第5回マガ9学校 ~畠山理仁氏、白石草氏、岩上安身ほか 2011.1.15
1月15日、「第5回マガ9学校」で畠山理仁さんの「記者会見ゲリラ戦記」(扶桑社新書)の発刊を記念したイベントが開催されました。その模様をお届けします。
1月15日、「第5回マガ9学校」で畠山理仁さんの「記者会見ゲリラ戦記」(扶桑社新書)の発刊を記念したイベントが開催されました。その模様をお届けします。
TBSの報道特集から、岩上安身に「政治とメディア」をテーマに取材の申し込みがありました。この動画は、取材にくるTBSをそのまま取材してしまおう!という企画です。
2011年1月14日、取材に来た金平キャスターをはじめとするTBS取材班を、午後4時ころからUstreamで生中継。途中、ブレーカーが落ちるというアクシデントもありましたが、取材の一部始終をここでご覧いただけます。(「報道特集」の放送予定は1月15日)
2011年1月14日に行われた、片山善博総務大臣の記者会見の模様。
「気温も寒いが、党大会も寒くて、心が凍りついた」──。
民主党党大会の後、森ゆうこ議員に、岩上安身がぶら下がりインタビューを行った。
2011年1月13日、毎日新聞の鈴木記者がIWJに取材にやってきました。インターネットは全然見ないという鈴木記者。取材しているところを取材されるのは初めての経験で、ドキドキしたとのこと。なお、紙面への掲載は、1月20日の朝刊です。
※動画のご視聴は会員限定となります。
2011年1月12日、憲政記念館で行われた民主党両院議員総会の後のぶら下がりインタビューで、川内博史議員と田中真紀子議員に岩上安身もインタビューしました。最後に岩上安身による総会の総括も収録しています。
2011年1月12日、党大会を翌日に控えたこの日、憲政記念館で民主党両院議員総会が開催され、菅直人首相、岡田克也幹事長が民主党の現状や今後について語り、質疑応答が行われた。
2011年1月12日、日本外国特派員協会において、菅伸子さん(菅直人首相夫人)の記者会見が行われた。
2011年1月12日(水)、岩上安身が、民主党両院議員総会直後に、森ゆうこ参議院議員にインタビューを行った。
2011年1月11日、八木啓代(のぶよ)さんをはじめとする健全な法治国家のために声をあげる市民の会の皆さんが、前田元検事に対する特別公務員職権乱用罪の刑事告発が不起訴になったのをうけ、東京高等裁判所内にある検察審査会に申し立てを行いました。
1月7日に畠山理仁氏が二度目の総務大臣会見Ustream中継した翌日、総務省記者クラブより畠山氏に、クラブ総会の結果を1月11日の朝、総務省記者クラブ内掲示板に貼り出される予定との連絡がありました。
11日、岩上安身は総務大臣会見の前に、総務省記者クラブの掲示板で、どのような結果になったのか確認しました。
2011年1月11日、「立ち止まって考えよう国民会議」の設立記念パーティーが開かれました。
世川行介氏の挨拶の後、羽田元総理の次男、羽田次郎氏の乾杯の挨拶。その後、発話が不自由な羽田元総理の挨拶が続きます。
※2011年1月10日の岩上安身による連投ツイートを再掲します。
近代ジャーナリズムの歴史をざっと振り返ってみる。狭義のジャーナリズムに限定せず、情報伝達手段の飛躍的革新のエポックメーキングをあげるとなると、やはりグーテンベルクによる活版印刷技術の発明をあげないわけにはいかない。
活版印刷技術は、火薬、羅針盤と並んでルネッサンス期の三大発明の一つ。活版印刷技術によって、大量の情報が伝達可能になり、出版印刷事業の成立だけでなく、宗教革命、近代科学革命の基礎ともなった、というのは、ご存知の通り。
享年49。その、あまりにも早すぎる死を悲しんだジャーナリストや市民活動家は、大勢いるだろう。福島原発事故後、不治の病と闘いながら東電の記者会見に連日参加。東電が約1万トンもの放射能汚染水を海洋投棄したことについて、「流水決定の責任者は、武藤栄副社長」との言葉を東電広報部から引き出している──。
2012年6月12日20時28分、日隅一雄氏は、がん性腹膜炎でこの世を去った。
死の1年余り前、そして福島原発事故の約2ヵ月前になる2011年1月9日、岩上安身が日隅氏にインタビューした。
※2011年1月8日の岩上安身による連投ツイートを再掲します。
ジャーナリスト、と聞くと、何だか難しい職業のようなイメージを持つ方も多いが、そんなことはない。誰でもなれる、最も簡単で間口の広い仕事であり、営みである,と思う。ランナーと同じ。家の周りをジョグするのもランナー、五輪のマラソンのメダリストもランナー。
ジャーナリズムの基本は、事実の伝達。事実をありのまま、できるだけ正確に伝える。これが、ジャーナリズムの基本。古代社会で狼煙をあげて情報伝達していたのも、ジャーナリズムのひとつ。