2023年4月24日から4月30日まで、東京都新宿区のギャラリー「Place M(プレイスエム)」にて、写真家・佐々木芳郎氏による写真展「立花隆を魅了した『インディオの聖像』たち」が開催された。
この写真展にあわせ、4月24日午後7時より、東京都新宿区の四谷区民会館にて、トークイベントが開催された。トークイベントには、佐々木氏と、漫画家のいしかわじゅん氏、東京新聞記者の望月衣塑子氏の3人が登壇した。
写真家・佐々木芳郎とは何者なのか? トークの冒頭、望月氏が自己紹介の中で、佐々木芳郎氏の人となり、そして自分との関係性について以下のように説明した。
「佐々木さんは、出会いは、『森友学園』の取材の時からで、私が前に書いた『武器輸出と日本企業』(角川新書、2016年)という、本当に一番初めに角川書店から出した新書を、佐々木さんが読んでくださいまして、そこからフェイスブックでやり取りが始まりまして。
大阪で、籠池さんの『森友学園問題』が始まってから、急遽現場に行くということが決まったその日ですね、『場所とか地理的なこととかよくわかっているのか』っていうんで、あんまりよくわからないと言ったら、(中略)昼過ぎから森友学園の周辺を、彼の持っているミニバイクで案内していただいて…。
それで、あと写真の撮り方とか、『ここにいい話をしてくれる住民がいるから、聞き込みに行こう』とかっていうのを始めたっていうことで。
実は、立花さんと結構長くずっと調査報道をしている、立花さんに付き添って写真も撮っていたということで、(大阪・西天満の)ふぐ屋の親父さんなのに、編集もできれば、取材もできて、写真も撮れるっていう、本当にマルチなおじさんだなということで、いろんな意味で刺激を受けてて。
原田さん(司会の原田富美子さん)とともに、『「安倍晋三」大研究』(KKベストセラーズ、2019年)という本と、古賀誠さんとの共著本『THE 独裁者 国難を呼ぶ男! 安倍晋三』(KKベストセラーズ、2018年)も出させていただきました」
佐々木氏は、1986年末から87年にかけて、ジャーナリスト・ノンフィクション作家・評論家の故・立花隆氏とともに、21日間の南米(ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン)旅行を敢行し、計9ヵ所のイエズス会伝道村(レドクシオン)の遺跡を取材・撮影してまわった。
そして、そこでの体験について、立花氏が文章を、そして、佐々木氏が写真を担当し、一冊の本にまとめることとなった。しかしながら、立花氏は、未完の原稿を残したまま、2021年4月30日に急逝した。この未完原稿は、両親ともクリスチャンの家庭で育った立花氏のキリスト教観が語られている非常に貴重なものである。
未完のまま封印されていた立花氏の原稿と佐々木氏の写真をまとめた書籍が、2022年5月、佐々木氏自身の冷めることのない情熱により、35年の長き時を超えてこの世に生誕した。それが『インディオの聖像』(文藝春秋)だ。
- インディオの聖像(文春オンライン)
『インディオの聖像』が出版されるまでの数々のドラマについては、以下の佐々木氏自身による記事に詳述されているので、ぜひご一読いただきたい。
この取材当時、立花氏が46歳、佐々木氏が27歳で19歳違った上、当時佐々木氏は3年目の駆け出しカメラマンだったとのこと。
直前まで『文藝春秋』に「田中金脈」問題を執筆していた立花氏との長期海外取材について、佐々木氏は次のように語った。
「フリーカメラマン3年目で、右も左もまだわからない僕が、いわゆるジャーナリストのトップと言われた立花さんと仕事をすると。何で認められたか? 厚かましかった。大阪のずうずうしさが結構良かったんちゃうかなと」
トークでは、ゲストのいしかわじゅん氏が、佐々木氏に次のように問いかけた。
「写真展の会場で見てても思ったんだけどね、これは結構昔のことなのに、佐々木さん、よく覚えてるよね。来ている人、ひとりひとりに、この写真はどういう写真で、こうやって、これはこれでって、ずーっと解説してるじゃない。よく覚えてるなって」
佐々木氏は次のように答えた。
「やっぱり35年、逆に、いつ出てもいいように、みたいな? 自分は35年間、同じとこで記憶としては残ったままでしょ? 35年前の話を繰り返している。だからだと思います。
それと、35年間、立花さんが残してくださった原稿を読みながら、『ここにはこんな写真を入れよう』とか、ずっと考えてたわけで。(中略)
いしかわさんでもそうですけど、昔の、幼少時代の写真を時々フェイスブックでアップされているでしょ? あの写真を見た瞬間に、会話とか思い出しません? 当時の。あれと一緒なんですよ。(中略)
写真を撮ってるから、その写真のシーンに、もし立花さんが写っていたら、ここで立花さんがこんなこと言うて、こんなことをしたいって言ったとか、それは全部出てきます」
佐々木氏は、立花氏との南米旅行に参加した理由について、次のように語った。
「僕自身はまったく興味なかったんですよ。聖像も。遺跡はね、エジプトの遺跡とか行きたいって思いがあるから、遺跡は興味あったんですけど、彫刻物にはまったく興味なくて、何に興味あったかというと、『立花隆がどういう取材をするか』、これに興味があった。
例えば、通訳に対してどう接するのかとか、インタビューはどんな風にするのかとか、『立花隆そのもの』を見たかったです。僕の一番の目的はね。(中略)
僕が『立花隆と取材行ってん』、と大阪で、スポーツ紙とか、朝日新聞の人に言っても信用してもらえなかったんですよ。当時は。『嘘でしょ』って」
写真展、およびトークイベントの詳細は、ぜひ全編動画を御覧いただきたい。