2013年4月5日(金)18時30分から、沖縄県名護市の名護市民会館中ホールで、「~子どもたちの未来のために~辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会」が行われた。
3月22日に、政府と防衛省が、辺野古新基地建設に向けた埋め立て承認申請書を、沖縄県に提出した。これ対して、米軍基地の辺野古移転に反対する市民らが、基地の県外移設を、日本政府と日本国民に訴える集会を行なった。
(IWJテキストスタッフ・荒瀬/奥松)
2013年4月5日(金)18時30分から、沖縄県名護市の名護市民会館中ホールで、「~子どもたちの未来のために~辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会」が行われた。
3月22日に、政府と防衛省が、辺野古新基地建設に向けた埋め立て承認申請書を、沖縄県に提出した。これ対して、米軍基地の辺野古移転に反対する市民らが、基地の県外移設を、日本政府と日本国民に訴える集会を行なった。
■集会
■名護市長 稲嶺進氏 ぶら下がり
■名護市議会議員 東恩納琢磨氏 インタビュー
■名護市青少年育成協議会 仲宗根和成氏 インタビュー
西川氏は、3月22日に政府が沖縄県に、埋め立て承認申請書を提出したことについて、「抜き打ち的に行われたものであり、市民や県民を愚弄するものだ。辺野古の陸にも海にも新たな基地はいらない、という稲嶺市長の頑張りは、今や県民の総意だ。今日を、辺野古埋め立て申請の撤回、辺野古への基地建設断念を求める新たな一歩としたい」と述べた。
稲嶺氏は「政府の今までのやり方は、すべてが抜き打ちで行われ、すべてが、うちなーんちゅ(沖縄の人)を足蹴にするやり方だ。沖縄県は1月に全市町村長、議会議長、県議会が総動員で総理大臣以下各閣僚に直訴に行ったが、そんなことが何もなかったかのように、申請書の提出が行われた。憤りを超えて、悲しさとむなしさ、言葉にできない思いがある」と思いを語った。
続けて、「3年前の5月28日は、『最低でも県外』と言った、当時の鳩山首相が日米共同声明を発表し、辺野古に戻って来た日である。今日と同じような雨だったが、このような市民緊急集会が開かれた。あの日が、新たな戦いを構築した日になり、その思いが沖縄に変化をもたらし、動かした。あの日から沖縄は、もう、あとには戻れないくらい、県民の心を結集している」と力を込め、「卑劣な方法で出された埋め立て申請だが、地元から拳を上げるということが大事だ。国は国策、国益という名のもとに、国土の0.6パーセントしかない沖縄に、米軍専用施設の74%を、終戦後に押し付けてきた。そのうえ、今の普天間よりも規模が大きく、軍港機能も備えた新たな基地を作ろうとしている。許されないことだ」と訴えた。
その後、「子どもたちの未来に、基地はいらない」というアピール文が読み上げられ、市内外から参加した1300名の市民たちの「がんばろう!」三唱で集会は締めくくられた。