悪い」と佐藤議員は話し、浜岡原発視察の話を紹介した。
「浜岡原発1〜2号機の廃炉作業を議会で視察に行った。現地では、廃炉作業でも雇用は落ちていない、と聞いた。真偽を確認するために静岡県庁に行ったが、『雇用は変わらない』との回答をもらった。廃炉作業と、防潮堤の強化作業などを同時並行しているからだという」
佐藤議員はこのような見解を持っているが、県が現実に脱原発路線に舵を切るのは難しそうだ。
例えば、佐藤議員は、原発から30キロの地点に位置する小浜市などにヨウ素剤を備蓄することなども提案しているというが、「安全神話」のために実現に至っていない。
佐藤議員は「知事などは、もしヨウ素剤を配布すれば、(事故を連想させ)恐怖感を煽ることになり、『そんな危ない原発ならいらないよ』という世論が起こることを気にしているのではないか」と説明し、原発の維持のためには、“住民の無関心さを維持することが必要”という現実があると指摘した。
福井県知事や県議、県民らの無関心とは別に、国側の規制にも問題点はある。
原発再稼働の判断基準となる新規制基準について、佐藤議員は、避難計画やインフラの脆弱性がカバーできていないと批判した。
「規制委員会は結局そこ(=避難計画やインフラについての議論)から逃げた。いかに住民を安全に避難させるかが決定していないのに原発の再稼働はおかしい。避難基準などは、福島事故前と変わっていない」
“原発事故や自然災害が発生したとき、被災した住民の生活と生命をどうやって守るのか”。その義務が課せられているはずの国や県には、被災者側の視点が決定的に欠けている。
佐藤議員は「県は水害を受けても、新たなインフラ整備などの対策を考えていない」と繰り返し批判した。その理由は、「新たに『この手を打てば大丈夫』と言えば、また新たな安全神話を生み出してしまうことになる」からだという。
インタビューの最後に、佐藤議員は「原発被害から逃れるためには、原発をなくすことが最良の選択だ」と語り、“リスク回避には脱原発が必要”との見解を示した。
<現場の声> 若狭町とボランティアの力で水害被災地を復興
10月4日、台風による水害に見舞われた若狭町を訪れた。IWJの取材に応じ、町を案内してくれたのは、元若狭町議会議員の藤田美穂さん。ショートヘアーの似合う快活な女性で、今回の水害ではボランティアセンターを立ち上げ、人海戦術の復興作業を手伝った。
▲明るくインタビューに応えてくれた藤田さん
藤田さんは、今回の災害現場を初めて目にしたとき、「これを一体どうするのか。住民だけでもとに戻せるのか」と、愕然としたと語った。しかし、藤田さんはすぐに、福井県災害ボランティア支援センターと連絡を取り、若狭町でもボランティアセンターを設営することを決意する。
災害現場を見た翌日、藤田さんは地区生活会議(住民自治組織)のメンバーと運営について協議を行った。その後、社会福祉協議会(=社協)も手を貸してくれることになり、若狭町全体をカバーするボランティアセンターが立ち上がった。
はじめは野木地区というひとつの小さな地区から始まった話が、若狭町全体の話として動き始めた。福井県内だけでなく、県外のボランティアからも電話が相次ぎ、ボランティアセンターはその対応に追われた。センターでは多少の混乱もあったというが、初日に36人だったボランティアは、多いときには300人以上も集まり、復興作業を手伝った。
藤田さんに案内してもらった若狭町の「海士坂(あまさか)」という地区は、水害が最もひどかった地区のひとつだ。現地の民家には未だに浸水による水跡が残っていたり、庭の一部には泥がそのまま溜まっている。しかし、細かく指摘されないと気付かないほどに町は元通りになっていた。
▲水害で氾濫した川(海士坂地区)
▲水没した海士坂の民家
▲ボランティアによる復興作業後の民家(海士坂地区)
海士坂を歩いていると、水害の被害にあった高齢者の方たちが藤田さんに話しかけてきた。
「あのときはホンマにありがとう」「ボランティアは神さんやで」――。
当初、被災した住民には当然ながら笑顔がなかったという。しかし、今では藤田さんと声を上げて笑い合えるほどに元気になっていた。
海士坂を案内してもらったあと、土砂崩れを起こした山に足を踏み入れた。
もともとは川だったと思われる場所は土砂で埋もれ、なぎ倒された木々がそのままの状態であちこちに転がっている。山に入って十数分、大きく開けた空間があらわれた。目の前には20mほどの滝が流れている。視線を横に向けて驚いた。数メートルの崖が川の両側に沿って続いている。山の一部がまるごと削り取られているのだ。こんなに大量の土砂が一気に住宅地に押し寄せたら、人間などひとたまりもない。
▲土砂崩れを起こした現場
甚大な水害に見舞われ、今では見事な復興を遂げたようにも見える若狭町だが、地域の防災計画として見ると多くの課題を残した。藤田さんは「平常時の備えをもっとしていれば」と語り、今回のボランティアによる復興活動について、次のように振り返った。
「町全体のセンターになる段階で、全てを社協に担わせるかたちとなってしまった。いろいろな団体から力をかりてボランティアセンターを運営していたら、社協の負担を減らすことができ、もう少し長い期間復興活動ができたかもしれない。連絡体制がしっかりとできていれば、安定した運営ができたかもしれない。この地域では、『災害ボランティア』という定義や必要性は理解されていなかったし、これまで、自分自身がもっと働きかけられることがあったはず」
今回の水害について、藤田さんは「まだ総括ができていない」としながらも、「同じことを繰り返せない」と語り、防災体制を改善するためにすでに動き始めている。
以下は、台風通過直後の若狭町の様子。※藤田美穂さん提供。
▲えぐられた線路下の土砂(日笠地区)
▲川から氾濫した水で水没した民家(成出地区)
▲氾濫する北川
IWJは、さらに美浜町や大飯町、孤立した常神半島の現場、そして、原子力関連の人材育成に向けての協力体制を築くため、IAEAの天野之弥事務局長と覚書を交わした福井県・西川一誠知事などに直接取材を敢行。後編では、その模様を報告する。