【安保法制反対 特別寄稿 Vol.281~Vol.290】
心理学の研究から、人間は、何度も繰り返される同じ言葉には親しみを覚え、熟知していると感じ、それを正しいと錯覚する傾向があることが明らかになっています。安倍首相の常套句である「丁寧な説明」がまったく説明になっておらず、また、そのことを多くの人が承知しているにもかかわらず、省エネを心がける私たちの脳は、何度も同じことを繰り返されると、ついついそれを信じてしまいます。安倍政権は、人間の脳のこの弱点を巧みに利用して支持率を維持しています。
安倍首相が駆使するもう一つの手段は、恐怖の感情に訴えることです。不安や恐れもまた、われわれの限られたワーキング・メモリーを侵食し、冷静に考える視野を狭めてしまいます。確かに、こうした負の感情も私たちの生存のために必要なものではありますが、それに支配されてしまうと、私たちは疑心暗鬼に陥り、「やるかやられるか」という選択肢しか見えなくなります。
現在、参議院で審議中の安全保障関連法案自体が、この「やるかやられるか」という硬直した二者択一に基づき、可能な最善の方策を冷静に模索する人間の優れた知的能力を退化させる方向性を持っています。
それに対して、平和の実現に向けての徹底的努力を訴える日本国憲法は、対話による解決という人間のみがもつ優れた能力を信じ、それを最大限に活かす力を秘めています。平和の力を信じる時、私たちのワーキング・メモリーは、恐怖の束縛から解放され、より優れた方策をより容易に発見できるようになるのです。
しかし、恐怖に囚われないためには冷静に現状を把握し、考えぬく勇気が必要とされます。確かにそれは困難な道ではありますが、暴虐や残酷な争いが続いてきた長い歴史の中で、私たち人類がなお滅びずに生存できているのは、その道を求め続けたからです。そして、そのためにこそ教育も学問もあるのです。
しかし、嘆かわしいことに、現在の安倍政権は、圧倒的多数にのぼる法律の専門家の優れた見識を一顧だにしないばかりでなく、広く人文社会系の教育と学問の基盤そのものをも弱めようと企てています。2015年8月10日付、日本経済新聞において下村博文文部科学大臣は、「旧態依然たる大学のままで、新しい時代に対応する教育は難しい」と断じ、「社会が大きく変わる中で、単なる知識の暗記ではない、判断力や思考力、創造力といった「真の学ぶ力」」を養うためには、「大学教育の質の転換が欠かせない」と主張しています。あたかも、「旧態依然たる大学」は「単なる知識の暗記」のみを事としているかのごとくです。
このような現政権が得意とする粗雑な決まり文句も、そこになんら確かな検証も反省も加えられないまま、何度も繰り返し聞かされることによって、私たちはあたかも自明の事態の表明であるかのような錯覚に陥ってしまうのです。
しかし、「真の学ぶ力」は、同じ言葉の反復を「丁寧な説明」と称して、特定の考えを国民に擦りこもうとするような政治姿勢や教育政策からは絶対に生まれてはこないでしょう。「真の学ぶ力」は、世界とそこに生きる人間のあり方を根本から粘り強く探究する「大学」本来の研究と、教育活動から生まれてくるのです。人文社会系を中心とする学問が養う「真の学ぶ力」が、「繰り返し」や「恐怖をあおる」手段に訴える悪しきレトリックを暴露することを嫌って、現政権は、「大学教育の質の転換」=大学再編を唱えているようにも思われます。
(金山弥平 名古屋大学教授)
安保関連法案が国論を二分する大問題になっている。秋田でも大きな議論になっている。
とはいえ、「二分」といっても、国民の意見が賛成と反対に二分されているのではない。国民の過半数はこの法案に反対している。最近の世論調査によると、「反対」57%が「賛成」29%を大きく上回っているし、「今国会で成立させる必要はあるか」という質問に対しても、「必要はない」69%、「必要がある」20%という結果になっている(朝日新聞7月20日)。
しかし、衆参両院で多数を占める与党は何としてもこの法案を成立させようと躍起になっている。「二分」しているのは国民の意見と政権の意見なのだ。
しかも、この法案に対しては、憲法学者の大半が「憲法違反だ」と判断している。朝日新聞の調査に回答した憲法学者122人のうち、法案が「憲法違反」と答えた人は104人、「憲法違反の疑いがある」が15人、「憲法違反には当たらない」はわずか2人だったという(7月11日)。それにもかかわらず安倍政権はこの法案を「合憲だ」と言い張って譲らない。
異常な、不気味な光景である。なぜ安倍政権は、安保関連法案成立にこれほどまでに執着するのかという疑問がまず浮かぶが、もっと不気味なのは、安倍政権が公然と日本国憲法を無視するかのような行動を取っていることである。本欄ではこの点に絞って私見を述べる。
大部分の憲法学者が「違憲だ」と言っている法案を時の政権が「合憲だ」と言ってそれが通るなら、日本はもはや法治国家とは言えない。そういう権力者を「独裁者」といい、そういう政治は民主政治ではなく「独裁政治」という。6月に「安全保障関連法案に反対する学者の会」が結成された。私も署名したが、この会の代表が7月20日都内で記者会見し、次の抗議声明を出している。
「安全保障関連法案に反対が多数となり、8割を超える大多数が今国会での成立は不必要としていた状況の中での強行採決は、主権者としての国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊です。首相自身が法案に対する『国民の理解が進んでいない』ことを認めた直後の委員会採決強行は、現政権が国民世論を無視した独裁政治であることを明確に示しています」。
「独裁政治」という言葉が唐突に聞こえたかもしれないが、上で述べたように、現政権の振る舞いを説明するのに的確な言葉だ。安倍政権は安保関連法案をテコに日本の民主主義を破壊し、独裁政治を始めようとしているのではないか。この疑念は学者だけでなく、国民の中に急速に広まっているように思う。
ここまでこじれた安保関連法案は潔く廃案にして、憲法の許す範囲内の法案を再提出するのが賢明だ。
※朝日新聞秋田版「秋田を語ろう」2015年8月5日付を加筆・修正しました
(谷口吉光 秋田県立大学教授)
私は医師・医学者ですが、法科大学院で法律の博士号も取得しております。法律を学んだ者の立場から言うと、今回の安保関連法案は憲法9条に照らして違憲であり、憲法98条により違憲立法は無効です。違憲の法案を可決することは、立憲主義の破壊であり、日本が法治国家でなくなることを意味します。このようなクーデターを放置するわけにはいきません。
また、アメリカの戦争に自由に参加できる集団的自衛権は、日本人を守るためのものではなく、アメリカが起こす戦争を手助けするものです。このような目的のために自衛隊員や民間人を犠牲にすることは言語道断です。
法案の即時撤廃を求めます。
梅田芳彦 元弘前大学医学部教員(医学博士・法務博士)
1.安全保障関連法案の合憲論は集団的自衛権を肯定する立場から展開されている。しかし私見では、現憲法下で集団的自衛権を肯定することは不可能であると解するから、違憲と考えざるを得ない。
安倍内閣は、従来の個別的自衛権のみを容認する「自衛権行使の3要件」(72年政府見解)を見直し、集団的自衛権の行使を可能とする「自衛の措置としての武力の行使の3要件」(「新3要件」)を閣議決定し、いわゆる安全保障法制を整備しようとしている。解釈変更の根拠としては、外的要件として安全保障環境の変化、法的根拠として砂川判決が挙げられている。
前者については、米国の地位低下や周辺諸国の脅威の増大が指摘されるが、解釈の変更を正当化するためには、解釈を変更する側が、変更を支える具体的実証的かつ客観的な事実の存在を論証しなければならない。たしかに周辺には強かで手強い国や我々の常識がなかなか通じない国も存在する。しかしその脅威を抽象的に主張するのではなく、なぜ安倍内閣の今になって突然憲法解釈の変更が必要であり、従来の個別的自衛権では不十分で、実際には米国の戦争に加担することになる集団的自衛権が必要なのかを説得的に説明しなければならない。しかしながら、国民に対しその説明がなされているとは思われない。
後者の砂川判決は、旧安保条約に基づく駐留米軍の合憲性判断を争点としていたが、最高裁は、日本に指揮権・管理権がない駐留米軍は憲法9条にいう戦力に該当せず、その駐留が一見明白に違憲無効とはいえないこと、高度の政治性を持つ条約は原則として司法判断になじまないことを判示しただけである。たしかに自衛権の存在や自衛の措置に言及した部分はあるが、本事案の争点を前提にすると、集団的自衛権を肯定するまでの判断は示されていないと解するべきである。さらに付言すると、この判決の翌年に締結された現行安保条約は、米軍の日本防衛義務を規定しているが、日本の米国防衛義務は定めていない。また日米共同防衛行動も日本が武力攻撃を受けた場合に限られるとされている。
このように法理上も実際上も、集団的自衛権がすでに憲法で容認されていたと解することはおよそ不可能である。容認論者の理屈は我田引水に過ぎると言わざるを得ない。
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2.安倍内閣によって「積極的平和主義」ということが言われているが、集団的自衛権行使の容認と結び付けて主張されているところからすれば、おそらくその本質は積極的に武力を使用する平和の実現、つまり「力による平和」ということではないかと思われる。しかし武力の威嚇やその行使は最悪の場合、人類「共滅」の核戦争を招くことにもなりかねず、またそれに至らなくても自然・社会環境を破壊するばかりか、人々の心に憎しみを植え付け、テロ行為など消えることのない対立を生み出すだけである。
ここで重要なのは、敗戦を契機に日本が平和国家としての出発を誓った際の決意を想起することではないだろうか。それを憲法的に表現すれば、私たちは、自らの「平和のうちに生存する権利」(前文)を基本に据え、その権利を守るために国家に対しては、その義務として憲法9条(戦争放棄)の順守を要求し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように(前文)求めたということである。これらは一体不可分の関係にある。
旧来の常識では、平和とは国家が政策として戦争をしていない状態(受動的・消極的な平和)と考えられていたが、私たちの憲法は、その常識を覆し、平和を常に実現されるべき価値として認め、それを国家の政策によっても決して奪われることのない人権、すなわち平和的生存権として認めた。ここにこそ、日本国憲法が示す新しい常識があり、立憲平和主義の「積極的」な意義がある。したがって、国家は、「力による平和」を否定し、困難はあるにしても粘り強く、常に平和的手段を前面に出し平和の政策を積極的に実現する姿勢を堅持することが求められているのであって、それこそが憲法本来の「積極的平和主義」と言うにふさわしいのである。そのように解すると、平和的生存権と一体不可分の関係にある憲法9条は、まさに世界平和の実現にとって先進的な意義を有する条項であり、改正されるべきではないことになる。
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3.いま国会では理に背き知に反する言説が飛び交っている。そこには、数は力、力は正義という驕りが潜んでいる。憲法改正権力は国民に付与されているにもかかわらず、一内閣の解釈で、その解釈権の範囲を超えた憲法改正にも等しいことが公然と行われている。従来「違憲」とされていた事項を「合憲」と解釈変更する場合、特にその変更は、統治権力を縛ることを原則とする「立憲主義」の観点から厳格に吟味されなければならない。なぜならば、合憲を違憲とする場合とは逆に、違憲とされていた事項を合憲と解釈する限りで権力に対する従来の縛りが緩和される効果を有するからである。しかし、72年の政府見解を修正し、集団的自衛権を容認した先の閣議決定に際してそのような吟味が厳格に行われたとは考えられない。
現状を眺めるとき、民主主義国家には当然の「法の支配」の原則は退けられ、前近代的な「人の支配」が復活しているかのようである。これでは、専断的恣意による政治を禁止する「立憲主義」の原理が無視されるのも故なしとしない。
憲法および安保関連法案をめぐる安倍内閣の一連の行為は、例えるならば、伝統的な木造平屋建ての日本風家屋の上に無理やりコンクリート造りの二階を増築するようなもので、誇りにしてきた建築美を損なうばかりか、家屋倒壊の危険すら招く乱暴な目論見であると評することができるだろう。このような無謀なリフォームは即刻やめさせなければならない。
(諸根貞夫 龍谷大学法科大学院教授)
安全保障関連法案における集団的自衛権を認める根拠は薄弱であり、専門家が指摘するとおり、憲法に反するものです。それだけでなく、この法案において前提とされている戦争と平和の概念そのものに問題があります。それらは、法案成立を目指して語られる「国際情勢の変化」に応じるものではなく、むしろ武力攻撃の被害者や難民を増大させる潮流に加担する愚行です。
想定されている戦争は、国民国家単位の、とりわけ二国間の戦争のようですが、現代世界においてより深刻なのは別の形態の「戦争」、たとえばISのように国家ではない集団に対して、いわゆる先進諸国が「テロとの戦い」という大義名分で空爆を行うといった事態であると思われます。ISは特定の領土や国境、国民をもつ国民国家ではなく、先進諸国の内部にもISメンバーが存在するなど、ここには国民国家単位での敵—友関係は存在しません。にもかかわらず、いわゆる「国際社会」が国民国家単位での同盟や連盟を結成して、あたかも「敵国」が存在するかのように武力行使を行っていることは、状況にそぐわないだけでなく、無辜の被害者を不必要に増大させています。ましてここに日本が、自国の憲法をないがしろにして後方支援などを行い、相手方に反撃の理由を与える必要は、まったく認めることができません。
安全保障関連法案が「戦争法案」であるとする批判に対して、これはあたらないという反批判がありますが、そこで前提とされている平和は、緊急の場合の武力行使の可能性と能力を顕示することで「抑止力」が働くとする抑止論的平和の概念であると思われます。抑止力は相手方が脅威を感じなければ機能しません。日本を敵とする相手方があるとして、日本に軍事的な脅威を認めるとは思えません。
ところが現行の政策では、経済活性化という大義のもと、日本の先端的科学技術を軍事に生かすこと、武器の輸出、販売の販路を拡大すること、実質的には軍事予算にあたるものを増大させることなどに腐心しています。これらによって日本の軍事力が実質的な脅威となりうると誇示することは、時代遅れであるばかりか、近隣諸国を含め国際社会からも歓迎されない戦略です。
日本の敗戦後が、制度設計や復興のあり方を含め、数々の問題を含んでいたことは確かですが、敗戦が20世紀前半の誤りを仕切り直す契機となったことも、歴史的に共有された事実でしょう。戦後70年の節目に泥を塗るような政策転換には、一市民として全力で抗いたいと考えています。
(中山智香子 東京外国語大学教授)
今もう世界が資源と資本の収奪を巡って争う時代ではありません。地球がもう目いっぱいに使い尽くされてきて、生物界には第6の大絶滅が迫り、生態系と環境の変動に世界が協働しなければならない、人類が初めて経験する世界です。
経済成長と自国だけの発展のみを目途にした国際競争は方向転換しないと、もう人類は共倒れという時期に来ています。資源の奪い合いという人類が繰り返してきた愚行が、武力依存の平和バランスが現実的なのだという主張にそのままつながっています。
今や70億に迫る人口をどうするのかという時代です。それでもどちらが勝つかという発想をこの国が選択して、また血を流す愚をおかすならば、ヒトの歴史はやはりそうなのかと諦めるしかありません。それで経済が成り立つのかと言われれば、そのような経済と生活を最初から考えていないからとお答えします。そういう時代もヒトの歴史にはありました。自衛隊にもはや反対するつもりはありませんが、このまま進めば、いずれ徴兵制になります。
しかし、子供を持つ親として、学生を世に出す教員として、私は上記のような教育を続けるつもりです。血を流さないという思想は、究極の武士道だと私は理解しています。私たちが追求すべき安全保障は、生態系と生物多様性の保全、安定した生物生産に支えられた国際的共生への保障であるはずです。
西田治文 中央大学理工学部教授(植物系統進化学)
多くの戦争犠牲者の尊い屍の上に築かれた憲法の最も重要な部分を、一内閣の閣議で変えてしまうことの恐ろしさを感じるからです。
また、中国や韓国と張り合うのではではなく、平和な東アジアの建設のリーダーシップを発揮することが、日本の役割ではないかと思います。それこそが世界から信頼される日本への道です。
(龍谷大学社会学部 岡野英一)
憲法は、「為政者を暴走させず、国民を守るためのもの」です。法律は、「そのための具体的な制約」です。
ところが、安倍政権は憲法や法律を、「国民の権利を制限して、為政者の行為を正当化するためのもの」と、完全に誤解をしています。
多くの国民や憲法学者、歴代内閣の見解など、最も尊重すべき意見を完全に無視し、過去の大戦の時と同じ誤った道を、再びこの国に歩ませようとしています。その道の行く末には、破滅的終末しかありません。イデオロギーや立場の違いを超越して、全国民がこの国を破壊しようとする企みに対抗しないと、平和を希求する地球市民としての義務を果たしていないと思います。
いまこそ、我々一人一人が考え、行動する時です。「平和と幸福を破壊し、争いと憎しみに満ちた世界を」はっきりと否定しましょう。
(大阪電気通信大学客員准教授 中野由章)
所載は、韓国誌(日本語訳タイトル)『いま、ここ -それを越えて-』第5号(2015年秋号)、2015年9月既刊。当誌が許可を下さったので、転載します。
平原の果てには、
軍団が害虫のように蝟集していた。――― 北川冬彦「平原」 ―――
イメージは島を超え海を超えて、最後はおそらく時間も超えて、中国大陸東北部の内陸の果てへと向かう。
なぜそのような「果て」の地にわざわざ軍隊が集まらなくてはいけないのか。なぜ集まる者が平原の地を走る動物でなく、平原の空を飛ぶ鳥でなく、「軍団」(軍隊)でなくてはならないのか。
これは1926年刊行の詩集『検温器と花』にあり、その三年後に出した詩集『戦争』では「戦争義眼の中にダイヤモンドを入れて貰ったとて、何になろう。苔の生えた肋骨に勲章を懸けたとて、それが何になろう。」と書く。中国東北が近代日本の植民地であった場所に育った詩人の言葉である。
「侵略の始まりはここから」だと近年「ニッポン」のなかで説明されることの多い「満洲事変」よりも、ずっと以前から、近代日本はあてどもない場所を侵していたことが予感される。
「70周年」とはどんな時間の概念だろう。それは本当に<時間量>だろうか? いや、何かに貼り付けられた「名前」なのではないだろうか?
ルソー〜中江兆民が、選挙日に投票しただけで安心するニンゲンを「四年目にただ一日だけの自由人。その前後の期間は奴隷」と呼んだことは、思い返してよい。いまの「ニッポン」では、この場所と時間がたどってきた歴史について、10年目ごとに一回投票する政治家ということか。
だがニンゲンの感情と生活は毎年365日ある。かつて帝国日本が始めたあの戦争による東アジアの被害者は、10年ごとに久しぶりに傷を思い出すのではない。それはあらゆる時間においての記憶なのだ。「70(周)年」と言う時、無関心のタイム・サイクルは、より長引いている。
「70年」。それは、「戦後」すぐに生まれたニンゲンが「杜甫」流に言えば、古稀=70歳になったということでもある。金銭と勢力を持って年をとった人ほど、何かの最後に、ニッポンを・ニッポンジンを・コクミンを(守れ)、、、と述べる傾向に無いとは言えないだろう。ましてや今後は続々と年をとるその人たちは、直接はあの戦争を知らない。
そう述べる人ほど、その当の「ニッポンジン」をも含むニンゲンのいのちの何たるか、を知らない。その「ニッポンジン」のいのちも、地球とアジアの全ニンゲン(庶民)のいのちを大切にしなければ、したがって近隣の土地・海・諸国に生きる人びとと仲良くしなければ、そもそも成り立たない。その姿勢こそがアジアの、世界の、まさに「集団的」庶民の「集団的」平和のはずである。
それを早くに証明したのが、東アジアを巻き込んだ日本の近代戦争と植民地支配の結果ではないのか? 日本の近代史の「77年間」(1868〜1945)とパラレルな時間の内側を生きた東アジアの他者たる人びとが、それを証明する。またオキナワ戦における地上の、ヒロシマやナガサキにおけるあの雲の下の、現地の人びとが、それを証明する。
「戦後」+「70年」ディスクールと東アジアの他者とが問題となる今年、次のことは言わなければならない。「戦後」+「70年」が「戦後」ではなかったオキナワのこと。足し算そのものではない場所。この足し算ディスクールのために、戦争の全モメントを強いられてきた場所である。このディスクールを成り立たせるためには、「ニッポン」はオキナワを犠牲にしなければならなかったのだ。1972年の「ニッポン」への「返還」まで米国・軍の治政下にあり、「戦後」に新生した日本国憲法が及ばなかった場所である。この場所が強いられてきた現実への無関心が極まっていた・いるのが、「戦後○○年」を十年ごとに言って戦争を忘れようとする「ニッポンジン」であった。
かつての「ニッポン」の戦争の最前線とされ、かつ長き米軍治政から今に続く米軍基地問題。戦争の現場と記憶と影が同居した海の島の70年という時間は、今 、 さらにこの同居を強いられようとしている。「戦後」+「70周年」(+「ゆえにそこから先はもう次の戦争があってよい」)という他者喪失のディスクールの波によって進められていること。「ニッポン」政府と米軍によるオキナワ普天間米軍基地の同じオキナワ辺野古 への移設=新設、である。現地ネイティヴのいのち、海と森の動物のいのち、植物のいのち。その声を聴いて大切にすることのできない「ニッポン」の「政府―政治―経済」である。
去年2014年の閣議決定から2015年今夏の衆議院で強行採決を経て可決(7月16日)、現在参議院に場を移した安倍内閣の政治による「戦後」+「70年目」の行動。それが「集団的自衛権」を言う安保法制案である。
そこで曖昧に隠されかつ少しずつ露わにされ始めた「国際情勢」なるものも、やはり「戦後」+「70周年」という名のディスクール(「これまでと変わりつつある東アジア情勢」)の波によって、非常に単純に洗われ求められた「国際情勢」である。「外部」からの危険のみが強調され、平和憲法が無理やり解釈変更され、深き海でつながる庶民のいのちを深い観点から慎重に大切にすることはない。「コクミンの生命と財産が危ない」と叫ぶ「ニッポン」の「政府―政治―経済」。 反対に東アジアの庶民は、海の向こうに山の向こうに川の向こうに、自分と同じ庶民が生きていることを想像し確認しなければならない。
例えば1952年の木下恵介監督「日本の悲劇」は真摯な映画だが、ドメスティックな映画であり、「戦後」「ニッポン」のなかの感覚の象徴だろう。戦争の被害者としての庶民=自分たち「ニッポンジン」だけが主題である。海の向こうの庶民の被害と「悲劇」に無想像であり無関心であることを、進められかつ自発的に実践した「ニッポン」庶民。
しかしそうであるなら、海をつないでそこから脱し、他者のいのちを想像し確認することが可能なのも、庶民でしかあり得ない。それは自分だけの日常的な課題だから。庶民こそは必ず自分のみで自分を生きながら、自分と同じように生きる他者のことをも知っているはずだから。
「外部」からの危険と言うよりも、本当に大きな危険はどこにあるのか。それは「ニッポン」がたどった近代史の道が教えるはずなのだ。
この内閣と政治の行動が世界の庶民と地球の深く青き海を覆ってしまえば、もはや「戦後」+「何十周年」どころではない。来たるべき戦争のために、今後はどこまでも「戦前」となるだろう。
かくして「ニッポン」は果たしていつ「戦後」であったのか? 果たして今後いつ初めて「戦後」になるのか?
「戦中」から透徹した冷めた眼線で「ニッポン」を見つめていた作家がいる。
石川淳。
そのころ狂熱に湧いた「政府―軍団―政治―経済―誘導されかつ自発的であった庶民」によって、あらゆる戦争のモメントを造りだした軍歌。そのように街のあちこちで歌われる軍歌に対して嫌気のさした果敢なるエネルギイの言語。それが、石川が1938年に発表し発禁処分にされた小説「マルスの歌」。「マルス=火星=戦争」に抗う、暗い太陽の抵抗言語がここにある。
(ああ、またあの歌があそこでもここでも、さっきも今も、鳴る)、、、というふうにあの時を刻印する石川。
さらに、この小説にはさらに気になる箇所がある。語り手は映画館のなかで、一年前の1937年に始まる「日中戦争」の戦場を映したニュース映画を見ているらしい。「壮丁」とは日本軍兵士、「年長」者とは彼らの上官だろう。
そこは水辺に楊柳のある村落のけしきで、なかば壊された農家の前に笑い顔をした壮丁のむれがつどい、真中に一人年長と見えるのが椅子にかけて、これはとくにゆたかに髯(ひげ)をそよがせて笑いながら両手を前に突き出していたが、その逞しい(たくましい)手の下に小さいあたまを圧しつけられて、まさしく壮丁らとは国籍を異にするところの二人の子供が立っていた。それはまさに平和的な光景らしかった。だが、郷土の山河と他国人の笑のうちにあって、この二人の子供の顔には、涙とか憂鬱とか虚無感とか、絵に写せば写せるような御愛嬌な表情はなかった。かれらは切羽つまった沈黙の中で率直にNO!とさけんでいた。
こうして冷めた眼線は、ドメスティックな狂熱の「ニッポン」に対して嫌気のさす方角、だけを指し示すのではない。自分たちが侵略していった先の他者をも、作家は極細に眼差すのだ。
ここには、世界の庶民一人一人のいのちを最初で最後の事とする文学のいのち=ニンゲンの未来、が宿っている。
この夏「ニッポン」の首相による「70周年」談話(閣議決定された)は、終わりに近い箇所でこう言っている。「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」
しかし、<謝罪>とは何だろう? <自分の側のたどった歴史に関して、その被害を被った海の向こうの他者に対して、ニンゲンのいのちからの認識と説明のために対話を始める>行為ではないのか?
いまだ「戦後」を迎えていない「ニッポン」は、この行為を時間の連続の中で始めていないように思える。また、この行為へと至るための時間の瞬間と連続のなかで内省の立ちどまりを始めない限り、「戦後」もない。
戦争とは、他者たる相手を巻き込み、かつ他者たる相手と、いかなる関係であろうとも「関係」を発生させることだから。その「関係」に無関心のままでいることは、海を超えて平原を侵した軍団のように、なお庶民が強いられて動員され且つそののち自発的に動いてしまう「戦争」は続いている。
「ニッポン」の側が始めた戦争のなかの他者は、「果て」のない時間の瞬間と連続のなかに生き、記憶のために痛みながら、なお記憶を生きる。「70年目」などという区切りを生きはしない。
そうであるはずなのに、この「70年目」、「ニッポン」が過去の道をよそにして転換を図ろうとしている。
その行動は、つながった深き海の地平がもたらす東アジアの庶民どうしによる対話を目指さねばならないこれからの者のいのちに対して、不遜であり危険である。
自分たちの側がかつて始めた戦争と植民地のなかに立つ他者。その人びとのいのちを想像し思い続け、認識することなしに、いったいどこへ行こうというのか?
(橋本雄一 Yuichi HASHIMOTO)
日本にはすでに、1000兆円以上の借金があり、他国の戦争介入はもちろんのこと、自国の防衛予算も縮小しなければ、デフォルトか玉砕戦争しか残された道はない。
それとも、社会保障費を大幅縮小して戦費に回すのか。今迄、散々身を粉にして、日本に尽くした高齢者の方々を犠牲に、子供達を犠牲に、未来ある若者達を犠牲に。
何の為に? 米国の為に? 大日本帝国復活の為に?
説明してください。安倍総理。
違憲の戦争法案が無いと、日本が存立事態の危機に陥る可能性って、どこにある…
(茂田徹男)