「福島 六ヶ所 未来への伝言」青森上映会前の島田恵監督挨拶 2013.2.23

記事公開日:2013.2.23取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・関根/奥松)

 2013年2月23日(土)12時30分より、青森県青森市のアピオあおもりで、映画「福島 六ヶ所 未来への伝言」の上映会が開かれた。本作の監督で、六ヶ所村で長らく核燃料サイクル施設反対運動を取材してきた島田恵氏が、上映前に挨拶をした。また、この映画に曲を提供した加藤登紀子氏からのビデオメッセージも流された。

■島田恵氏舞台挨拶

  • 日時 2013年2月23日(土)12:30~
  • 場所 アピオあおもり(青森県青森市)

 島田氏は、まず、六ヶ所村に関わることになった経緯を、「チェルノブイリ原発事故のあと、フォトジャーナリストとして、核燃料サイクル施設などの受け入れで揉めていた六ヶ所村を取材に訪れた。現場では、漁師のお母さんたちが先頭に立って反対運動を繰り広げているのを目の当たりにして、ショックを受けた。1990年に六ヶ所村に移住し、2002年まで12年間、住んでいた。核燃料サイクル施設への危惧もあったが、青森の自然が魅力だった。食べ物も、人の温かさも、自分をずっと青森に引き留めていた」と述べた。

 続けて、この映画を制作するに至った理由を、「東京に戻ると、六ヶ所村の現実、当時、とても激しかった核燃料サイクル基地への反対運動が、まったく伝わっていなかったことに疑問を持った。映画のアイデアを思いついたのは、東日本大震災の数ヶ月前ぐらい。そして、たくさんの人たちの協力を得て、ちょうど2年前、津軽や八戸、六ヶ所で撮影を開始した矢先、東日本大震災と福島第一原発事故が起こり、撮影は一時中断した。しかし、このテーマは、やはり伝えなくてはならない、と思い直し、再び、3月下旬から八戸や三陸を取材し、完成させることができた。そういった背景があったので、当初の計画を練り直し、六ヶ所村と福島を繫げることにした」と語った。

 島田氏のスピーチの後、映画に曲を提供した、歌手の加藤登紀子氏からのビデオメッセージが流れた。加藤氏は「かけがえのない命のすべてが、この自然の中で生き抜いてきた。しかし、その命に対して、真っ正面からの闘いが始まってしまった。六ヶ所村に日本中の核のゴミを集めよう、という目論みがあるが、最終的な核の行方はどこにもない。にもかかわらず、私たちは、わからないプログラムの中で生きてしまっている。島田さんが長く六ヶ所の問題に取り組んでいたことは、素晴らしい。この映画では、六ヶ所村に再処理施設ができる前の人々の反対運動など、いろんな姿に出会うことができる。私自身は『今どこにいますか』『命結ーぬちゆい』という歌を歌わせてもらった。この歌を通して、もっと広く伝えていきたい」などと語った。

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「「福島 六ヶ所 未来への伝言」青森上映会前の島田恵監督挨拶」への1件のフィードバック

  1. コイケタ七味 より:

    東京出身の島田監督は、チェルノブイリの事故が起きた年の秋、初めて六ヶ所村を訪れ、その後、1990年から2002年にかけ、12年間、同所で暮らすことになったそうだ。
    そして2011年、「福島 六ヶ所 未来へ」の製作を開始。
    原発事故が起きて2年近く経ったいまも、何も収束していないどころか多くの方の生活を奪ったままであるにもかかわらず、安倍政権は、原発を推進しようとしている。
    原発を動かせば、核のゴミが出る。そのゴミをどうするか…原発を動かし続けるためにどうしても(理論上)必要なのが、無謀な”夢物語”でしかない「核燃料サイクル」であり、2004年に完成した六ヶ所村の再処理工場ーー。
    破綻した夢をまだ、見続けるのか。
    見続けることを許すのか。
    「六ヶ所村ラプソディー」(監督:鎌中ひとみ)は、”いまだからこそ、この映画をもう一度多くの方に届けたい”という『六ラプagain』なる動きが盛り上がり始めている。http://www.rokkasho-rhapsody.com/index2
    「福島 六ヶ所村 未来へ」は、これから各地で上映会が始まる。
    六ヶ所村、核燃料サイクル……いま直面すべき問題が、ここにある。
    島田監督の話を聞いて、映画を観たくなったなら、上映会の開催を試みてはいかがでしょう…♪

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