高市早苗総務大臣の経歴に「印象操作」発覚!『米国議会の立法調査官』の肩書は初当選した93年以来使用していない、という説明に偽りあり! 2016.6.3

記事公開日:2016.6.3 テキスト
このエントリーをはてなブックマークに追加

(取材・記事 城石エマ)

 合計975万円もの「闇ガネ」疑惑を報じられた高市早苗総務大臣に、今度は、経歴にまつわる「黒い噂」が浮上している。いや、正確には、「再浮上」と言うべきかもしれない。

 ネット上で今話題になっているのは、高市大臣の「議会立法調査官」という肩書が、実は「コピー取りやお茶くみ程度」の仕事だった、というものだ。

 「噂」が最初にメディアで報じられたのは、高市氏が初めて衆議院議員総選挙に出馬した1993年のこと。1993年9月4日号の『週刊現代』は、次のように報じていた。

 「『立法調査官まで務めた米国帰りの才女』の看板に異議あり! 高市早苗代議士の華麗な経歴は”誇大広告”だった」

 これに対し、高市氏側は猛抗議。当時、高市氏が世話になっていたという米国下院議員の広報担当者が書いた「証明書」を突きつけて、「誇大広告」という報道を否定した。

 その後も、『噂の真相』が1994年2月号、1998年7月号などで、繰り返し高市氏の経歴を「誇大広告」と報じてきたが、いつしか高市氏の経歴問題は下火になっていった。

 高市氏の初当選から23年が経った。今、高市氏は総務大臣として、安倍内閣の重要な一角を担っている。

 民意を無視した暴走が目立つ安倍政権にあって、高市大臣は放送局の「電波停止」の可能性までにおわせる、メディアへの圧力とも言うべき発言を口にした。

 高市大臣の属する自民党は、憲法改正草案を掲げているが、そこには言論・報道の自由に対して「公の秩序」の名のもと、制約を課すことが堂々と明記されている。高市大臣のメディアに対する高飛車な姿勢は、与党全体の姿勢の現れでもある。

 自民党、公明党、おおさか維新の党ら改憲派の政党が、この夏の参院選で3分の2以上の議席を獲得すれば、「緊急事態条項」が創設され、日本は内閣総理大臣の一存で国民の人権を無制限に制約することのできる超強権的な全体主義国家へと、変貌していく危険性がある。

 よくよく考えてみていただきたい。国民の基本的人権を制約するなど、どんな強権的な権力者にも許されざる暴挙であることは言うまでもない。そもそもこの国の権力の座にある者たちは、国の根幹を規定する憲法を変える「資格」があるのだろうか?

 「闇ガネ」疑惑を暴かれた高市氏の、「経歴疑惑」を検証すると、やはり「憲法を変える資格があるのか?」という疑問に突きあたらざるを得ない――。

米国連邦議会直筆の「証明書」を送付してきた総務省 経歴問題の火消しに躍起

 2016年3月24日、IWJ記者の電話に、高市大臣本人から電話がかかってきた。

 「もしもし、すみません、あの、インディペンデント・ウェブ・ジャーナルさんでしょうか? 高市でございます。ごめんなさい、ずっと国会中で。今ちょうど採決だけ終わったので…」

▲高市早苗総務大臣(高市大臣のホームページより)

 この前日、IWJ記者は高市大臣の事務所にFAXを送っていた。問い合わせをしたのは、高市大臣のホームページに書かれた、「米国連邦議会Congressional Fellow」という肩書についてだ。

 ネット上にはこの肩書をめぐって、「コピー取りやお茶くみの仕事だった」という噂が飛び交っている。”Congressional Fellow”とは、実のところいったい、なんなのだろうか?

 「コピー取りやお茶くみの仕事だった、という話は本当でしょうか? 仕事内容を詳しく教えてください」

 FAXでの質問に最初に答えたのは、高市大臣事務所であった。事務所はFAXで応じ、次のように説明した。

 「高市議員のCongressional Fellowとしての当時(1987~1988年)の仕事は、Patricia Schroeder(パトリシア・シュローダー)下院議員の議員立法やスピーチのための調査などです」

 FAXには、米国連邦議会がシュローダー氏の署名で1988年7月7日に出した、Fellowship証明書が添付されていた。「高市氏の有能さ」を記した、推薦書のようなものである。どうやら、Congressional Fellowという肩書で仕事をしていたこと自体は、事実のようである。

▲総務省より送られてきた、米国連邦議会が出したという、Congressional Fellowの「証明書」

▲総務省より送られてきた、米国連邦議会が出したという、Congressional Fellowの「証明書」

「アメリカには、コピー取りやお茶くみなんて仕事はない」――高市大臣本人がIWJに電話をかけネット上の噂を否定

 しかし、仕事の内実や雇用形態までは、この時点では分からない。

 高市大臣本人から電話がかかってきたのは、その翌日の2016年3月24日であった。国会の合間に電話をかけてきた高市大臣の対応からは、長年取り沙汰される自らの経歴問題について、はっきりと「シロ」を証明したい気持ちがうかがえた。

 高市大臣は、次のように語った。

 「Congressional Fellowというのは、大学の助教授クラスの人だとか、民間の研究機関に所属していて、そこがお金を出して、派遣してくるような方が多いと承知しています。私の場合は当時、松下(政経塾)の方からお金が出ていました」

 つまり、米国連邦議会から給料を得て仕事をするような、正式な「議会勤め」とは立場が異なるようだ。

 仕事内容について質問をすると、高市大臣は巷で噂される「コピー取り・お茶くみ」という表現に憤り、次のように述べた。

 「まずご承知だとは思いますけど、アメリカの議会の事務所でお茶くみという仕事はないですし、みなさんコーヒー飲みたいときは自分でいれて飲みます。それから、コピー取りっていう仕事を頼まれたことも、まずないですし。だから私は(コピー取りやお茶くみなどという噂を聞いて)とてもびっくりしました」

 実際の仕事内容は、次のようだったと言う。

 「アメリカの国会議員の場合は、ものすごい数の議員立法を出しますでしょ。それに必要な調査をしていたということですね。立法自体は、議員が出さなければいけないんですけれども。

 『何日までに、たとえばモーゲージレートとその国の住宅政策との関係を調べてほしい』とか、『環太平洋の国から輸出をする場合の価格競争力はどのくらいあるか、来週までに全部比較してくれ』とか、『州政府のやっているスモールビジネス政策について調べて』とか、次から次にいろんなことを頼まれます。

 そういったことをリサーチして、レポートにして、法律案の骨子になる部分の結論を書く、それが仕事でした」

 当時まとめたレポートの現物は、現在、高市大臣の奈良県の自宅に眠っているはずだと言う。「めったに選挙区へ戻れないので、今すぐというのはできないんですけれども、お時間いただけたら」と、それらのレポートを見せることにも、高市大臣は同意した。

Congressional Fellowなのに訳語は「議会立法調査官」!?  「印象操作」との批判を免れない不適切な訳語

 これで、高市大臣の経歴に関する「疑惑」は、きれいさっぱり晴れた――。

 と、断ずるのは早計である。

 米国から帰国した高市氏は、1993年7月18日に投開票が行われた衆議院議員総選挙において初めて立候補した。奈良県全区から無所属で立候補した、当時32歳の高市氏は、見事初当選を果たした。

 喜ぶのもつかの間、高市氏の「経歴」に疑惑の目が向けられた。

 1993年9月4日号の『週刊現代』は、次のように報じた。

 「『立法調査官まで務めた米国帰りの才女』の看板に異議あり! 高市早苗代議士の華麗な経歴は”誇大広告”だった」

 「立法調査官」というのは、「Congressional Fellow」の訳語として、高市氏が当選前まで使用していた肩書である。

 この「立法調査官」について、『週刊現代』は次のように報じている。

 「アメリカ時代の『立法調査官』という肩書。こう書くといかにも米議会で、公的な立場で立法に携わっていたかのような印象を受ける。が、実際はだいぶ違うのだ」

 高市氏が「公的な立場」で立法に携わっていたわけではない、ということは、先述の通りである。高市大臣本人が述べたように、当時の給与は松下政経塾から支給されていた。

 テレビ朝日「ザ・スクープ」で、当時、帰国後の高市氏をアシスタントとして紹介されたというジャーナリストの鳥越俊太郎氏は、2016年3月23日、IWJ代表の岩上安身のインタビューに答えた際に、次のようにコメントをしていた。

 「『議会立法調査官』というとですね、いかにも一人前の職業であり、立派な独立した職業だと、誰も思いそうじゃないですか。『官』というのは、いかにも役人であるということを匂わしているわけ」

 たしかに『官』という名称は、役人であるかのような連想を招く。連邦議会から報酬が出ているならば、『官』という訳語も不適切とは言えないかもしれない。しかし、報酬を出しているのは前述の通り、松下政経塾である。

 ▲鳥越俊太郎氏

▲鳥越俊太郎氏

 これは、経歴の「詐称」とまでは言えないにしても、「印象操作」であるとの批判はまぬかれないのではないか。

「『立法調査官』という名称は、初立候補のときも使われておりません」――高市大臣のホームページでは、公的な立場に就いてからの使用を否定しているが…?

 疑問符のつく「立法調査官」の肩書だが、問われるのは、この肩書を選挙の際に用いていたかどうか、である。「私人」として周囲に吹聴していただけならともかく、選挙にこの肩書を利用していたとなると、有権者に対する責任がやはり問われることになる。

 高市氏は1993年に衆議院議員に当選して以降、落選した2003年から2005年を除き、一貫して公人であり続けてきた。第1次安倍内閣では初の入閣を果たし、内閣府特命担当大臣を務め、第2次安倍内閣では総務大臣に就任し、今に至る。

 現在の高市大臣は、「立法調査官」の肩書を使用していない。高市大臣のホームページを見ると、代わりに、「米国連邦議会Congressional Fellow(金融・ビジネス)」という肩書が使われている。そこをよく見ると、「(米国連邦議会コングレッショナル・フェローについて)」という別ページが付けられて次のようにある。

 「『立法調査官』という肩書きは、1993年から一切使用しておりません。公的な職での経歴として使用されたことはありません」

▲高市大臣のプロフィール

▲高市大臣のプロフィール

 「1993年から公的な職での経歴として使用されたことはありません」ということは、1993年の初立候補当時から、「立法調査官」という肩書を使用していなかった、ということを意味するのだろうか?

 総務省に確認の取材をすると、取材に応じた総務大臣補佐官は、「『立法調査官』という名称はですね、初立候補のときも使われておりません」と明言した。

とうとう総務大臣補佐官が公的な使用の事実を認める! 初当選した1993年から「立法調査官」の肩書は使ってこなかったというこれまでの説明を覆す!

 ところが総務大臣補佐官の発言は、事実と異なるものだった。

 奈良県の選挙管理委員会からIWJが取り寄せた1993年衆議院議員総選挙時の高市早苗氏の選挙ビラには、はっきりと「立法調査官」の文字が記されている。同様に、国会図書館に保管されている選挙公報にも、「立法調査官」と書かれているのだ。

 プロフィールを見ると、このように書いてある。

 「日本人で初めての米国連邦議会立法調査官として金融・ビジネス立法を担当」

▲1993年衆議院議員総選挙初立候補時の高市氏の選挙ビラ(奈良県選挙管理委員会より入手)

160603_306091_image6

▲1993年衆議院議員総選挙初立候補時の高市氏の選挙ビラ(奈良県選挙管理委員会より入手)

160603_306091_image7

▲1993年衆議院議員総選挙初立候補時の高市氏の選挙公報(国会図書館より入手)

▲1993年衆議院議員総選挙初立候補時の高市氏の選挙公報(国会図書館より入手)

 選挙公報は、公職選挙法にしたがって発行を定められた公的な文書である。ここに書かれた肩書は、有権者が投票先を判断するための重要な判断材料となる。 「『立法調査官』という肩書は、1993年から一切使用しておりません。公的な職での経歴として使用されたことはありません」という現在の高市大臣のホームページの記述や、「『立法調査官』という名称はですね、初立候補のときも使われておりません」とする大臣補佐官の言い分は、明らかに事実と食い違っている。

 後日、IWJが選挙公報に「立法調査官」の肩書が記されていることを指摘すると、大臣補佐官は、「確認します」として、折り返しの電話をかけてきた。大臣補佐官の弁明は、以下のとおりである。

 「すみません、あの、議員事務所に確認しまして、平成4年と5年は選挙公報に記載がありました。事務所は議員になられた後にできましたので、議員になられる前は、ボランティア組織で選挙活動されていまして、そこまで見ておりませんでした、ということでした」

 初立候補時に、「公的な場」で、高市氏は「立法調査官」の肩書を使っていた、ということを、総務大臣補佐官も認めざるを得なかった。

 あくまで、大臣補佐官は「見落としていた」ということで決着をつけるつもりのようだが、高市大臣本人が「見落としていた」という弁明はできない。何しろ、本人自身の肩書であり、本人自身の選挙公報であり、本人自身のホームページの記述である。

 公的な場でこの不適切な訳語を使っていたことは事実であり、1993年の初の立候補・当選の時点から使用していなかった、というこれまでの説明や、大臣のホームページの記述に虚偽があったことは否定できない。

 「Congressional Fellow」として、米国連邦議会の下院議員の立法を手伝うために調査をしていた、という仕事を「コピー取りやお茶くみ程度の仕事」などとくさすつもりは毛頭ない。高市大臣自身の説明の通り、議員の指示で様々な調査を行い、レポートにまとめていたのであれば敬意を表したいと思う。

 しかし、選挙にあたって、有権者が目にした「立法調査官」という、「米国の公務員」を連想させる訳語は、やはり不適切というほかない。「米国議会の公職のポストまで務めたのかと思いきや、公職じゃないじゃないか、騙された!」と有権者から批判を受けても、反論の余地はないだろう。

 自らの経歴に、このような「印象操作」が発覚した高市大臣。果たして、このような人が、テレビ局の報道のありように対して、「停波」までちらつかせて圧力をかけ、さらには国の根幹を左右する「憲法」の改定を主張し、言論・報道の自由に制約を課すことを求めるなど、認められるのだろうか?

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です