【特別寄稿】山本太郎氏の「市民に寄り添う政治家」とは? ~ブルキナファソ・故サンカラ大統領の思想と改革から学ぶ~(米川正子 元UNHCR職員・立教大学特任准教授) 2013.8.21

記事公開日:2013.8.26 テキスト
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 1週間に起こった出来事の中から、IWJが取材したニュースをまとめて紹介する「IWJウィークリー」。ここでは、【IWJウィークリー第14号】に掲載させていただいた、元UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)職員の米川正子氏(立教大学特任准教授)の特別寄稿を掲載します。

┏━━【特別寄稿】━━━━━━━━━━━━
山本太郎氏の「市民に寄り添う政治家」とは?
~ブルキナファソ・故サンカラ大統領の思想と改革から学ぶ~
米川正子 立教大学特任准教授・元UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)職員

山本太郎氏が参議院選挙に当選した翌日、報道陣の取材に応じ、以下のような抱負を述べました。

「プロの政治家という雰囲気ではなく、市民に寄り添う政治家を目指したい」

その言葉を聞いて、私は西アフリカ・ブルキナファソの故トマ・サンカラ大統領を思い出しました。

アフリカのヒーローと言えば、誰もがネルソン・マンデラ氏を思い浮かべるでしょう。しかし、日本でほとんど知られていませんが、アフリカ諸国の一般市民にとってのヒーローはサンカラ氏です。彼は、「アフリカのチェ・ゲバラ」と呼ばれた革命家。ただアフリカ諸国や国際社会にとって、彼は不都合な改革を行ったために、暗殺されてしまいました。37歳の若さで。

▲写真:トマ・サンカラ氏(AFROPOLITANより)

私は改めて、彼のドキュメンタリー映画を鑑賞しました。情熱と自信にあふれた演説、帝国主義や新植民地主義への批判を国民にわかりやすく話す姿、そして人間としての誇りや尊厳を回復している国民。これこそ「市民に寄り添う政治家」だと再確信しました。

サンカラ氏が大統領に就任する前のブルキナファソは、旧宗主国のフランスに事実上管理され、軍事政権による政治腐敗がはびこっていました。しかし、「アフリカ諸国が歴史的な事情、厳しい自然環境や貧困に悩まされても、正しい経済政策と人々の努力で経済発展は可能」と考えたサンカラ氏は、在任中の1983-1987年のわずか4年間で、アフリカで初の大統領として、多くの改革を実行しました。識字率の改善、森林再生、女性の地位向上、女子割礼や一夫多妻制の禁止、アフリカが最大のエイズ蔓延地域である事の公認等。

その他、国家支出の削減のために、大統領や大臣の公用車を、高級車から小型車に変えたり、大臣の外国出張には、エコノミークラスの使用を奨励しました。サンカラ大統領が呼びかけた鉄道敷設事業は、国際機関に依存せずに、住民ボランティア数千人がレールを敷きました。また4年間で自給自足農業に転換でき、外国の食料援助から卒業できたのです。

彼自身の暮らしぶりは大変つつましく、国の予算を私物化するアフリカ諸国の元首とは180度違っていました。彼の妻はファーストレディーの待遇を受けず、看護婦の仕事を継続。彼の遺品はギターやオートバイ等だけで、土地も家も所有していませんでした。まさに、世界で最も貧乏な大統領だったのです。

社会的弱者の権利の拡大で、平等な社会を実現しようとした彼の改革は、アフリカや世界の国民の心を動かしました。が、それが政治的に腐敗していた近隣諸国にも影響を及ぼすとして、彼を敵視するリーダーも少なくありませんでした。次第にサンカラ大統領は、個人政治や横領等のレッテルが貼られ、彼の政策が行き過ぎた、早すぎたとの非難が、特に国内の上官の中で上がりました。しかし、サンカラ大統領には正当な理由がありました。ブルキナファソは世界で最貧国の一つ。国民の苦しみと上官の甘やかされた働きぶりに、彼は苛立ち、我慢できなかったのです。

1987年に、彼は元盟友である、ブレーズ・コンパオレ率いるクーデターで暗殺されました。この影には、冷戦下でサンカラ氏の独裁的、且つ極端な社会主義的な思想を嫌っていた、フランスの策略があったと言われています。フランスにとって、経済的にも政治的にも宗主国に従順である構造の方が都合がよいからです。コンパオレはその後、26年間も大統領の座に居座っています。

皮肉なことに、そのコンパオレ氏は、1993年から今年まで計5回開催されたアフリカ開発東京会議(TICAD:日本政府が主催)全て参加したアフリカ諸国唯一の元首です。また、今年1月にアルジェリアで日本人人質事件がありましたが、彼はその事件と関連する隣国マリでの危機を解決する仲介役でもあります。

TICADにおいて安倍晋三総理は、サヘル地域の平和と安定に向けたブルキナファソの努力に敬意を表し、そして青年海外協力隊数の倍増を述べました。その上、国際協力機構(JICA)の協力が高く評価され、ブルキナファソ政府から今年3月にJICA田中明彦理事長に国家勲章が授与されました。

もしサンカラ氏が生き続けていたら、あるいは政府が彼の思想や改革を継いでいたら、現在のブルキナファソは援助漬けから卒業して、JICAのような開発機関も不要であったでしょう。一体誰のための、何のための開発なのか、考えさせられます。

サンカラ氏の死とともに、国は、政治腐敗、それと表裏一体の外国の支配、浪費的国家財政、絶望する農民たちというサンカラ氏生前の状態に戻りました。2012年度の人間開発指数では、ブルキナファソは世界ワースト4位にランクされました。

話は脱線しましたが、サンカラ大統領と山本議員はそれぞれ、役職、生きている時代、国の政治的環境や直面している問題が違うので、当然比較はできません。しかし、市民の苦しみを理解している草の根派という共通点はあります。有言実行したサンカラ氏から、学ぶことは多くあります。既に精力的に活動している山本議員が、今後、庶民派政治家としてどう活躍されるのか注目し、応援したいものです。

【トマ・サンカラ氏プロフィール】(wikipediaより)

トマ・サンカラ(Thomas Sankara、1949年12月21日 – 1987年10月15日)、或いはトーマス・サンカラは、オートボルタ(現ブルキナファソ)の第5代大統領(在任:1983年8月4日 – 1987年10月15日)。37歳で暗殺された劇的な生涯とその革命的な理念から、アフリカのチェ・ゲバラとも呼ばれた。サンカラの大統領在任中には、貧困と腐敗の一掃、教育と社会保障制度の改善、砂漠の緑化事業などを主な政策として、発展途上国から脱却する事を意図した計画経済的かつ社会主義的なプロジェクトを実践し、国民から多くの支持を得る事に成功した。政府の中枢に多くの女性を起用し、また、ブルキナファソの国歌「ある一夜」の作詞、ギタリストとしての才能、スポーツマンとしての姿、オートバイに対する深い造詣がある事でも知られている。

【サンカラ氏について日本語で書かれた数少ない論文】

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