IWJのスタッフの多くは、地下鉄日比谷線の六本木駅を降りて、東京タワーを見ながら外苑東通りを飯倉片町方面に歩き、IWJ事務所へ向かう。通勤中は、スマホでニュースのチェックはするものの、仕事柄、駅のスタンドに並んでいる新聞もよく見る。
一面トップが見えるように縦にスタンドに並んだ新聞は、その日、各新聞社が何を最もニュースバリューのある記事として押し出しているか一目瞭然に分かるからだ。
▲ニュース・スタンド(Wikipediaより)
たいてい、各社横並びで代わり映えしない場合が多いのだが、2020年9月4日、その日だけは違った。産経新聞だけが奇妙な光を放っていたのである。産経の一面トップにこうあった。「中国艦隊、ハワイ接近」。
▲9月4日の産経新聞の一面トップ
- 「中国艦隊、第3列島線に接近」ハワイ沖で訓練 台湾・国防部(産経新聞、2020年9月3日、ウェブ版と紙版では見出しが異なっている)
なんだろう、これ? 普段、ほとんど買わない産経新聞を思わず買って事務所へ向かった。
事務所で改めて産経新聞を広げて記事を読むと、中国艦隊がハワイを含む通称「第3列島線」付近で大規模演習を行ったということがわかった。ハワイは、米国のインド太平洋軍の司令部が置かれている米軍の戦略的な一大拠点である。
▲第1列島線、第2列島線、第3列島線(地図データ © 2020 Google をもとに、IWJ作成)
注)第1列島線、第2列島線は、中国の軍事戦略上の対米防衛線であり、公式に用いられているものだが、それに対して、第3列島線は、メディアや研究者が用いているもので、アリューシャン列島からハワイ、米領サモアを経てニュージーランドに至る線のこと。
この訓練は、米軍に対する大胆な挑発である。なぜ、他の大手メディアも大きく報じないのか。記事を一読したIWJ代表の岩上安身は、こうつぶやいた。「これは産経の大スクープなのか、大誤報なのか、確認しないとわからないな」
こうして、この9月4日の産経の記事を追うことになった。
産経新聞の記事のいくつもの不可解!
産経新聞のこの9月4日の記事を調べていくと、いくつも不可解な点が浮かび上がってくる。
第1に、この記事は、1月に行われた中国軍の大演習を半年以上たった9月に記事にしているという点である。
第2に、横並びで有名な日本のメインストリームメディアが、NHKも5大新聞(産経のぞく)も、検索したかぎり、大きく取り上げていないという点である。
さらに不可解なのが、実質的に米国国防総省が所有するし、米軍機関紙といってさしつかえない星条旗新聞も、米国を代表するニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストを検索しても、この中国軍の1月の演習はヒットしないのである。国際関係・軍事関係を知るには、必読の月刊誌『フォーリン・アフェアーズ』でさえ一行も触れていない。
▲星条旗新聞のHP
なぜ、産経だけが、半年も遅れて一面トップで報じ、他のメディアは、海外紙も含めて、大きく取り上げないのだろうか。これは、何か、裏の事情のあるスクープなのだろうか。
しかも、産経の記事に書かれた情報ソースは、非常に謎めいている。「台湾の国防部(国防省に相当)が1日付で立法院(国会)に提出した中国軍に関する非公開の年次報告書」というのである。
▲ニューヨーク・タイムズ本社(Wikipediaより)
産経いわく「とりあえず書いてあることを信じていただくほかありません」!
そこでIWJが、産経新聞に直接取材を試みたところ、次のような回答があった。
<ここから特別公開中>
IWJ「9月4日の記事に関して事実確認をしたくてお電話しました。と言いますのは、これに関連する記事を日本のメディア、海外メディアで検索しても、見つかりません。
この記事の中で情報ソースとして触れられている香港の週刊誌『香港01』も中国のツイッター『微博』も、こちらの検索の仕方が悪かったのかもしれませんが、該当箇所を見つけることができませんでした。
第一次ソースは、非公開の台湾の報告書ということですが、産経新聞さんの方で、これら以外に、すぐにこちらでも見つかるエビデンスをご教示いただけないでしょうか?」
産経新聞「情報ソースのことになりますので、とりあえず、書いてあることを信じていただくしかしょうがないんですけれども。現場の記者の方に、メールで確認していただければ、返信ができる可能性はございます」
このように情報ソースは秘匿義務があるために答えられないという回答だった。IWJは、この取材の前に、メールでも事前に問い合わせており、その回答は今もってないのである。
情報ソースは秘匿。やはり、大スクープなのだろうか?
しかし、この中国の1月に行われた演習は、秘密作戦ではない。洋上演習は、周辺国に通知しなければならない。そうしないと、演習ではなく実戦と見られかねない。常識的に考えても、公開の演習は「スクープ」にはなりえない。
防衛省いわく「この件につきましては、お時間を少しいただきたく思います」!
日本の防衛省も当然、事前にも事後にも把握してたはずである。そこで、防衛省にも、この演習を把握しているかどうか取材してみた。
IWJ「9月4日の産経新聞によりますと、今年1月に中国艦隊が第3列島線に接近してハワイ沖で演習を実施したとあります。これが事実とすれば、安全保障上大きな問題です。
ところが、日本のメディアも、海外メディアも、ほとんど取り上げていません。防衛省はこの演習について把握しているのでしょうか?」
防衛省報道室「担当部署に確認して折り返しお電話します」
しばらく経って折り返し防衛省から電話があった。
防衛省報道室「この件につきましては、お時間を少しいただきたく思います。明後日の午後3時をめどに回答しますが、そのときに、回答が出来ていない場合は、その旨、お知らせします」
このように、防衛省の回答は、事実確認の即答を避けるものだった。それほど、回答に手間取る確認ではないので、やはり、なにか引っかかるものがある。
防衛省から後日届いた回答は次のとおり、事実上ゼロ回答だった。
「9月4日の産経新聞の一面によれば、台湾の国防部が9月1日付けで立法院へ提出した非公開の年次報告書で、第三列島線に中国海軍の艦隊が初めて接近したという報道については、ご指摘の年次報告書は、非公表であると承知しており、事実関係も含め、内容についてコメントすることは差し控える」
▲防衛省(Wikipediaより)
中国語系メディアは報道!
その後も調査を続けていると、周辺情報が集まってきた。台湾のメディア、中央通信は、9月4日に産経新聞が報じた内容をその日のうちにそのまま中国語に翻訳して掲載していることがわかった。
さらに、さかのぼると、人民日報のツイッターが、2月16日の時点で、次のようにツイートしていることがわかった。
「【南部戦区組織遠海編隊防空演練】
近日,南部戦区海軍遠海聯合訓練編隊在太平洋某海域開展了編隊防空演練,対空中靶機進行打撃,有效検験了編隊整体防空能力。此次遠海防空反導課題演練,首次採用近防導彈和艦砲相結合的方式進行抗撃,成功攔截来襲目標。(来源:央広軍事)」(繁体字は環境依存文字のため日本語の漢字に直してある)
訳)最近、南部戦区の海軍遠海連合訓練編隊が、太平洋の某海域で、編隊防空演習を実施した。ターゲットのドローンを攻撃して、編隊全体の防空能力を効果的にテストした。この遠海防空演習と対ミサイル演習では、初めてミサイル迎撃システムと艦砲の組み合わせを用いて、ターゲットの阻止に成功した。
▲中国海軍052駆逐艦(Wikipediaより)
ここで言う「太平洋某海域」というのが、時期的に、ハワイ沖、第3列島線付近と考えれば、つじつまが合う。
実は中国の英語メディア「環球時報」が2月下旬に大々的に英語で報道していた!
さらに、調べを進めると、中国共産党の機関紙「人民日報」系列の「環球時報(グローバル・タイムズ)」が、産経の報道より半年も前に、2月26日付の記事で「中国人民解放軍海軍の遠洋合同訓練艦隊は、1万4千 海里を航海し、初めて太平洋に深く国際日付変更線を横断した後、基地に戻ってきた」と大々的に英語で報じていることがわかった。
国際日付変更線は、ハワイの手前にある。中国艦隊が、日付変更線を横断して演習したということは、産経新聞の伝える「中国艦隊、ハワイ接近」にぴったり符合する。時期的にも一致する。
環球時報は、この訓練が41日間にも及び、2月25日に終了したと伝えている。逆算すると、中国艦隊の訓練は、1月中旬から始まったということになる。訓練の内容は、グローバル・タイムズによると「主砲と副砲の実弾射撃、ミサイル、戦時中の補給と遠洋総合救助を含む30以上の訓練科目を実施した」という。
北京を拠点とする海軍専門家の李傑氏は、環球時報のインタビューに答えて次のように述べている。
「米国は常にこれらの開放水域における主要な影響力として自らを考えており、通常は外国の軍艦がそこに入ることを望んでいないが、中国の艦隊はこの従来の考え方と覇権主義を打ち破るだろう。中国海軍は将来的には、より頻繁に、より遠く、大西洋にまで航行するようになるだろう」
▲中国海軍遼寧(Wikipediaより)
環球時報は、誰もがウェブ上で見ることのできる公開された英語媒体である。産経新聞が秘匿するようなソースではないし、防衛省が即答できないような事実でもない。根気よく、記事を2月まで遡れば、誰でもたどり着くことができる。日本、米国を含め、西側メディアのほとんどが、口をつぐむような情報ではないはずである。なぜ、彼らはソースについて「ゼロ回答」という頑なな姿勢をとるのだろうか?
これが旧ソ連の艦隊だったらどうだろうか。冷戦たけなわの60年代、70年代に、ソ連艦隊が、ハワイ沖で演習したとすれば、どんな反応を起こしただろう? 演習とは言え、欧米をはじめ日本のメディアは大騒ぎしたはずである。
この中国海軍のハワイ沖の演習に関する西側メディアの一斉の沈黙と言ってもいい事態は、まるで緘口令でも敷かれたかのような、気味の悪さがある。実は、これにはわけがある。
元々、米国海軍の増強計画は、トランプ前政権が海軍力増強を公約として掲げ、具体的に、355隻艦隊態勢の構築プランを提示したことに始まる。
この構想は、2017年に成立した国防授権法(the 2018 National Defense Authorization Act)の中で法制化され、この法律の中に、「実行可能な時期に速やかに355隻の戦闘艦船の造船を国に求める」という条文が含まれているのである。
その結果、2017年当時280隻ほどであったアメリカ海軍の主要戦闘艦船数を355隻に増強する法的義務が生じることになった。
ところが、2021年3月5日に公開された、グローバル・ビジネス・プラットフォームstatistaのデータ「2011会計年から2021会計年までの、米海軍の艦船種類別の展開可能戦闘艦船総数」によると、戦闘艦船の総数では、2017会計年の279隻、2018会計年の286隻、2019会計年の290隻、2020会計年の297隻、2021会計年の306隻となっており、この構想が順調に進んでいないことがわかる。
statistaのデータのデータ内訳を見ると、空母(11隻)や弾頭ミサイル搭載潜水艦(14隻)、巡航ミサイル潜水艦(4隻)のように、2017年から数がまったく変わっていない艦船がある一方で、原子力潜水艦のように、2017年の51隻から、2019年に50隻と1隻退役し、さらに2021年には53隻へと増えたものもある。
米海軍で全艦船数に占める割合が最も高いのは水上戦闘艦と呼ばれる水上戦闘を目的にした艦船で、2021会計年での比率は全艦船のおよそ42%にもなっている。
▲水上戦闘艦(Wikipediaより)
米海軍の艦船総数を見えると、この4年間で、27隻しか造船できていない。355隻に到達するには、まだ、49隻も足りない。毎年平均7隻ずつ造船できたとしても、355隻に到達するにはあと7年かかる。2028年のそのとき、中国の艦船数数は425隻近くなっている。つまり、その差は70隻にもなっているのである。
すでに中国軍は海軍力で米軍を凌駕!
2020年の中国海軍は、約350隻の艦船と潜水艦からなる世界最大の海軍力を持っている。これに対して、米国はおよそ293隻である。
2021年3月9日に更新された米国議会調査局レポート『中国海軍の近代化:米国海軍の能力にとっての意味――その背景と議会の課題』は、中国海軍と米国海軍の戦闘艦艇(battle force ships)の総数を比較した米海軍情報局(ONI)の情報を次のように紹介している。
「ONIは、2020会計年度末(2020年9月30日)には、中国海軍は360隻の戦闘艦艇を保有するのに対して、米国海軍は297隻にとどまるだろうと述べている。ONIは、2025会計年度末(2025年9月30日)までに中国海軍は400隻の戦闘艦艇を保有し、2030会計年度末(2030年9月30日)までには、425隻の戦闘艦艇を保有することになるだろうと予測している」
▲094型潜水艦(晋級)(Wikipediaより)
このような海軍力の逆転状況の中、7月12日に、米海軍の強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」が米カリフォルニア州サンディエゴの海軍基地に停泊中に火災を起こした。原因は、今のところ不明だが、鎮火に4日間を要する大きな火災だった。
CNNは、この火災の影響が、太平洋艦隊に対して数年にわたって続くかもしれないと報じている。強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」は、建造に33億ドル(約3千400億円)を要する、最先端の、高価な小型の空母のようなもので、米軍の最新鋭機である海兵隊用のF35B戦闘機が収容できるよう改修が行われおり、F35Bが扱える軍艦は4隻しかないからである。
さらに、驚いたことに、この爆発を伴う「ボノム・リシャール」の火災で放火の疑いが浮上し、乗組員1人を取り調べていることが判明したのである。
▲強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」(Wikipediaより)
米軍は海軍力そのもので中国に凌駕されたばかりでなく、さらに重要な兵士のメンタル面でも、中国に凌駕されているのだ。兵士が自国の最新鋭艦船に放火するなど、通常の軍組織では考えられない。規律のゆるみという以前に軍組織自体になんらかの構造的な問題がある可能性もある。
すでに中国軍は防空能力でも米軍を凌駕!
中国軍が凌駕しているのは、海軍力ばかりではない。
中国は、米国がベネズエラ侵攻を断念したロシア製のS-300地対空ミサイルシステムとそれをバージョンアップしたS-400システム、国産の防空システムから構成される世界で最も進んだ防空システムを保有しているのだ。
米軍は、空からも地上からも、海からも、攻撃は難しく、米中ともにミサイルの時代に入っていると言える。
▲S-300防空システム(Wikipediaより)
中国人民解放軍の接近阻止・領域拒否(Anti-Access/Area Denial, A2/AD)という海上軍事戦略は、今や、海からのアクセスだけでなく空からのアクセスに関しても完成したと言える。
中国海軍の日付変更線を横断した訓練は、中国の軍事戦略上の対米防衛線である第1列島線、第2列島線に対して、メディアや研究者が用いている第3列島線(アリューシャン列島からハワイ、米領サモアを経てニュージーランドに至る線)を超えたことを意味している。
この意味では、この訓練は中国の軍事戦略上、非常に重要であり、また、米国にとっても、安全保障上の大きな問題である。しかし、産経新聞やWEDGEなど、安全保障問題に高い関心を示す右派の一部のメディアをのぞくと、海外メディアも含めて、メディアの扱いは極端に小さく、ないに等しい。
しかも、取り上げた右派メディアも、産経にせよ、WEDGEにせよ、演習から数ヶ月も経ってから思い出したように報道しているのである。この間の空き方は、何なのだろうか!?
▲S-400防空システム(Wikipediaより)
国防総省の議会年次報告書では、中国軍のミサイル能力は、ハワイ沖からなら米国本土東海岸へ到達する能力があると認めている!
9月1日に、米国国防総省は、議会に向けて「中華人民共和国に関する軍事および安全保障の展開 2020」という年次報告書を発表した。
▲国防総省「中華人民共和国に関する軍事および安全保障の展開 2020」
この報告書では、今年1月から2月にかけて中国海軍がハワイに接近して軍事訓練を行ったことには直接触れていないが、ハワイに関連して、次のような非常に注目すべき記述がある。
「中国が米国の東海岸を標的にしようと考えた場合、現在の潜水艦発射弾道ミサイルJL-2の射程距離から考えると、ジン級の戦略ミサイル原子力潜水艦(SSBN)を、ハワイの北部および東部海域で展開させる必要がある。中国がJL-3(現在開発中の第三世代の潜水艦発射弾道ミサイル)のような、より高性能で長距離の射程を持った新型SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を開発すれば、人民解放軍は(中国の)沿岸海域から米国を標的にする能力を獲得することになるだろう」
米国国防総省のこの報告書は、中国海軍の原潜がハワイ海域から弾道ミサイルを発射できれば、現在のJL-2でも、米国東海岸に十分着弾すると述べているのである。その意味でも、中国海軍の第3列島線付近での演習は、米国への大きな威嚇となっている。
さらに第三世代弾道ミサイルJL-3は、中国沿海部から米国東海岸へ届く!
さらに、最大射程距離1万2千100 kmの第3世代弾道ミサイルJL-3が原潜に実戦配備されれば、中国沿海部から、米国本土を射程に収めることができるために、米中の戦略図は劇的に書き換えられることは必至である。
1月4日のサウス・チャイナ・モーニング・ポストに掲載されたアナリストのミニー・チャン氏の分析によると、2025年頃までに、第3世代弾道ミサイルJL-3を096型原潜に完全配備すると見られている。
▲上海とニューヨーク間は1万2千km以下。(地図データ © 2020 Google をもとに、IWJ作成)
たとえば、上海からニューヨークまでの距離は約1万1千872km、シカゴまでは約1万1千369km、ロサンゼルスまでは約1万0446kmであり、中国沿海部に展開する原潜から、JL-3は、これら米国の大都市を十分に狙うことができる。
▲ニューヨーク中心部(Wikipediaより)この「摩天楼」に中国沿岸から発射されたミサイルが届きうる日は近い。
今後10年で中国の核弾頭備蓄量は現在の200箇から400箇へ倍増する!
国防総省の報告書「中華人民共和国に関する軍事および安全保障の展開 2020」で、注目すべきもう一つの点は、中国の核能力に関する次の記述である。
「今後10年間で、中国の核弾頭備蓄量は、核能力の拡大と近代化に伴い、現在の推定200個程度から少なくともその2倍になる」
9月2日付のワシントン・ポストによれば、これは、中国の実戦配備される核弾頭の数を初めて公式に評価したものである。
中国軍はミサイル能力でも米軍を凌駕!
また、国防総省の報告書によれば、中国は、射程距離は500~5千500kmの地上発射の弾道ミサイルと地上発射の巡航ミサイルを合計1千250発以上保有していると述べている。
これに対して、米国が配備しているのは、射程距離70~300kmの従来型の地上発射弾道ミサイルが1種類のみで、地上発射型の巡航ミサイルの配備はない。
▲中距離弾道ミサイル(Wikipediaより)
つまり、国防総省のこの報告書は、事実上、中国軍は米軍を凌駕していることをはっきりと認めているのである。この、現実に起きている不可避の軍事上の米中覇権交代に対して、米国政府も、同盟国の日本も、米国の外交政策のスタンスを正当化する西側メディアも、揃って、口をつぐみ、言いよどむか、せいぜいが、従来の日米安保体制の枠組みの中で、「中国脅威論」「日米同盟基軸」をオウムのように繰り返すだけなのである。
ただし、11月12日に岩上安身がインタビューした、東アジア共同体研究所上級研究員の須川清司氏によれば、2019年にトランプ政権が中距離核戦力全廃条約(INF条約)を失効させたことを契機に、米軍は「射程の戦争(range war)」において巻き返しに必死になっているという。
注)中距離核戦力全廃条約(INF条約)とは、正式名称は「中射程、及び短射程ミサイルを廃棄するアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦の間の条約」。米国と旧ソ連が1987年に調印した中距離核戦力の開発や配備を禁じた条約。発効から3年以内に中・短距離ミサイルを全廃することを定めた。「中距離核戦力」とは、射程が500~5500キロメートルの核ミサイルや地上発射型の巡航ミサイルを指す。2019年8月2日に失効した。
INF条約失効で可能となった、地上配備型の長距離精密誘導攻撃(LRPF)ミサイルを、米軍が日本列島(南西諸島を含む)、フィリピン、豪州、グアムなどに配備すれば、中国軍が対応を迫られる目標数は格段に増加する。
その結果、米軍は、第一列島線付近で制海・制空権を確保できる見通しを改善できる、と目論んでいると須川氏はいう。
しかし、この米軍の目論見は、日本列島がミサイル戦の戦場となることを意味する。日本人として看過できる話ではない。
須川氏は、米国が日本にミサイル配備を強いる際は、「抑止力であり実際には使わない」と主張し、日本国民の「中国脅威論」を煽ることで、受け容れさせようとするだろうと予測している。
しかし、前述のようにすでに米軍を凌駕するミサイル能力を持つ中国軍に対して、現実に「抑止力」としての効果をあげられるのだろうか。「抑止力」とは、相手から攻撃があったとき、「倍返し」どころか何倍もの報復能力を保有している時、はじめて可能になるものである。
この須川氏への岩上安身のインタビューは、下記でぜひご覧いただきたい。
日本の中国を相手にした敵基地攻撃論は机上の空論! 実行すれば「倍返し」どころか「何百倍返し」に!
現在の中国軍の1250発を越える弾道ミサイル・巡航ミサイルの数と今後10年に配備される400発の核弾頭の数を考えたとき、安倍前総理や菅現総理、あるいは外交・安全保障に関わる閣僚や自民党議員らがしきりに口にする「敵基地攻撃論」が、いかに、現実を踏まえていないものかがよくわかる。
一発でも、中国本土、あるいは海上の中国軍基地を攻撃すれば、1千250発以上の弾頭ミサイル・巡航ミサイルの反撃を受ける。敵に攻撃するのをためらわせる反撃力をもつことが本来の抑止力であるが、日本が「竹槍」レベルの攻撃力をもつことで比較にならないほどの報復能力をもつ中国側が反撃をためらうはずもない。「敵基地攻撃能力の保有」は、中国に対する「抑止力」にはなりえないのである。むしろ、中国軍側に、攻撃を「正当化」する理屈を与えてしまう。
そもそも、中国は命中率85%から90%のロシア製S-300地対空ミサイルシステムとそれをさらにバージョンアップしたS-400システム、国産の防空システムで構成された、世界で最も進んだ防空システムを保有しているので、仮にF35戦闘機で基地攻撃に向かったとしても、撃ち落とされるのは明らかである。
S-300地対空ミサイルシステムは、1基で25機の戦闘機を同時に標的にすることができる。
▲岸信夫防衛大臣(ツイッターのプロフィールより)
中国のミサイル能力と防空能力を検証していくと、日本の敵基地攻撃論がいかに現実性の乏しいものかが見えてきくる。この点について、IWJは防衛省に質問を行っている。
防衛省の回答は次のとおりである。
「国防総省が令和2年9月1日に、中国の軍事および発展に関する年次報告書を公表して、その中で、中国が射程距離500から5千500キロメートルの地上発射型弾道ミサイルと地上発射型巡航ミサイルを、1250基以上保有している事、中国の核弾頭備蓄量が200発台前半と推定されている事、ロシア製のS400、S300、国産システムを含む先進的な長距離対空システムを世界最大級の規模で保有している事等、が記載されていることについては承知しております。
他方で、いわゆる敵基地攻撃能力の保有を前提とした仮定の質問にお答えすることは差し控える。いずれにせよ、政府としては、9月11日の内閣総理大臣の談話を踏まえて、憲法の範囲内で、国際法を重視しつつ、専守防衛の考え方の下、厳しい安全保障環境において、我が国の安全と平和を守り抜く方策について引き続き検討を進めてゆく考えです」
米中覇権交代が目前に迫る時代に、米国一辺倒の日米安保体制では日本の安全保障は確保できない! これはリアリズムの論議だ!
米国一辺倒の日米安保体制を前提に、日本の社会は編成されてきたが、こうした米中覇権交代の時代に、これまでと同じ古い安全保障枠組みでは、対応できないのは確かだろう。これはリアリズムの論議である!
▲菅義偉総理(ツイッターのプロフィールより)
IWJでは、米中覇権交代の実現可能性について検討するために、これまでも、岩上安身による様々なインタビューや報道を行ってきた。ぜひあわせてご覧いただきたい。