国内では強気で頼もしく見えるが、いざ海外に打って出ると途端に弱々しくなる。
自分の主張をはっきり表現する欧米人に対し、日本人は海外での議論の場ではおとなしくなる、という指摘をよく耳にする。初めて海外留学した学生などによくあるパターンだが、日本の命運を左右する交渉においてさえも、「本音を隠せ」などと、誰が教えたのだろう。
7月23日、日本政府のTPP対策本部は、日本人の生活と国益を全身に背負って、マレーシアで行われていたTPP交渉に初参加した。24日には特別に、参加11カ国が日本にこれまでの交渉の経緯を説明したり、日本が自身の立場を表明する「日本セッション」の場が設けられた。日本がかねてから「聖域」と位置づける、「農産品の重要5品目の関税撤廃の除外」を主張する絶好の機会だと、誰もが思っていたはずだ。しかし、この初陣で、日本の政府交渉チームは、自国の国益を何も主張しなかったし、できなかった。
「主張しない日本」
政府交渉チームのリーダーである鶴岡公二首席交渉官は、25日の会合閉幕後の記者会見で、「重要5品目は主張したのか?」という記者からの質問に対し、「(重要5品目を守るという)日本の立場を知らない人はいない」と強調したうえで、「1対11カ国という関係の中で交渉するという愚かなことはしなかった」と答えた。つまり、この「日本セッション」の場で日本は「守るべきもの」を主張しなかったのだ。
▲写真:鶴岡公二首席交渉官
外務省きってのエリートで、数々の通商交渉を経験してきたという鶴岡首席交渉官である。好意的に解釈すれば、「この場で手の内を明かすべきではない」「個別の2国間交渉で賢く攻める」と、戦略的に考えた上で、あえて手の内を隠したのだ、という見方もありうる。
しかしこの「日本セッション」は、他の参加国にしてみれば、遅れてきた日本がどう出るか、交渉においてどれほどの「強敵」となりうるか、固唾を飲んで見定める場である。日本としても、「2年遅れて参加」というハンディを抱えているのだから、まずはっきりと、「日本が何を守るつもりか」を他の参加11カ国に知らしめるべきだったはずだ。こちらの主張をはっきり示した上で、駆け引きを行なっていくのが交渉ではないのか。
鶴岡首席交渉官は「日本の立場を知らない人はいない」と強調するが、今回のマレーシア会合に利害関係者として参加したPARC(太平洋資料センター)事務局長の内田聖子氏は、「『重要5品目を守る』という日本の主張は、国際的には全く知られていない」と指摘する。仮に報道を通じて伝聞で伝わっていたとしても、当事者が公式の交渉の場で正面切って主張しないことは、主張しなかったのと同じことになる。国際会議の場での常識であろう。
もし他の参加国に対して「主張しない日本」の印象を与えてしまったとしたら、今後、様々な無理難題を日本に押しつけてくる可能性すらある。日本政府は、本当に「守るべきものを守る」つもりなのだろうか。
鶴岡首席交渉官は帰国後、7月29日に菅義偉官房長官と官邸で会い、「そんなにハンディはなく、しっかり交渉できる状況だ」などと豪語した。「実に頼もしい」と受け取る人もいるかもしれない。
しかしTPP交渉に遅れて参加する日本は、「すでに合意されたテキストについては、いかなる修正も、文章の変更も、新しい提案もできない」ということに同意し、極めて不利な状況からスタートを切ることが明らかになっている。「ハンディはない」とは、到底思えない。虚勢ではないのか、との懸念もぬぐえない。
もし鶴岡首席交渉官の言うように「しっかり交渉できる状況」であるならば、それをきっちり説明し、国内の専門家や、農協などの利害関係者と連携して具体的な戦略をたて、官も民も垣根を取り払い、「一丸となって」交渉に臨んでいくべきだろう。しかし、TPP交渉においては、それは叶わない。TPPの本質である「異常な秘密性」に、交渉チームはがんじがらめに縛られているからだ。
「秘密保持契約」をたてに、一切内容を明かそうとしない日本政府
TPP交渉参加にあたっては厳しい「秘密保持契約」を政府は交わさなければならず、交渉の経緯や協定テキストはごく一部の関係者に限られ、その内容はTPP協定が発効してから4年間、妥結しなかった場合にも、交渉の最終会合から4年間、各国の国民に一切明かされない。
マレーシア会合での日本政府によるメディアや利害関係者向けのブリーフィングで、交渉チームは、この「秘密保持契約」を理由に、「交渉内容について、日本が何を主張したかについても明かせない」と説明した。これでは、国内の各分野の専門家、知識人らと連携して交渉に臨むことが不可能なばかりか、政府の交渉チームが、いかに不利な状況か、不利な条件をのんでしまったかをチェックすることもできない。
そもそも最も重要な国会と国民に対する説明と同意を得ることもできない。説明と同意なき批准とは、どうやって可能なのか。戦後の安保条約の押しつけは秘密裏に行われ、国民への説明と同意はなかったに等しかった。それと同等の、つまりは占領の維持と深化のための条約なのではないか。そうした疑念は払拭できない。
4月5日、TPP政府対策本部が大々的に始動した際、鶴岡首席交渉官は記者団に対し、「交渉に臨む以上、日本は国として『一丸となった方針で』交渉に臨むということが、結局は日本の見解を、各国に対して説得的に示すために不可欠なことだと思っている」と、堂々と発言した。終始落ち着き払った態度で、時にジョークを織り交ぜながら記者の質問に答える姿は、少なくとも一定の「頼もしさ」を感じさせた。
しかし交渉に参加した途端、日本は国として「一丸となる」ことは、「秘密保持契約」によって不可能となった。もしかすると、国が「一丸となる」というのは、政府の一部の官僚たちだけが、国民に対して秘密を抱えたまま結束する、という意味だったのだろうか。国民に広く説明し、同意を得て、国中が一丸となる、という意味ではなかったのか。
いくら国内向けに都合の良い「大本営発表」を行なっても、こうした交渉の一幕を知るにつけ、日本はTPPという経済戦争において、すでに無条件降伏を受け入れつつあるのではないか、という疑いが色濃く浮かび上がってくる。
参院選で自民党が圧勝したからといって、国民はTPP参加に関して与党・政府に「全権委任」したわけではない。無謀な経済戦争で日本が焼け野原と化すのを防ぐためにも、メディアは少しでも多くの情報をつかみ、国民に届けることが急務であり、国民もまた、一人ひとりが情報を得ようと動き出さなければいけない、そういう局面に日本はさしかかっているのではないだろうか。