本日、8月15日は、75回目の敗戦忌である。戦争が終わって75年の歳月は、ほぼ、一人の一生に相当する。一人の人生が終わるとき、戦争の記憶も同時に終わるのだろうか。
(IWJ編集部)
本日、8月15日は、75回目の敗戦忌である。戦争が終わって75年の歳月は、ほぼ、一人の一生に相当する。一人の人生が終わるとき、戦争の記憶も同時に終わるのだろうか。
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各地で、戦争の記憶を風化させない取り組みが続いている。埼玉県桶川市は、戦前、熊谷陸軍飛行学校桶川分教場が荒川沿いにあり「空都」と呼ばれていた。ここで、数多くの神風特攻兵が養成された。NPO法人旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会が、この歴史を毎年8月のこの時期に語り継いできた。今年、8月4日、この語り継ぐ会が中心となって、桶川分教場時代の建物を活用し、この飛行学校跡地が桶川飛行学校平和祈念館としてリニューアルオープンされた。
また、作家の小川洋子さんは、戦争の記憶を伝える文学の言葉について、ニューヨーク・タイムズに、次のような重要なコメントを寄せている。
「たとえ原爆の体験者が一人もいなくなっても、弁当箱が朽ちて化石になっても、小さな箱に潜む声を聴き取ろうとする者がいる限り、記憶は途絶えない。死者の声は永遠であり、人間はそれを運ぶための小舟、つまり文学の言葉を持っているのだから」
8月15日の恒例として、IWJは、【IWJ・Ch5】にて、11:55~12:30に『戦争犠牲者追悼 平和を誓う8・15集会』を中継し、13:00からは靖国神社参拝者・千鳥ヶ淵墓苑献花者へのインタビューを行った。
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【IWJ・Ch5】
戦争犠牲者追悼 平和を誓う8・15集会
[日時] 2020年8月15日(土)11:55~12:30
[場所] 東京・千鳥ケ淵国立戦没者墓苑
【IWJ・Ch5】
靖国神社参拝者・千鳥ヶ淵墓苑献花者へのインタビュー
[日時] 2020年8月15日(木)13:00~
[場所] 靖国神社 敷地外、千鳥ケ淵戦没者墓苑 苑内
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堪ふることいまは暑のみや終戦忌 及川貞
この女流俳人が詠んだ敗戦日の感慨は、否応もなく戦争に巻き込まれ苦難と忍耐を強いられた女性が、敗戦を迎えて、やっと戦争から解放され、今は、暑さだけに耐えればいいのだという安堵と平和の大切さへの想いが読み取れる。これは、銃後の庶民の多くの感慨を代表するものだろう。
我々は戦争の被害者だが、戦争の加害者でもあることを否応なく思い起こされるのが、8月15日の韓国の「光復節」と北朝鮮の「解放記念日」である。日本が植民地支配した半島の二つの国家が揃って、8月15日の日本の敗戦忌を、大日本帝國の支配からの解放の日として、祝日としている事実は、重く受け止める必要がある。
朝鮮半島にとって、8月15日は、日本の支配からの解放というだけではなく、それ以降、現在まで続く朝鮮半島の分断による苦痛の始まりの日としても認識されている。
チョン・ビョンホ漢陽大学文化人類学科教授は、8月14日にハンギョレ新聞に寄せた寄稿の中で次のように述べている。
「なぜ敗戦国の日本ではなく、朝鮮が分断されたのか。朝鮮民族なら誰もが一度はこのような疑問を抱いたはずだ。8月15日を『解放の日』として記念するには、まさにその日から始まった分断があまりにも無念だからだ。民族の言葉と文字は取り戻したものの、千万の家族が生き別れとなり、国中が世界的な戦場となった歴史が無念で、今日まで続く緊張と対立が無念なのだ」
7月10日に公開された「マルモイ(ことばあつめ)」という韓国映画ある。日本の統治下の朝鮮半島で、母語の朝鮮語の使用が禁じられた人々が、朝鮮の方言を集めて朝鮮語の辞書を作ろうと奔走する史実をもとにした映画である。この感動的な映画を観ると、母語を奪うという事が、人間の魂を奪うに等しいことだということがわかる。
8月15日は、戦争で亡くなった方を悼み平和を祈念する大切な日だが、我々の父や祖父たちの世代が、半島や大陸で行った行為の事実について知る、調べる、話し合う、そのための良い機会でもあるのではないだろうか。