東京電力 記者会見 18:00 2011.11.6
2011年11月6日(日)、東京電力本店で、記者会見(18:00~、2:11′)が行われた。
東京都の瓦礫受け入れを受注した東電小会社の経緯について説明、また2号機使用済み燃料プール、塩分除去前の放射性物質除去装置(セシウムを除去装置)が稼働したと発表した。クローラクレーン作業で発生した人身事故発生について、対策がまとまったので作業再開したと発表。怪我人の容体について質問があがるも、プライバシーを理由に一切の回答はなかった。
2011年11月6日(日)、東京電力本店で、記者会見(18:00~、2:11′)が行われた。
東京都の瓦礫受け入れを受注した東電小会社の経緯について説明、また2号機使用済み燃料プール、塩分除去前の放射性物質除去装置(セシウムを除去装置)が稼働したと発表した。クローラクレーン作業で発生した人身事故発生について、対策がまとまったので作業再開したと発表。怪我人の容体について質問があがるも、プライバシーを理由に一切の回答はなかった。
2011年11月6日(日)、東京電力本店で、記者会見(11:00~、0:15′)が行われた。
2号機使用済み燃料プール水の放射能除去装置が、本日インサービスする予定。時間は未定で、夕方会見で詳しく説明する。また、東京都が放射性物質含む廃棄物処理を発注した処理業者は東電下請企業であることが、記者の質問からわかった。
2011年11月5日(土)、東京電力本社で、記者会見(18:00~、1:10′)が行われた。
タービン建屋付近のサブドレンからの放射性物質を検出し、保安院と福島県へ連絡した。3号機原子炉建屋1階ロボットによる通路上干渉物移動ならびに干渉物移動後の線量測定を行い、結果を発表、最高620mSv/hを計測した。
2011年11月5日(土)、16時00分から、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
2011年11月5日(土)11時より、福島県南相馬市の南相馬市役所前より、第3回フクシマの命と未来を放射能から守ろう‼ デモが行われた。
2011年11月5日(土)、東京電力本店で、記者会見(11:00~、0:07′)が行われた。
原子炉注水に使用しているポンプで、時々吸込圧力低警報が発生、都度、警報をクリアし作業を継続しているが、ポンプ詰まり気味ではと推測している。蒸発濃縮は水バランスの関係で一旦停止する予定
2011年11月4日(金)、東京電力本店で、記者会見(18:00~、0:33′)が行われた。
核種分析でCs134,Cs137はみつかっているが、Pu, U などはND。1F免震重要棟で遠隔記録採取システムが、ネットワークハブの故障で1時間途絶、現場目視で問題ないことを確認し、リセットし通常通り復旧している、と発表。Jビレッジでのインフルエンザ予防接種の風景の写真を配布した
2011年11月4日(金)、東京電力本店で、記者会見(11:00~)が行われた。
西澤俊夫社長による決算発表記者会見。第二四半期決算の概要、6272億損失、純損益は過去最低の水準。平成23年度の通期の業績見通しは、損害賠償での特別事業から通期見通しを説明。続いて特別事業計画の概要を説明した。
2011年11月4日(金)16時から、経済産業省別館にて、原子力安全・保安院の記者会見が行われた。
2011年11月4日(金)に行われた、「原発いらない全国の女たち東電・霞ヶ関周遊デモ」の模様。
2011年11月4日(金)、岩上安身による福島県川内村の西山千嘉子(ちかこ)村議、元阿久根市長の竹原信一氏にインタビューをした。
西山氏は、国の帰村政策、除染作業のやり方の矛盾を指摘した。途中から加わり、西山氏と親交のある竹原氏が、加わった。2人は、議会に対する疑問で、考えが一致したなど、知り合った経緯を語った。竹原氏は、役人は、役立つものは潰す。役立たないものには金を払うと苦言を呈した。
2011年11月4日(金)、東京電力本店で、記者会見(11:00~、0:44′)が行われた。
2号機のおけるXe135の検出について、報告書取りまとめ、本日午前、保安院へ提出、今回の評価結果では、Xe135はCm242,244の自発核分裂による核分裂生成物として検出したものと判断した、と発表した
2011年11月1日(火)、岩上安身が、神奈川県逗子市の加藤秀子市議会議員にインタビューを行なった。
逗子市立池子小学校の側溝から採取した土壌を検査した結果、 放射性セシウム8000ベクレル/㎏ 及び 放射性ストロンチウム 12ベクレル/㎏の検出が明らかにされた。首都圏では、横浜市に次いで2例目になるストロンチウムが発見されたことについて、加藤議員とその支援者に話を聞いた。
加藤氏は、今回、放射性物質の検出のことを市議会記者クラブのマスメディアに、ニュースリリースを持って、記事化を望んだが、結局、どこも掲載までには至らなかった。