2013年1月25日(金)19時半より、東京都港区西麻布のココロウタブックラウンジで、「山本伸裕氏対話会『「他力」の発想にたった、頑張らない生き方』」が開かれた。山本氏は、現代社会は「自力」で「頑張る」ことに意味があるとされ、自分を超えた価値に目をむける宗教性が希薄になっていると指摘。親鸞の「他力」思想には、これとは逆に、有限の存在である人間が、無限に責任をとってくださる仏に責任をゆだねる、という考え方があると解説した。さらに「はかない」「いのる」「ねがう」「かなし」「やさし」「はずかし」「ふるまい」などの日本語の中には、「他力」に通じる宗教性があり、日本社会の中で宗教に代わる役割を果たしているのではないかと、考察した。
- 講師 山本伸裕氏(東京大学東洋文化研究所特任研究員)
山本氏は「現代社会で価値があるとされる『頑張る』態度とは、自我を張り、競争の世界で他者を排除する、仏教的には良くない態度である」と指摘し、その上で「それとは逆に、自分を超えた無限なものに価値を置き、自分を活かしていく『他力』的態度には、宗教性がある」とした。「現代は、そのような宗教性に目が向かない時代になっているが、日本社会で、ある程度の倫理が保たれているのは、日本語の言葉の中に、宗教性や他力の発想が入っており、その宗教性に触れると、そこに倫理が生まれてくるからではないか」と語った。
前半は、具体的な言葉を通じての現代社会論および人間論、浄土真宗の「他力本願」についての解説となった。山本氏は「はかる」という言葉を例に挙げ、「現代は人間主体の『自力』の態度で世界をはかり、ビジネスをしているが、これは、busy ness=『忙』しいに結びつくように、心を滅ぼす」と指摘し、「この逆の『はからない』態度は、『はかなし』という感覚の女流文学や和歌の世界にあり、これを受け入れることで豊かな生き方に通じていく」とした。
また、著しく誤用されている「他力本願」という言葉は、「本来は阿弥陀仏の本願の力によって成仏することで、自分の力ではなく、世界から働きかけられて、物事が成っていくという意味である」と解説した。また、「浄土教の『お願い』の論理には、自分の有限性への悲しみを前提として、人生の中で、自分の思いの届かなさを経験することによって、他力にお願いする態度がある」とした。そして、「信じる心、良い心も、自力ではなく、他力の働きによって実現されると考えるのが、親鸞の絶対他力である」と述べた。