山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』 第一章「同時多発テロからイラク戦争まで」(IWJウィークリー第30号より) 2015.2.13

記事公開日:2015.2.13 テキスト
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 ウクライナ東部で激しさを増していた戦闘をめぐり、ドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領、ロシアのプーチン大統領、ウクライナのポロシェンコ大統領の4者によって行われていた和平協議が、2月12日夜、終了した。

 ウクライナと親ロシア派は、2月15日からの停戦に合意。ポロシェンコ大統領は、停戦が履行されれば、ウクライナ東部で武器や兵力の撤収を進めていく考えを示した。

 しかし、今回の停戦合意が、さらなる戦局悪化の引き金になる、との見方もある。今回の和平協議は、ドイツとフランスが、ロシアとウクライナに対して積極的に働きかけることで実現した。つまり、ウクライナ政府の背後に常に控え、戦闘をバックアップしてきたと思われる米国の頭を飛び越えて、和平協議が進められたのである。

 IWJではこれまで、キエフ政権の背後に、常に米国のネオコン勢力が存在し、ウクライナ東部での戦闘を煽ってきたことを指摘し続けてきた。したがって、今回の停戦合意をうけ、米国の出方が注目されるのである。ともすれば、今回の合意が、さらなる戦闘の幕開けとなり、ひいては、ウクライナをめぐる「第三次世界大戦」の幕開けとなるかもしれない。

 そのようななか、日本国内では、昨年7月1日に閣議決定された集団的自衛権の行使容認を具体化するための安全保障法制が議論されている。2月13日、自民党と公明党が、与党間協議を国会内で開始した。日本は米国につき従い、戦争に参加するための準備を着々と進めているのである。

 戦争の足音が着々と近づいている中で、IWJでは、戦時期の出版物などの一次資料の大変な収集家として知られ、これまで「戦争もの」の作品を数多く発表してきた、戦中生まれの作家・山中恒氏の著作『あたらしい戦争ってなんだろう?』全8回を掲載する(過去に、メルマガ「IWJウィークリー」にも掲載)。

 2001年9月11日の同時多発テロから、イラク戦争までの流れを、平易な文体で説明した本書は、戦争がどのようなメカニズムで起きるのか、分かりやすく描いている。

 本日、2月13日(金)19時より、その山中氏に対して岩上安身が行ったインタビューの模様も会員限定で再配信するので、あわせてご覧いただきたい。

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◆第一章 同時多発テロからイラク戦争まで◆

 2001年9月11日に、アメリカ合衆国(以下、アメリカ)で同時多発テロ事件が起きました。ハイジャックされた二機の飛行機が世界貿易センタービルにつっこみ、2棟の高層ビルがくずれ落ちるシーンは世界中に衝撃をあたえました。また、他の1機は、国防総省の建物につっこみ、かなりの損害をあたえました。

アメリカのブッシュ大統領は、この同時多発テロ事件はテロリストのオサマ・ビン・ラディン氏が率いるテロ組織アルカイダのメンバーによる犯行だと断定しました。

そして、オサマ・ビン・ラディン氏を支持し、かくまっているとの理由で、アフガニスタンのタリバン政権を武力攻撃しました。

やがて、タリバン政権はたおれ、テロとの戦いは一段落したかと思われました。

すると今度は、ブッシュ政権の中から、次はイラクのフセイン政権をたおすべきだという意見が出てきました。

 2002年1月29日、ブッシュ大統領は一般教書演説(年の初めに、内政・外交に関する政策を説く演説)で、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸国」と断定して非難しました。アルカイダのような国際的テロ組織は、それら悪の枢軸国(活動の中心となる国)をめぐって結びついているから、ほろぼすためには、テロ組織をかばう国の政権もたおさなければならない、というのです。

 「悪の枢軸国」として名前が挙がった3か国の中でも、イラクのフセイン政権は、国連決議に違反して核兵器や大量破壊兵器をかくし持っているという疑いがかけられました。もしテロリストたちの手に、そのような兵器がわたったら、テロの対象となる国にとっては、とんでもない事態を招くことになるかもしれません。だから、テロ組織をほろぼすためには、アフガニスタンだけでなく、アルカイダと親しいと見られるイラクも攻撃する必要があるというわけです。

 2002年4月、ブッシュ大統領は、イラクの政権交代をめざす政策をとると公言するようになります。

 同年6月、アメリカにとって深刻な脅威(威力によるおどし)をあたえる可能性のある国に対しては、先制攻撃を行うと表明します。

 一方で、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力機関(IAEA)は、イラクがほんとうに大量破壊兵器を持っているかどうか調べましたが、決定的な証拠はなかなか出てきません。

 2002年9月、ブッシュ大統領は、国連で「単独攻撃も辞さない」と演説しました。

 10月10日、11日、アメリカ議会の下院と上院はそれぞれ、イラクをアメリカ一国でも攻撃する完全な権限を大統領にあたえることを、圧倒的多数によって可決しました。下院は296票対133票、上院は77票対23票でした。アメリカの議会は、イラクの脅威から国を守るために、大統領が必要であり、適切であると判断したばあいには、大統領が軍を使用することを、全面的に承認しました。これによってブッシュ大統領、国家の交戦権を発動する権限をあたえられたのです。

 2002年10月、アメリカ・イギリスは、国連の安全保障理事会(安保理)に、「武力攻撃容認決議案」を提出しました。安保理がイラクに対する武力攻撃を認めれば、「侵略戦争」の非難を受けずにすみます。

 これに対し、国連安保理は、ただちにイラク攻撃するよりも、イラクが大量破壊兵器を保有しているかどうか査察を継続させると決めました。

 2002年2月24日、アメリカ・イギリス・スペインは、イラクが最後の機会を逃したとして、「武力攻撃容認決議案」を提出しました。決議案採択には安全保障理事国一五か国のうち九か国以上が賛成し、常任理事国が拒否権を行使しない、という条件があります。

 アメリカ・イギリス・スペインは、安保理が武力行使NOと決定した後でイラクに先制攻撃をかけるのと、決議なしで先制攻撃をかけるのと、どちらがましかを考えました。結局、決議案を取り下げ、国連安保理の決議なしでイラク戦を開戦することにしました。

 2003年3月17日、ついにブッシュ大統領は、国連安全保障理事会の決議を得ないまま、イラクを攻撃すると世界に発表しました。48時間以内にフセイン大統領が亡命しないかぎり、武力攻撃を開始すると、イラクに対して最後通牒を発しました。つまり、フセイン大統領に亡命か戦争かどちらかにしろとせまったのです。

 しかし、アメリカが国連の決議を得ないままで戦争を始めると宣言したことに対して、世界中から非難の声が上がりました。イラク攻撃に反対する反戦運動が一気にわき上がりました。

 開戦直前の日本の世論調査では、国連の決議を得ない武力行使に反対は八〇パーセントでした。戦争反対デモが日本だけでなく、アメリカを含む世界各国で起きました。

 けれども、世界中の戦争反対の声はブッシュ政権に届かず、アメリカ主導の戦争を止めることはできませんでした。

 2003年3月20日、アメリカは、同盟国であるイギリスとともに、ついにイラク攻撃を開始し、「戦争」が始まったのです。

(第2回に続く)

第2回はこちらからどうぞ
山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第二章「ブッシュ大統領の『あたらしい戦争』」(IWJウィークリー31号より)

■山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』

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