川原茂雄氏 原発出前授業×ストリートライブ in チカホ 2013.3.30

記事公開日:2013.3.30取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・阿部玲)

 2013年3月30日(土)11時より、北海道札幌市の札幌駅前地下広場(チ・カ・ホ)において「川原茂雄氏 原発出前授業×ストリートライブ in チカホ」が行われた。現役高校教師の川原茂雄氏による、原発出前授業の200回目と、参加者1万人突破を記念して開催された、音楽やトークのコラボイベントである。福島出身のラジオパーソナリティ、宍戸慈(ちか)氏らも出演した。

■全編動画
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  • 内容
    11:00~19:00(一部敬称略)
    11:00~ ライブ mitsumi(ギター&ボーカル)/小林美由紀・福由紀子(ラテン音楽)
    12:00~ 原発出前授業 川原茂雄氏(高校教員)「福島のお話 ~ フクシマを忘れない」Part I「フクシマで起きたこと」
    13:00~ ライブ モノノケユースケ(ギター&ボーカル)/shaar taweer(ベリーダンス)
    14:00~ 原発出前授業 川原茂雄氏「福島のお話 ~ フクシマを忘れない」Part II「フクシマで起きていること」
    15:00~ ライブ 新谷達郎(元かたつむりスピード、ギター&ボーカル)/Khoki(レゲエDJ)
    16:00~ 対談 川原茂雄氏×宍戸慈(ししど・ちか)氏(ラジオパーソナリティ)「福島のお話 ~ フクシマを忘れない」Part III「福島は今」
    17:20~ ライブ Osamu Sakurai (Feat. MeMe8) (ロックバンド)/Tuck Hersey, Indy 横山, 能登 “Chico” 将光
    18:00~ ファイナルトーク「福島の子どもたちを守る会・北海道」アピール

 川原氏は高校の教員をしながら、土日や平日の夜を利用して、原発についての授業を学外で行っており、その回数がこのほど200回以上に達した。川原氏は「チェルノブイリ原発事故後は、反原発運動も盛り上がったが、次第に下火になり、自分も授業でしゃべらなくなっていた。福島の事故を機に、もう一度、しっかり伝えなければいけない、と思った。『その内容を、ぜひ一般市民にも話してほしい』との要望を受けたので、学外でも行うようになった」と、原発出前授業のきっかけを語った。この日の内容は、「生徒の前でも、まだやっていない、新作授業」とのことだった。

 川原氏は「メルトダウンの直接の原因は、電気が止まったため」「チェルノブイリの事故は燃料そのものが爆発したが、福島は爆発したわけではなく、地面に溶け出している」など、基本的な内容から解説し、双方の汚染地図を比較してみせた。「原発から発生する放射能のゴミは、その負担を子ども達に押し付けてしまうことになる。原発ゼロは大人の責任」と、説明のみにとどまらず、原発反対の立場をしっかし表明した。その上で、「急がなくてはいけないのは、福島の子ども達を逃がしてあげること」と訴え、避難する親子の保養所を、札幌市に設立するための支援を呼びかけた。「福島の子どものための保養所は、現在、沖縄にはあるが、遠過ぎるとの声もある。札幌と福島は、飛行機の直行便がある」と、札幌に保養所を作るメリットを語った。

 続いて、数日前に福島を訪れて、実際に放射線量を計測した際の話を、放射線の基礎知識を交えて丁寧に説明した。「札幌市では、1時間当たり0.05マイクロシーベルト(以下μSv/h)を超えることはほとんどない。朝、郡山市のホテルで測ったところ、いきなり0.31μSv/hを計測した。法律では、公衆が1年間に追加被曝として浴びてよいのは1ミリシーベルトとされている。つまり、1時間に浴びてよい数値を計算すると0.114μSv。福島では、法律違反が日常的に行われている」と指摘した。さらに、「飯舘村では最高2.87μSv/hを計測した。南相馬など海岸沿いは、海風に吹かれるためか、数値が低い。福島市内は高低の落差が激しい」など、各地の特徴を伝えた。

 次に、二本松市の幼稚園の取り組みを紹介した。同朋幼稚園の園長は、行政や国の放射能対策に失望し、自分で勉強して、徹底した除染を始めたのだという。川原氏は「園長は、園内の土を掘り、屋根を剥ぎ、名物の桜の木も切り落とし、震災直後の3月には3.0μSv/hだったのが、1年後に1.0μSv/h程度まで下がった。私が訪問して自分の計測器で測ったところ、0.08μSv/hで、正直ほっとした。除染は効果がないように言われるが、本気になってやれば、ここまで下がる」と強調した。しかし、「幼稚園を出れば、街中には高い所がたくさんある」と、複雑な胸中を語った。

 震災当時、福島県郡山市でラジオのパーソナリティをしていた宍戸氏は、「私は県外に出る必要を感じず、福島に骨を埋めるつもりで暮らしていたが、放射能に対する危険を感じて、北海道に自主避難をしてきた」と話した。現在は札幌市で、福島との架け橋となるべく情報発信などを行い、多方面で活躍している。川原氏は「外から来た人を受け入れるのは、もともと北海道民の気質としてあるので、皆さん、どんどん来てほしい」と呼びかけた。

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