【IWJ特報!119・120・121・122号】旧日本軍による隠されたジェノサイドの真実 ~北海道大学名誉教授・井上勝生氏インタビュー(ePub版発行しました!)

記事公開日:2013.12.31
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以下、冒頭部分を特別公開!

◆インタビューのポイント◆

①北海道大学で発見された「髑髏」の謎

 日本が朝鮮を保護国にした翌年の1906年、札幌農学校の卒業生・佐藤政次郎が韓国に渡っていた。朝鮮半島植民地化の第一歩とも言える、韓国での綿花栽培プロジェクトのためである。

 これは、日本のものよりも品質のすぐれていた韓国の綿花栽培のノウハウを利用し、アメリカ陸地綿を大規模に栽培しようという事業だった。このプロジェクトを率いていたのが、のちに「平民宰相」として知られる原敬であることは、ほとんど知られていない事実である。

 このプロジェクトのため韓国に渡っていた佐藤政次郎は、現地で偶然みつけた髑髏を「採集」し、北海道に持ち帰った。それが、1995年に北海道大学で発見された髑髏である。髑髏に添えられていた文書には、それが東学党蜂起の首謀者のものであると書かれていた。

②日本の教科書に記載されている「東学党」は存在しない

 髑髏「採集」の12年前の1894年、「東学党の乱」が起こった。しかし実は、「東学党」という党は存在しない。東学とはひとつの思想の名前であり、韓国の民主化運動の原点とも言われる平等思想のことを指す。

 1998年、当時の金大中大統領が来日して国会で演説した際、アジアにおける民主主義の伝統として、東学の存在に言及した。しかし、日本の教科書は依然として、「東学党の乱」と記述している。

③歴史から抹消された1895年の抗日闘争

 日清戦争のきっかけとなった1894年のいわゆる「甲午農民戦争(東学党の乱)」の他に、1895年にかけて起った大規模な抗日闘争があった。この抗日闘争を、日本軍は徹底的に弾圧し、虐殺のかぎりを尽くした。しかしその事実は、教科書はもちろん、明治27年に参謀本部が編纂した「日清戦史」全8巻からも削除されている。

④日本軍による王宮(景福宮)占拠事件とは何か

 日本軍は日清戦争を、清から韓国を独立させるための義戦であると主張していた。ところが、日清戦争のきっかけとなった日本軍による王宮(景福宮)占拠事件を検証してみると、実際は日本による韓国植民地化のための戦争だったことがわかる。

 1895年、日本軍は王宮に深夜に忍び込み、正門を爆破。さらに、反日・親露姿勢を明確にしていた朝鮮の明成皇后(閔妃)を暗殺した。しかし、日本軍によるこの王宮占拠事件は歴史から葬りさられている。

⑤東学農民戦争におけるジェノサイドの真実

 東学農民戦争の実態は、日本軍が大本営の指令を受けて組織的に行った、韓国の農民に対する大虐殺だった。この大虐殺の中心を担ったのは、第一軍を率いていた山県有朋を中心とする長州閥によって編成された4000人の軍隊だった。それは、ほとんど武器を持たない農民を、スナイドル銃という新型のライフル銃でなぎ倒していく壮絶な「掃滅」戦であり、しかも計画的に遂行されたものだった。

 その証拠に、兵站総監だった川上操六は「(農民を)向後、ことごとく殺戮せよ」という電報を送っている。このジェノサイドの史実は、当時も、そして今もなお、徹底的に隠され続けている。

⑥日本のジェノサイドを意識的に見逃した欧米諸国

 日清戦争当時、国際法はすでに確立されており、日本もその内容を把握していた。つまり、一般の農民の虐殺は、明らかにやってはいけないこととして認識されていたはずである。

 ところが、日本軍は東学農民の「掃滅」を行い、また、欧米諸国はそれを結果として黙認した。東学農民が繰り広げた、帝国の支配に対する抵抗の運動は欧米にとっても潰さなければならない対象としてみなされていたからである。

⑦捏造された靖国神社の記録

 東学農民軍との戦いで死亡した、日本軍第三中隊の杉野寅吉という人物がいる。第三中隊隊長が現地から家族にあてた手紙には、杉野氏はヨンサン(連山)で死亡したと記載されている。しかし井上氏が靖国神社の忠魂史を調査すると、杉野氏はヨンサンではなく、ソウルで清国軍と戦った際に死亡したと記載されていた。

 このことからも、靖国神社の忠魂史を編纂した陸軍参謀本部が、朝鮮半島での戦闘を清国に対するものに限定し、東学農民軍に対する虐殺を隠蔽しようとしていた意図をうかがうことができる。

⑧ジェノサイドを画策した中心には長州閥

 東学農民軍との戦闘を指揮した日本軍のリーダーである南小四郎は、幕末期、禁門の変や戊辰戦争、函館戦争に参加した、長州藩の維新の志士だった。同じく長州出身の伊藤博文、井上馨と深いつながりがあったため、東学農民軍を殺戮するという秘密作戦を遂行するために、総理大臣だった伊藤と公使だった井上によって呼び出され、指揮官に任命された。

 伊藤、井上、南と、朝鮮半島における日本軍の虐殺には、長州閥が深く関与している。なお、「ことごとく、殺戮せよ」と命じた川上操六(のちの参謀総長、陸軍大将)は、薩摩出身である。

⑨日清戦争における最多の「戦死者」は朝鮮人

 日清戦争における最多の「戦死者」は、日本人でも清国人でもなく、朝鮮人だった。日本と清の死傷者がそれぞれ約2万人だったのに対し、現在の研究によれば、少なくとも、3万人から5万人の朝鮮人が死亡したと言われている。特に東学農民軍が逃げ込んだ珍島では、日本軍による凄惨な討伐戦が行われ、少なくとも数百人の朝鮮人が日本軍により処刑され、晒し首にされたことが分かっている。

⑩日韓併合を正当化するため、計画的な虐殺の記録を参謀本部が削除していた

 日本は、1910年の日韓併合を正当化するために、東学農民軍に対する計画的な虐殺の作戦をなかったことにしようとした。参謀本部が作成した戦史には、東学農民軍に対する作戦計画に関する記述が一行も存在していない。

⑪「アジアなりの近代化」の芽を摘んだ日本の帝国主義

 金大中がかつて「東学とはアジアなりの近代化だ」と言ったように、日本に強要されなくても、朝鮮には独自の近代化を模索する動きがあった。そのことは、明治維新後に日本に編入されたアイヌや沖縄においても同様である。

特に、アイヌやサハリンのニブフ族による自治運動は根強く、当時水産局の官僚を務めていた内村鑑三は、倭人とアイヌとの共同漁業権を認めるべきだと主張していた。しかし、日本は、欧米列強の「代理」として、朝鮮や沖縄、アイヌに対し、西欧的な近代化を押しつけていった。

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  1. うみぼたる より:

    生放送があると、ついついそちらを優先してしまいます。こちらの特報は2014年になってから続きをみます。
    2014年は毎日がバレンタインのように、愛があふれますように。
    IWJさま。お世話になりました。 よいお年を!

  2. takeapple より:

    日清戦争について中学生向けの教科書に出ている内容と大きく違いますね。大切なことは何があったのかということで、それをどう評価するかは、個人の問題なのかもしれませんが、少なくとも、何があったのかについては正確に知って、その事実を伝えていかなければならないと思っています。私は中学校の社会科教師なので、早速授業で使わせていただきます。

  3. 本間拓巳 より:

    最近東アジア問題に興味を持ち始めた者です。井上先生のご著書「東学農民戦争と日本」は大変興味深いのですが、それを信じたくない者に付け入る隙を与えないような記載をすべきと考えます。つまり証拠物件の信ぴょう性については慎重になるべきです。紹介文を読む限り、(1)その髑髏は本当に当時のものなのか、添付文書は当時のものなのか、(2)採集者は偶然見つけた髑髏が12年も前の東学党蜂起の首謀者のものだとなぜわかったのか、(3)その他の「捏造」や「隠蔽」の暴露が、それを事実だと認めうるに足りるだけの証拠能力をもって記載されているか、がわかりません。井上先生のご著書にはその点の検証に関する記載がされているでしょうか。又は、検証に係る論文等の索引はありますでしょうか。あるならぜひ読んでみたいと思います。…井上先生やIWJ様に不信を抱くような書き方で大変恐縮なのですが、昨今は客観を装いながら自分の意見を主張するだけの著作物が非常に多いと思うので、一読者の心情としてご理解いただければと思います。私は事実が知りたいのであり事実であれば真正面から向き合わなければならないと思っていますが、事実かどうか不透明な歴史書があまりにも氾濫していると感じています。そしてそのことこそが東アジア問題を複雑にしていると感じています。

  4. うみぼたる より:

    広島大本営の意味もわからない歴史音痴なので、5回に分けて視聴しました。
    今も、なぜ東京でなく広島なのかわかりません。原爆投下の際に建物がすべて倒壊していますから資料も消失しているのでしょう。911みたいに、都合が悪いものを消すための常套手段なのでしょうか。
    井上先生が言葉を濁されたあたり、本で読んでみます。

    どんな償いの方法があるのかわかりませんが、事実を検証するためには資料を改ざんしたり、隠蔽したり、破棄したりする日本政府の気質が高いハードルになります。
    5回に分けて視聴しているので、夢の中でもこちらの話題が出てきました。
    岩上さんとIWJスタッフが、100年前の地球を模したグーグルマップを作ってました。

    深刻な問題をとりあげているのに、ぬるいコメントで申し訳ございません。

  5. @haijimaoyajiさん(ツイッターのご意見より) より:

    長州人が持つ半島への異常な執念の源を知りたい。

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