国連の自由権規約委員会が7月15日と16日、スイス・ジュネーブで開かれ、6年ぶりに日本の人権の保護状況を審査した。秘密保護法やヘイトスピーチ、福島原発事故など、前回の委員会ではなかったテーマが新たに加わり、委員の質問に日本政府代表団が答えるという形で審査は行われた。
2日間のセッションを終え、24日、同委員会による最終所見が公表された。その中身は、日本が抱える人権課題について日本政府を厳しく指摘するものとなった。
▲自由権規約委員会、議場の様子
秘密保護法については、国民の知る権利が侵害されないようあらゆる対策を講じることが求められた。福島原発事故では、国民が高い被曝限度を強いられている実態について懸念が表明された。
また慰安婦問題においては、日本政府に対し公的な謝罪や賠償を要求する厳しい内容で、安倍政権の歴史認識と真っ向から対峙するものとなった。同委員会の勧告内容の厳しさは、はからずも「人権後進国」日本の実状を浮かび上がらせることになった。
この審査中に、日本の「人権後進国」ぶりを内外に印象付ける「事件」が起きた。わざわざ日本から詰めかけた日本人グループのメンバーら約10名が、審査後、慰安婦を「性奴隷」と表現した女性委員に詰め寄り、吊るし上げたのである。国連の委員会の議場で、異例の騒動を引き起こしたのだ。
この日本人グループら約10名は、戦時中の日本軍による強制連行を「事実無根だ」と主張する女性有志による団体、「なでしこアクション」の代表を務める山本優美子氏が団長となり結成された、「慰安婦の真実国民運動 対国連委員会調査団」の一行だ。山本氏は2011年まで「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の副会長を務めている。
同調査団には、「テキサス親父」として知られるトニー・マラーノ氏や、その支持団体「テキサス親父事務局」も参加。マラーノ氏はNHK経営委員の百田尚樹氏とパネルディスカッションを行うなど、日本のネット右翼や一部保守層から支持を得ている。岩上安身による能川元一氏へのインタビューでは、この「テキサス親父」にも触れ、その主張の中身も吟味している。
また米カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像の撤去を求め訴訟を起こした原告団の1人、「歴史の真実を求める世界連合」の目良浩一代表も加わっていた。
この調査団は、「性奴隷」は事実無根であり、慰安婦問題自体が捏造された反日プロパガンダだと主張。自由権規約委員会の審査については、「左翼勢力が私物化し、日本非難の機関に仕立てあげてきた」と敵視しており、審査会を妨害する目的でジュネーブに乗り込んだと言っても過言ではない。
ロドリー議長「許しがたい行為」 ~マジョディナ委員を救い出した国連事務局
ことの発端は、慰安婦問題を扱うセッションで、南アフリカのゾンケ・マジョディナ委員が慰安婦を「性奴隷」と表現したことから始まった。
「『慰安婦』という言い方をやめて、強制的な『性的奴隷』と言うべき」
マジョディナ委員がこう発言すると、日本政府の代表団は強く反論した。「本人たちの意志に反して行なわれたのは事実」と認めながらも、強制連行の事実は確認できないことから、『性奴隷』という表現は適切ではないなどと切り返した。この時、調査団のメンバーらが一斉に拍手し、ロドリー議長がこの行為(拍手)に対し「許されない行為だ」と強く注意する場面もあった。
マジョディナ委員が、性奴隷の定義は1926年の奴隷廃止条約の定義に基づいたものだと発言すると、政府代表団はさらに、「その定義にあてはまるものとは理解していない。性奴隷制度は不適切な表現である」と反論。マジョディナ委員と政府代表の間で、緊迫したやりとりが続いたという。
日本政府の反論も追い風となり、セッション終了後、この調査団はマジョディナ委員に詰め寄り、抗議した。「慰安婦は高額の給料を支払われていたのではないか」、「性奴隷20万人という数字の根拠は何か」など、まくしたてるように尋ねたという。
同調査団は、7月25日、ヒューマンライツ・ナウやアムネスティ・インターナショナル日本ら23のNGO団体が同委員会の報告会見を行ったまさに同日、参議院会館で同じく報告会を行っている。報告会で調査団のメンバーらは、「マジョディナ委員は左翼の嘘を100%信じており、完全に洗脳されていた」などと批判している(※)。
※ YouTube ジュネーブ 対国連人権委 調査団帰国報告会 映像による活動報告3【藤木俊一・藤井実彦】2014.7.25
安倍政権という追い風
ジュネーブの審査会を傍聴し、マジョディナ委員が助け出される様子を目撃したというwam(女たちの戦争と平和資料館)の渡辺美奈氏がIWJのインタビューに応じ、その時の様子を振り返った。
「委員たちの一人は、終始、彼らの行為について『not acceptable(許されない行為)』と言っていたそうです。異常な空気でしたね。彼らについては、驚いたというより、とにかく恥ずかしかったです」
渡辺氏は続ける。
「日本人団体のそうした行為はルール違反で批判されるべきです。ですが、それよりも、(慰安婦の強制連行、性奴隷を否定する)そうした認識を推進している安倍政権の方が私は問題だと思います。今の政府による歴史認識は、国際的に受け入れられないものです。それは勧告の中でも指摘されています」
前述したように日本政府は、公文書で強制連行は確認できないとして慰安婦の性奴隷説を否定したが、委員らがその主張を退けたことは勧告の中身を見れば明らかである。むしろ、日本政府の姿勢に呆れた様子さえ見せ、委員会のナイジェル・ロドリー議長は、同じ問題を何度も繰り返す日本政府の担当者に対し、「今後の日本政府報告書の審査では、今回指摘されたのと同じ問題を再び繰り返し議論する必要がないよう望むものである」と釘を刺したほどだ。
さらに、ロドリー議長は、勧告をうけてもそれらを実現しようとしない日本は「国際社会に抵抗しているよう見える」と厳しく批判している。
国際社会との認識のズレ
自由権規約委員会による勧告が出された翌日、菅義偉官房長官は記者会見で、「わが国の基本的な立場や取り組みを真摯に説明したにも関わらず、十分に理解されなかったことは非常に残念だ」と話し、委員会の勧告に真っ向から対抗する姿勢を見せた。
今年の5月から6月にかけて、安倍政権は有識者チームを結成し、河野談話の検証作業に乗り出した。政府は談話を継承するとしつつも、「慰安婦の強制連行は確認できない」とする見解を強調。
国連の自由権規約委員会の勧告では、「慰安婦らは強制的に連行されたのではなかった」としつつも、「日本軍が犯した性奴隷について、人権侵害に対するすべての訴えは、公正に捜査され、加害者は訴追され、有罪判決が下れば処罰すること」とし、謝罪と賠償をするよう求めている。この認識が、従軍慰安婦を巡る、国際社会のスタンダードなのである。
敗戦から70年、「安倍談話」の中身とは?!
敗戦から70年を迎える来年の夏、安倍首相は「安倍談話」を閣議決定すると言われている。
アジア諸国への植民地支配と侵略を認め、謝罪した村山元首相の談話を継承すると表明している安倍首相だが、その一方では、過去には「侵略」の定義に疑問を呈している。果たして本音はどうなのか。
今年3月、下村博文文部科学大臣が「村山談話は閣議されてない」と答弁し、後に事実誤認であったと正式に訂正、謝罪した一件があった。このフライングの一件は、図らずも安倍政権の本音がこぼれ出たといえるだろう。下村文科相は「従軍慰安婦は事実ではない」とする意見広告を日本の歴史修正主義者の団体が英字紙に出した際、安倍首相とともに名前を連ねた議員の一人である。
隣国との関係改善を図ることよりも、河野談話の「検証」という名目で置きかえ、集団的自衛権の行使容認を強行するなど、安倍政権の動向は、村山談話の概念に逆行しているように見える。村山談話の踏襲は口先だけではないのだろうか。
8月7日、「村山談話を継承し発展させる会」が記者会見を開き、共同代表である長谷川和男氏が以下のようにコメントした。
「今、政治家による歴史修正主義的な発言が目立つ。過去の侵略戦争の責任がなかったかのように、従軍慰安婦もでっちあげだとする主張が公然とまかり通っている。この状況を世界の常識は認めない」
長谷川氏は「安倍談話」についても危機感を示し、来年、安倍首相がどんな談話を出すのか、アジアを始めとする国際社会が注目していると述べた。どんな談話を出させるのか、それは市民の手に委ねられているとも指摘した。
歴史修正主義を放置した先にあるもの
人権問題を審査する国際会議の場で恥ずかしげもなく、国連の委員を吊るしあげた調査団の中には、慰安婦だった女性たちを、「高給取りの売春婦だった」と公然と述べる者もいる。陵辱され、さんざんつらい目にあわされた者に対し、さらに侮辱を加える追い打ちで加える「セカンド・レイプ」ともいうべき表現である。
傍聴後、調査団代表の山本優美子氏は、「私たちの主張は政府の見解と同じだ。慰安婦は性奴隷だと信じ込んでいる委員をどうにかしなくてはいけない」と話し、次回はNGOとして自由権規約委員会にレポートを提出することも辞さないと語っている。
安倍政権が追い風となり、今後、こうした歴史修正主義の動きが、市民の間で広がりを見せることが懸念される。「村山談話の会」の長谷川氏が示唆したように、歴史修正主義にどう対処するのかは、国内問題である。国連委員を吊るし上げるような行為を日本社会が放置した場合、隣国との関係だけでなく、国際社会との間の溝はますます深まることになる。
来年は戦後70周年である。その節目に過去の「汚名」をぬぐいさってしまおう、とする国内の動きが高まる一方で、国際的には第二次大戦の記憶と、その結果生まれた国連と戦後の国際秩序の枠組みが強調されることになるだろう。国内外のその落差は、政治的に危険なレベルに達する可能性がある。
板垣雄三・東大名誉教授はインタビューに答えて、「来年は(敗戦70年)、国連の敵国条項が強調されることになるでしょう。日本は国連において今なお、『敵国条項』の対象なのです」と懸念を述べた。日本の唯一の同盟国である米国ですら、慰安婦問題のような歴史認識の書き換えや、靖国参拝は歓迎していない。
日米同盟だけを便りに、強引に「戦後レジーム」の脱却をはかろうとすれば、「国連」という「戦後レジーム」そのものである枠組みの外へ飛び出すことになりかねない。
その時、日本はどこに立ち位置を見出すのか。地球の外だろうか。地球上にとどまりつつ、国連の枠組みと敵対することは、半ば死文化しかけたはずの「敵国条項」を生き返らせ、国際的孤立に自らはまり込んでいく政治的自滅行為に他ならない。