※2012年5月16日の岩上安身の連投ツイートを再掲します
ノーマン・フィンケルスタインの「ホロコースト産業」、隅から隅まで読了。そこまで精読しなくてもいいだろう、と自分で自分にツッコミを入れながら、でも隅々まで読まずにいられなかった。
同胞の苦しみを商売にするホロコースト産業の凄まじさ。ホロコーストは、アメリカのユダヤエリートのゆすりのタネとして使われている、と、自らの両親がワルシャワ・ゲットーと強制収容所からの生還者であるユダヤ人のフィンケルスタインは、憤慨を隠さず、衝撃的な告発をする。
ナチスに殺されたユダヤ人の休眠口座を抱えていたなどとして、在米ユダヤ人組織から一斉に批判されたスイス銀行は、12億5000万ドルもの和解金の支払いを余儀なくされ、ポーランドは補償として500億ドル相当の土地まで要求されて、国家破綻を懸念しなくてはならなくなった、という。
意外なのは、60年代末まで、ナチスのホロコーストは米国で注意や関心を払われなかった、という事実。事態を一変させたのは、67年6月の第三次中東戦争におけるイスラエルの勝利だった。これを境に、ホロコーストの情報は肥大化し、在米ユダヤ人組織にとって政治的経済的資産となった。
同時に、米国内でユダヤ人たちの社会的地位が劇的に上昇した。黒人たちとともに公民権運動を闘ってきたユダヤ人たちは、一定の成果を収めると黒人たちとたもとを分かった。68年のニューヨークでの教職員組合の闘争ではユダヤ人の教員組合員と黒人の地域活動家が鋭く対立した。
人種差別の壁を破るために黒人たちと共闘していたユダヤ人たちは、成功を収め、豊かになり、階級上昇を遂げると、白人と同様、郊外に引っ越してしまい、急速に保守化した。以後、アファーマティブアクションに反対するなど、依然、貧さや差別から逃れられない他のマイノリティと対立する。
ユダヤ人たちは、米国内で豊かになり、権力の中枢に入りこむとともに、政治的に保守化していき、他のマイノリティと対立を深める一方、60年代までは持ち出さなかったホロコーストの記憶を引っ張り出し、その悲劇と苦しみの唯一性を強調、他のジェノサイド、民族浄化と峻別した。
日本でもマルコポーロ事件が起きた。これは、月刊マルコポーロ誌が、ホロコーストはなかった、というお粗末な否定論を掲載したために、同誌編集部と版元の文芸春秋が、サイモン・ヴィーゼンタール・センターに批判され、謝罪と廃刊を余儀なくされるという事件だった。
当時、マルコポーロ誌の編集長だったH氏は、この事件をきっかけに文芸春秋を退社する(現在は月刊Willの編集長)。同誌の掲載した記事自体はお粗末で弁護の余地のない代物だったが、その時のサイモンヴィーゼンタールセンターの攻撃は非常に激しいもので、文春は屈伏に追い込まれた。
同じくフィンケルスタインの著書「イスラエル擁護論批判」も並行して読み進めている。こちらは478頁の大著。4分の1ほど読み進めた。こちらも1頁に3つくらいずつ付箋を貼り付けながら精読中。E.トッド、J.ペトラス等々と重ね合わせながら読んでいくと、より理解が深まる。
ちなみに、フランスのユダヤ人知識人であるE.トッドは、在米ユダヤ人のロビー組織と活動の実態を描いた、ミア・シャイマー&ウォルトの「イスラエルロビー」に懐疑的である。が、ペトラスやフィンケルスタインを読み重ねると、「イスラエルロビー」の信憑性は高いと思われてくる。